起きたとき膝に痛みを感じた。
寝ている間にどこかにぶつかったのかと思えるほどの痛さだ。
そんなことはありえない。
それとも夜中に起きだして夢遊のうちにぶつかったのかも・・・。
それもあり得ない。
昨夕に急いだおりに躓いた。
それがなんらかの衝撃になり膝を痛めたのではと思いながら出勤した。
その日は朝から忙しかった。
館内をあれやこれやで走り回ったが痛みはそれほどでもなかった。
ところがだ。
昼前から痛みが増してきた。
歩行も困難になってきた。
イスから立ち上がるにも難儀な痛さ。
還暦を迎えた2か月後。
年齢はそれを物語るかのように膝の痛みになって現れたのでは。
膝の痛みと言えば誰しも思い起こすのがアレだ。
水がたまったのではと思いたくもない。
健康は突如として崩していく。
いつかはそうなると思っているがまだ早い。
午後になれば歩行の困難さはさらに悪化していった。
ズボン下をめくってみれば赤みをおぼて腫れている。
これが水なのか。
仕事を終えてよっちらよっちらと自転車で帰宅した。
いつもの倍以上もかかった。
右足だけでは自転車の回転は無理がある。
その無理を承知で痛みがある左足もペダルを漕いだ。
速攻で藤井整形外科医に向かった。
もちろん自家用車でだ。
アクセルは右足。
オートマでは左足を使うことが少ないが痛みの不自由さで乗り降りがたいへん。
体重が重たいこと。
レントゲンを撮って診断してもらった。
腫れは判るが骨には異常は認められない。
水ではないことは確かだ。
医者の話では皮膚(毛穴)からバイ菌が足に入ってそれで炎症を起こしているという。
そんなことってあるんだと声はでたが思い当たる原因はみつからない。
痛み止めや抗生物質の薬剤は5日間。
血液検査をするからといって血を抜き取られた。
明日にはその結果がでる。
それ次第で炎症を起こしている膿を取り出す処置をするらしい。
風呂も入れず酒も飲めない今夜は辛い。
それはともかく着替えがひと苦労する。
ズボンはもちろんのこと、パッチ、パンツでさえもだ。
左足は痛みをともなうので折り曲げることができない。
まっすぐにしてはかなけりゃならないズボンは難しい。
症状は膝のサラと皮膚の間の液体にバイ菌が入ったといい病名は「滑液内包炎症」らしい。
血液検査の結果では白血球(白血球数114、好中球77.7)は少し高いがその他の肝臓系(GOT20、GPT18、ALP232、γgtp55)、腎臓系(尿素窒素14.9、クレアチニン0.62)、痛風系(尿酸5.4)などは異常値をしめすものはない。
足を曲げずにしておけばいいだろうということだ。
4日目の診療の結果、腫れは順調に治まっているとでた。
とはいっても赤みがとれただけで腫れそのものは少し凹んだだけだ。
屈伸運動を避けてしばらくは様子をみようと薬剤は延長された。
発症してから6日目。
痛みはまったくないがその部分は盛り上がったままだ。
なにか異物が入っているように感じるが・・・・。
翌日11日の診察では徐々に消えるだろうということであった。
自転車のペダルはこいでもいい、お風呂にも浸かっていいとありがたい言葉はあるものの患部は固いものに当たってはならないという。
もちろん正座も不可である。
要心して生活せねばならない。
その日の午後14時46分に発生したマグニチュード8.8(13日に9.0に訂正された)の東北の地震や大津波。
未曽有の自然災害のニュースがラジオで伝えられていた。
15時30分、仙台に住む弟には直ちに電話した。
おっとろしい地震だったという。
出張先で車は大渋滞。
家は連絡がとれないという。
それから携帯電話も固定電話も通信不能になった。
長男が住む東京も同じような状況になっていた。
身体は大丈夫やけど・・・・。
13日の昼ごろ、通信不能になっていた実弟から電話があった。
携帯はどこもかしこも使えず事業所の携帯で無事を連絡してきた。
中継塔がある高台まで行ってやっと繋がったそうだ。
家族も無事だという。
家屋は亀裂が入っているがなんとか暮らせるそうだ。
ライフラインはまだなので灯油ヒーターで暖をとっているという。
必要なものがあればいつでも言ってくれと短時間の会話。
無事でいてくれたことに涙がポロポロ落ちた。
翌日には電気が通じたと連絡があった。
その他のインフラ停止はまだまだ先のことだろうという。
ちなみに家屋は耐震診断していた。
測定結果は上々だったがそれよりもはるかに超える地震。
万全の体制なんてものはとてもじゃないが・・・。
私の膝は15日になっても痛みは止まらず、腫れも下がらない。
その後は痛みなし、ありの日を繰り返す。
21日ころはましになって・・・。
自転車の乗れたのはそれから数日後の24日だった。
弟はといえば被害は少なかったものの暮らしは悲惨な状態。
一週間後には電気は通じたがプロパンガスでなんとかしのいでいるそうだ。
不自由な食時をだ。
在庫も乏しくなってきたという。
物品を送りたいがそれはできない。
現金書留でダイコンを送ろうかと言ったら笑ってた。
身うち家族でできるものは送金しかない。
僅かな金額を義援金として銀行送金した。
翌月の3日にはお礼の電話があった。
家族揃ってこれから日帰り温泉に行くと電話口から笑い声が聞こえた。
3週間ぶりに入浴でもしやんとなぁ・・・。
(H23. 3. 4~ 4. 3記)
(H23. 3. 5 SB932SH撮影)
