マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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上誓多林の十九夜講

2011年04月11日 08時13分58秒 | 奈良市(東部)へ
奈良市の誓多林町は山間をぬって東西に広がる。

東に下誓多林、中央が中誓多林で西は上誓多林となる。

さらに西へ200m足を伸ばせばそこは柳生街道で有名な峠の茶屋だ。

3月から5月は多くのハイカーが訪れるが冬場は少ない。

平日ともなれば誰も通らないという。

最近はおでんも出すようにしたが通り過ぎるだけだそうだ。

休日でもその有さまでは煮詰めたおでんがもったいないと早めに店仕舞いしたと話すご主人。

ここは上誓多林である。

その地に鎮座するのは八柱神社。

燈籠の銘記には八王子神社とある。

いつのころか名称が替わったようだ。

標高はおよそ450m。竹藪から見下ろせば奈良市街地の町灯りが見える。

さらに下っていけば円成寺へと向かう中折れ道の三叉路。

誓多林も地も茶畑が広がる。

そのてっぺんとも思える小高い丘。

赤いよだれかけを掛けた石造りの大きな地蔵さんが遠くからでもはっきりと判る。

五尺地蔵の名がついている。

その傍らにあるのが如意輪観音の石仏だった。

この夜は集落の婦人たちが集まって十九夜和讃を唱える。

そこは神社の会所。



床の間に観音さんの掛け図を掲げた。

二種類あるがそのうちの一つを掲げる月当番のご婦人がいうには昔は10軒、今は少なくなって7軒の婦人が集まるという。

上誓多林の十九夜講は毎月営まない。

この月の2月と9月の年2回。

秋は稲刈りが忙しくなるので10月になることもあるそうだ。

19日だからといってその日とは限らない。

皆が集まりやすいように当番の人が日を決める。

たまたまこの日が19日になったがいずれも農繁期を避けた日にしているそうだ。

灯明に火を点けて掛け図の前に座って唱えだした十九夜和讃。

古い十九夜講中の記録には明治二七年旧三月と記されている。

掛け図はそのころに寄進されたものであろうか。

そういえば神社の境内にも如意輪さんの石仏がある。

顔部分は破損しているが紛れもない石仏は掘り起こされたものだという。

これら如意輪観音の石仏の前では集まることもないがこうして掛け図の前で和讃を唱える夕べの十九夜講。

嫁入りしたときから何十年も唱えているので、一人が唱えれば自然と和讃が口にでてくるそうだ。



20年ほど前まではイロゴハンを食べていた。

ゴボウ、ニンジン、シイタケが入ったかやくごはんは濃い口醤油で味付けするが必ずいれるカシワ肉が出しになったようだ。

当番の人が持ってきた漬け物もよばれていたが今はお菓子とお茶になった7軒の営み。

嫁さんが入ると同時にお姑さんは引退する。

こうして代々引き継がれてきた十九夜講。

若い奥さま方の柔らかい声で唱えられた和讃は4分間だった。

(H23. 2.19 Kiss Digtal N撮影)

<明治二十七年の和讃本>


「きめよ ちようらい 十九やの

 ゆらいをくわしく たづぬれば

 にょいりんばさつの せぐわんに

 あめふるよも ふるぬるも

 いかなるしんの くらきよも

 いとわずたがわず きたなく

 十九や をどをへまいるべし

 とらの二月十九日

 十九やねんぶつ はじまりて

 ずいぶんあらたに志よう志んし

 をう志やそう志のふだをうけ

 志して志よぢひ ゆくものは

 めうほうりんげのはなさきて

 十方はるかに志づなれて

 天ふりによいりん くわんぜおん

 たまの天がい さ志あぎて

 はちまんよしあのちのいき

 (かすがの) いけをめてとる

 かんをんのそのうちふ

 によいりんぼさつの ○志ひふ

 あまねくす志よのおたち

 六どう○○をやうにを○○

 ちあるかな志きによにんのあわりさけ

 けさまで 志がしたないけのみず

 すすいでこぼ○○

 天も志しんも水神も ゆるさせたま○○くわんぜをん

 十九やみど~いるひとわ

 ながくさんずのくをのがれ

 ごくらく志よどへ一らいし

 まんたがいけのなな志よをも

 いつかこころもうめりぬる

 きよ十九やと志きごくに

 にわかめいどもありがたや

 志がん・・・・ 志しんのをやたちありありと

 すくわせたまわせ くわんぜおん・・・ なむあみたふつ」

<昭和二十九年の和讃本>

「帰命頂禮 十九やの

 由来を くわしく尋ぬれど

 如意輪ぼさつのせいぐわんよ

 雨の降る夜も 降らぬ夜も

 いかなる真の暗きよも

 いとはずたがはず いといなく

 十九やお堂へ まいるべし

 とらの 二月十九日

 十九や念佛 はじまりて

 南無阿弥陀佛 阿弥陀佛

 ずいぶんあらたよ しよう人し

 おうしよそうじの ふだを受け

 死してじようどへ 行くときは

 みようほうれんげの 花咲きて

 十方 はるかよ しずまりて

 ふきくる 風も おだやかよ

 天より によいりん 観世音

 玉の天がいさしあげて

 八万 よしうの 地の池も

 かるさの池と見て通る

 六観音のそのうちよ

 如意りんぼさつの おん慈悲よ

 あまねくしゆじゆうを 救はんと

 六道しゆじやうよ おたちあり

 かなしき女人の あわれさは

 けさまですみし はやにごる

 ばんぜがしたの池の水

 すすいでこぼす たつときは

 天も地神水神も ゆるさせ たまへや 観世音

 南無阿弥陀佛 なむ阿弥陀

 十九やお堂へいる人を

 長がくさんずの苦をのがれ

 ごくらく浄土へいちらいす

 まんだが池のななじよも

 いつか心が 浮み来る

 けふ十九やと しきとくよ

 南無あみだ佛 あみだ佛

 如意りん めいども有りがたや

 じしんの親達 ありありと

 すくわせ給へや 観世音」

「そくしん常佛 南無阿弥陀

 南無阿弥陀 南無如意輪観世音菩薩

 しじゆう じゆざに ごぎやく しよめつ

 じだびようどう そくしんじよぶつ 南無観世音菩薩 南無観世音菩薩」