マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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誓多林彼岸講のオコナイ

2011年04月20日 08時41分23秒 | 奈良市(東部)へ
国家安寧や鎮護を祈り、今まさに終えようとしている東大寺二月堂の修二会。

東日本大震災の犠牲者に対するお悔やみ(冥福祈り、窮状苦楽、復興救済を祈られた)を述べられたそうだ。

それは神戸の阪神大震災のときもそうされた。

日本の国の安全を祈っていたのだ。

正月にあれば修正会、二月であれば修二会と行法の名になる。

それが村の行事となればオコナイと呼ばれている。

そのほとんどは大寺と同様に正月や二月に行われている。

三月に行われるのは珍しいのかもしれないが奈良市の誓多林町ではその三月である。

早朝から集まってきたのは上と中誓多林の彼岸講の男性たち。

中誓多林にある萬福寺の裏山の雑木林を綺麗にしている。

石塔の墓地を覆い被さる樹木を伐採する作業に従事している。

ギューンと唸るチェーンソーの音が誓多林の里山を響かせる。

本堂は昨年の9月に落慶法要された。

真新しいお堂には座布団が敷かれ縁には行事に使われるウルシ棒が並べられている。

お札を挿す方は木肌が削られて美しい。

先は斜めに切断され三つ又に割いている。

その形容はまるで牛の爪のように見える。

伐採作業は2時間かかった。

綺麗したさっぱりした面持ちはどことなく達成感があるようだ。

お堂の壁には大きな掛け図がある。

これも昨年に新装された絹本の涅槃図。

一年間もかけて修復されたそうだ。

涅槃にオコナイが本堂に集まるとは不思議な光景であるがこれには理由がある。

本来は別々の日であったが住民の減少などにより行事を行うことが困難になってきた。

そこで一日に纏めてすることにしたという。

とはいってもオコナイが何月何日にされていたのか判らないというからそうとう昔のように思われた。

隣村から十輪寺住職がやってきた。

落慶法要のときもそうだった。

立派になった掛け図や本尊に手を合わせる。

早速取りかかった住職の作業。

それはウルシの棒に挟む祈祷札だ。

一枚、一枚、「萬福寺牛王宝印」と墨書される。

書き上げられると当番の人が朱印を押す。



出来上がるたびに四角折りしてウルシ棒に挟む人たち。

ウルシに負けるからと一切触れない人も居る。

できあがった18本のウルシ棒は祭壇前に置かれた。

そして法要が始まった。



まずは涅槃の掛け図を前にお経を唱える。

そして般若心経を唱える。

本来ならば15日であるが集まりやすい日曜日。

この日は涅槃の法会であるが今度は向きを正面の本尊にした。

堂内に座ったのは半数の男性たち。

若い者は外で待つ。

住職のお経が始まった直後のことだ。

大きな声で「「ラーンジョー」が発せられた。

すると堂外に居た人たちはウルシ棒を手に持って縁を叩き出した。

その数は十数回。



バタバタの音がなくなりお経は再び堂内に流れる。

それから4分後のことだ。

再び、「ラーンジョー」が発せられた。

太鼓が打たれ縁をウルシ棒で叩く。

悪魔払いとされるランジョーはダンジョウとも呼ぶらしい。

堂内は焼香に移った。

叩かれたウルシ棒はとんどで直ちに燃やされる。

悪魔は叩き焼かれて村から追いはらわれたのであろう。

般若心経を唱えて彼岸講のオコナイを終えた。

祈祷されたお札は各自が家に持ち帰る。



そのウルシ棒はその性格からゴオウ杖と呼ばれている。

4月末から5月初めにかけてそのゴオウ杖は田んぼに挿される。

それは田植えをはじめる前に行われ花も飾って挿す。

御幣を挿し、フキの葉に荒い米を入れたものも供える。

田植え初めの儀式であるが数軒が行うらしい。

(H23. 3.13 EOS40D撮影)