寝ている間にどこかにぶつかったのかと思えるほどの痛さだ。
そんなことはありえない。
それとも夜中に起きだして夢遊のうちにぶつかったのかも・・・。
それもあり得ない。
昨夕に急いだおりに躓いた。
それがなんらかの衝撃になり膝を痛めたのではと思いながら出勤した。
その日は朝から忙しかった。
館内をあれやこれやで走り回ったが痛みはそれほどでもなかった。
ところがだ。
昼前から痛みが増してきた。
歩行も困難になってきた。
イスから立ち上がるにも難儀な痛さ。
還暦を迎えた2か月後。
年齢はそれを物語るかのように膝の痛みになって現れたのでは。
膝の痛みと言えば誰しも思い起こすのがアレだ。
水がたまったのではと思いたくもない。
健康は突如として崩していく。
いつかはそうなると思っているがまだ早い。
午後になれば歩行の困難さはさらに悪化していった。
ズボン下をめくってみれば赤みをおぼて腫れている。
これが水なのか。
仕事を終えてよっちらよっちらと自転車で帰宅した。
いつもの倍以上もかかった。
右足だけでは自転車の回転は無理がある。
その無理を承知で痛みがある左足もペダルを漕いだ。
速攻で藤井整形外科医に向かった。
もちろん自家用車でだ。
アクセルは右足。
オートマでは左足を使うことが少ないが痛みの不自由さで乗り降りがたいへん。
体重が重たいこと。
レントゲンを撮って診断してもらった。
腫れは判るが骨には異常は認められない。
水ではないことは確かだ。
医者の話では皮膚(毛穴)からバイ菌が足に入ってそれで炎症を起こしているという。
そんなことってあるんだと声はでたが思い当たる原因はみつからない。
痛み止めや抗生物質の薬剤は5日間。
血液検査をするからといって血を抜き取られた。
明日にはその結果がでる。
それ次第で炎症を起こしている膿を取り出す処置をするらしい。
風呂も入れず酒も飲めない今夜は辛い。
それはともかく着替えがひと苦労する。
ズボンはもちろんのこと、パッチ、パンツでさえもだ。
左足は痛みをともなうので折り曲げることができない。
まっすぐにしてはかなけりゃならないズボンは難しい。
症状は膝のサラと皮膚の間の液体にバイ菌が入ったといい病名は「滑液内包炎症」らしい。
血液検査の結果では白血球(白血球数114、好中球77.7)は少し高いがその他の肝臓系(GOT20、GPT18、ALP232、γgtp55)、腎臓系(尿素窒素14.9、クレアチニン0.62)、痛風系(尿酸5.4)などは異常値をしめすものはない。
足を曲げずにしておけばいいだろうということだ。
4日目の診療の結果、腫れは順調に治まっているとでた。
とはいっても赤みがとれただけで腫れそのものは少し凹んだだけだ。
屈伸運動を避けてしばらくは様子をみようと薬剤は延長された。
発症してから6日目。
痛みはまったくないがその部分は盛り上がったままだ。
なにか異物が入っているように感じるが・・・・。
翌日11日の診察では徐々に消えるだろうということであった。
自転車のペダルはこいでもいい、お風呂にも浸かっていいとありがたい言葉はあるものの患部は固いものに当たってはならないという。
もちろん正座も不可である。
要心して生活せねばならない。
その日の午後14時46分に発生したマグニチュード8.8(13日に9.0に訂正された)の東北の地震や大津波。
未曽有の自然災害のニュースがラジオで伝えられていた。
15時30分、仙台に住む弟には直ちに電話した。
おっとろしい地震だったという。
出張先で車は大渋滞。
家は連絡がとれないという。
それから携帯電話も固定電話も通信不能になった。
長男が住む東京も同じような状況になっていた。
身体は大丈夫やけど・・・・。
13日の昼ごろ、通信不能になっていた実弟から電話があった。
携帯はどこもかしこも使えず事業所の携帯で無事を連絡してきた。
中継塔がある高台まで行ってやっと繋がったそうだ。
家族も無事だという。
家屋は亀裂が入っているがなんとか暮らせるそうだ。
ライフラインはまだなので灯油ヒーターで暖をとっているという。
必要なものがあればいつでも言ってくれと短時間の会話。
無事でいてくれたことに涙がポロポロ落ちた。
翌日には電気が通じたと連絡があった。
その他のインフラ停止はまだまだ先のことだろうという。
ちなみに家屋は耐震診断していた。
測定結果は上々だったがそれよりもはるかに超える地震。
万全の体制なんてものはとてもじゃないが・・・。
私の膝は15日になっても痛みは止まらず、腫れも下がらない。
その後は痛みなし、ありの日を繰り返す。
21日ころはましになって・・・。
自転車の乗れたのはそれから数日後の24日だった。
弟はといえば被害は少なかったものの暮らしは悲惨な状態。
一週間後には電気は通じたがプロパンガスでなんとかしのいでいるそうだ。
不自由な食時をだ。
在庫も乏しくなってきたという。
物品を送りたいがそれはできない。
現金書留でダイコンを送ろうかと言ったら笑ってた。
身うち家族でできるものは送金しかない。
僅かな金額を義援金として銀行送金した。
翌月の3日にはお礼の電話があった。
家族揃ってこれから日帰り温泉に行くと電話口から笑い声が聞こえた。
3週間ぶりに入浴でもしやんとなぁ・・・。
(H23. 3. 4~ 4. 3記)
(H23. 3. 5 SB932SH撮影)