マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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畑屋の行事

2011年04月23日 08時09分12秒 | 楽しみにしておこうっと
畑屋の集落には山の頂辺りに鎮座する八大龍王社が祀られている。

天水分神社とも呼ばれている神社を守っているのは東の講と西の講の宮座講の人たち。

年中行事を営んでいる。

正月前には畑屋川を跨るカンジョを掛ける。

その下がり房は八大龍王にちなんで両講とも八つ作りぶら下げている。

カンジョは勧請縄(カンジョヅナと呼ぶ)のことであるが綱作りの作業を含めて「ツナナイ」と呼んでいる。

綱を結うことから称した表現と思われる。

宮座講のトヤにあたればなにかと忙しいそうだ。

十数年前にあたられたトヤ家の奥さんの話では秋祭り宵宮の前日はたいへんだったと話す。

当時の家は牛の部屋もあったし玄関土間もあった。

そこにミシロ(ムシロが訛った)を敷いて臼を置いた。

座敷畳み側には6人。

長いゾーキ(雑木)の棒をもってモチを搗く。

いわゆる千本搗きだ。

それいけ、それいけと高らかに伊勢音頭を唄いながらモチを搗いた。

モチはコロンコロンになった。

千本搗きは勢いがあるので3人は臼が倒れないように支えていたそうだ。

モチは3升搗いた。

お供えするセキハン(蒸しモチゴメ)も3升だったそうだ。

親戚じゅうが集まってそれは賑やかだったようだ。

そのモチはヨミヤの晩にモチマキをしていた。

青年団があったころはススキ提灯が2燈もあった。

上から2、4、6個の提灯だったという。

村を巡り急な坂道を登り切った神社まで肩に担いで上がった。

解散してからそれはなくなった。

若者が少なくなって祭りを行うことが困難になった。

お供えにはモチの他に枝付きのエダマメや8尾の生サバがある。

それは人身御供だったと言い伝えがあるそうだ。

様相は随分と寂しくなったと話す婦人。

そのなかで現在では貴重な形式となった宮籠もりがある。

ヨミヤの神事を終えて神職とともに酒を飲む。

それを終えたらトヤを残して下っていく。

残ったトヤといえば持ち込んだ布団にくるまって寝る。

その日は10月15日と決まっていたが今は第三土曜の夜で、神さんとともに一晩泊まって朝を迎える。

翌日の祭りの朝は早い。

起きてからが祭りの始まり。

ダイコンとトーフが入ったショウユ汁を作って食べるのだ。

食べることに意味があるように思えるがその様子を一目見なければ断定はできない。

7月は夏祭り。

かつては18日だったが集まりやすい第三日曜になった。

モモ、ハランキョ(スモモ)に8尾の開きトビウオを供える。

カンジョと同様に二つの祭りには「八」の数が絡んでいる。

それよりもたいへんなのが毎月月初めの太鼓叩き。

朝は4時半のことだ。

神社に登って太鼓を叩く。

月参りの日は村の人に参りにきてやといって「マイレー、マイレー」と叩く触れ太鼓。

叩くのは一年間もそれをするタイコタタキの当番の人だ。

朔日の日の宮さん参りなのである。

季節関係なく4時半というからに春はまだしも冬場は真っ暗。

急な坂道を登っていくトヤとタイコタタキの姿は神々しいのではないだろうか。

一年間きっちりとこなす二人には「座」にあたったというそうだ。

(H23. 3.13 SB932SH撮影)