田原の里は美しい田園が広がる地域。
十輪寺を見下ろす高台にあるのは大野町の集落。
急な坂道を登っていく。
中腹にあるのは地区の寄合に使われている公民館。
床を綺麗に清掃して集まってくる老婦人を待つ。
祭壇にしきびやお花を添えるのは当番の人だ。
この日は毎月19日に念仏を唱えている「じゅうくやさん」の日。
暖をとって世間話しをしていると人が増えてきた。
集まってきたのはおばあちゃん講とも呼ばれている老人会のご婦人。
この日は欠席が一人であるが総勢は8人だそうだ。
足腰も弱くなったので車で送り迎えされる人が多い。
祭壇中央には表情や色彩が見事な毘沙門天が祀られている。
この日に拝むのは右横にある石造りの如意輪観音さん。
赤いよだれ掛けをしている。
孫が生まれたときに寄進したものだと85歳の人が話す。
観音さんは子供が無事に生まれますように、らくに出産できますように願うのだという。
「最近はよだれ掛けを着せ替える人もいらしませんのや、そやからこのよだれ掛けは20年以上も経ってます」と仰った。
そろそろ始めましょうかと祭壇の前に座った。
「膝を折ることもできないから恥ずかしいけど脚を伸ばさせてもらいます」と座布団を二つ重ねて座る人もいる。
灯明に火を点けて始めに唱えるのは般若心経。
導師はいないが声は揃っている。
手を合わせて三巻唱えた。
次に唱えたのが十九夜和讃。
「きみょうちょうらいじゅうくやの・・・」。
若い人のような早いリズムではなく、ゆったりした和讃が広間に広がる。
終わってみれば8分間だった。
心のなかに染み渡る落ち着きのある和讃だった。
「アト入りしたもんばかりやから、なんで拝んでいるのか判りませんねや」という。
若い女性たちも拝むことさえ知らないのではと・・・全員が口を揃えていったおばあちゃん講は65歳から入れる。
下は70歳からで上は85歳だそうだ。
石造の後方には卒塔婆が立ててあった。
十輪寺にお願いすれば書いてくれるが、何時に納めたものか時代を示すものはなかった。
普段でも村で顔を合わすことが少なくなった。
「だんだんと寄せてもらうのが難しい身体になったが、毎月一度の語らいの場が楽しみです」と話された。
(H23. 2.19 Kiss Digtal N撮影)
<昭和五十七年十一月の和讃本>
「きみよぅ ちようらい 十九夜の
ゆらいを くわしく たづぬれば
によいりんぼさつのせいぐわんに
雨のふる夜も ふらぬ夜も いかなるしんの くらき夜も
いとわずたがわず きらいなく
とらの二月の十九日 十九夜みどうへまいるべし
十九夜ねんぶつ はじまりて
十九夜ねんぶつ もうすなり
南無あみだぶつ あみだぶつ
ずいぶに あらたに しようじんし
をしよう しよじの ふだをうけ
死してじようどへゆくときに
みようほうれんげの花咲きて
十方はるかに しづまりて
ふきくる風も おだやかに
天よりによいりんくわんぜおん
たまの天がいさしあげて
八まんよじゅんの血の池と
みてとおる
大くわんおんのそのうちに
によいりんぼさつのおじひにて
あまねくしゅじようもすくわんと
六どしじように おたちあり
かなしきによにんのあわれさは
けさまですみしがはやにごる
南無あみだぶつ あみだぶつ
ばんじがしたの池の水
すすいでこすは たつときは
天も地神も水神も
ゆるさせたまえやくわんぜおん
十九夜みどうへ入る人は
長く三づの苦をのがれ ごくらく浄土へ一らいす
まんだら池のないしようも
いづるこころもうかれける
今日十九夜とし きくとくに
によがみ いとも ありがたく
自身のおやたち あれありと
すくわせたまへるくわんぜおん
即身成佛 南無阿弥陀佛 あみだあぶつ」
十輪寺を見下ろす高台にあるのは大野町の集落。
急な坂道を登っていく。
中腹にあるのは地区の寄合に使われている公民館。
床を綺麗に清掃して集まってくる老婦人を待つ。
祭壇にしきびやお花を添えるのは当番の人だ。
この日は毎月19日に念仏を唱えている「じゅうくやさん」の日。
暖をとって世間話しをしていると人が増えてきた。
集まってきたのはおばあちゃん講とも呼ばれている老人会のご婦人。
この日は欠席が一人であるが総勢は8人だそうだ。
足腰も弱くなったので車で送り迎えされる人が多い。
祭壇中央には表情や色彩が見事な毘沙門天が祀られている。
この日に拝むのは右横にある石造りの如意輪観音さん。
赤いよだれ掛けをしている。
孫が生まれたときに寄進したものだと85歳の人が話す。
観音さんは子供が無事に生まれますように、らくに出産できますように願うのだという。
「最近はよだれ掛けを着せ替える人もいらしませんのや、そやからこのよだれ掛けは20年以上も経ってます」と仰った。
そろそろ始めましょうかと祭壇の前に座った。
「膝を折ることもできないから恥ずかしいけど脚を伸ばさせてもらいます」と座布団を二つ重ねて座る人もいる。
灯明に火を点けて始めに唱えるのは般若心経。
導師はいないが声は揃っている。
手を合わせて三巻唱えた。
次に唱えたのが十九夜和讃。
「きみょうちょうらいじゅうくやの・・・」。
若い人のような早いリズムではなく、ゆったりした和讃が広間に広がる。
終わってみれば8分間だった。
心のなかに染み渡る落ち着きのある和讃だった。
「アト入りしたもんばかりやから、なんで拝んでいるのか判りませんねや」という。
若い女性たちも拝むことさえ知らないのではと・・・全員が口を揃えていったおばあちゃん講は65歳から入れる。
下は70歳からで上は85歳だそうだ。
石造の後方には卒塔婆が立ててあった。
十輪寺にお願いすれば書いてくれるが、何時に納めたものか時代を示すものはなかった。
普段でも村で顔を合わすことが少なくなった。
「だんだんと寄せてもらうのが難しい身体になったが、毎月一度の語らいの場が楽しみです」と話された。
(H23. 2.19 Kiss Digtal N撮影)
<昭和五十七年十一月の和讃本>
「きみよぅ ちようらい 十九夜の
ゆらいを くわしく たづぬれば
によいりんぼさつのせいぐわんに
雨のふる夜も ふらぬ夜も いかなるしんの くらき夜も
いとわずたがわず きらいなく
とらの二月の十九日 十九夜みどうへまいるべし
十九夜ねんぶつ はじまりて
十九夜ねんぶつ もうすなり
南無あみだぶつ あみだぶつ
ずいぶに あらたに しようじんし
をしよう しよじの ふだをうけ
死してじようどへゆくときに
みようほうれんげの花咲きて
十方はるかに しづまりて
ふきくる風も おだやかに
天よりによいりんくわんぜおん
たまの天がいさしあげて
八まんよじゅんの血の池と
みてとおる
大くわんおんのそのうちに
によいりんぼさつのおじひにて
あまねくしゅじようもすくわんと
六どしじように おたちあり
かなしきによにんのあわれさは
けさまですみしがはやにごる
南無あみだぶつ あみだぶつ
ばんじがしたの池の水
すすいでこすは たつときは
天も地神も水神も
ゆるさせたまえやくわんぜおん
十九夜みどうへ入る人は
長く三づの苦をのがれ ごくらく浄土へ一らいす
まんだら池のないしようも
いづるこころもうかれける
今日十九夜とし きくとくに
によがみ いとも ありがたく
自身のおやたち あれありと
すくわせたまへるくわんぜおん
即身成佛 南無阿弥陀佛 あみだあぶつ」