マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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飯高子部神社お綱祭

2011年04月18日 08時13分29秒 | 橿原市へ
古来、子部(こべ)の里と呼ばれた橿原市飯高(ひだか)町。

大和武士豪族であった飯高氏の本拠地で、菩提寺本堂は重要文化財に指定されている瑞花院(ずいけいん)だ。

その西隣りに子部(こべ)神社が鎮座している。

3月の第一日曜日は46軒からなる明神講の人たちによるお綱祭りが行われている。

幕を張った公民館(昭和59年建築)に集まって宴を広げている。

かつてはトヤ(当家)の家が会場であったが負担が大きくなってきたことから公民館に場を替えた。

神社の年中行事を手助けする役目は年禦(ねんぎょ)と呼ばれる五人の人たち。

家の順と決まっている5軒の年禦。

およそ9年で一回りする。

公民館の2階は宴の場。パック詰め料理とこの日のつきもののぜんざいをよばれる。

モチ入りぜんざいの支度など料理手伝いをするのは年禦の家族。

夫婦で祭りの手伝いをしているのだ。

年禦たちはその公民館でモチワラ綱を撚ってお綱祭りの綱を作ってきた。

20mほどの細長い綱は、雨を呼ぶ水の神さんだといい、蛇を現しているそうだ。

お祭りはまず始めに1階で出発の儀式を行う。

八幡大神、天照皇大神、春日大神が上段に。

下段には子部大神と豊受大神が書かれた掛け図の前に集まった明神講の人たち。

図下の祭壇には年禦が作った蛇綱や大きな鏡餅やモチ撒きに放られるモチなど神饌が並べられた。

祓えの儀、祝詞奏上など出発の儀式を終えた一行は多坐弥志理都比古(おおにますみしりつひこ)神社の宮司を先頭に歩き出した。

神饌をもつ自治会長や年禦たち。

その後方に並んだ男たちは蛇綱を掴んでいる。

人数が多いわけだから綱の姿は見えにくい。



カセットテープが囃す伊勢音頭の唄に合わせたいものだが酒が入った男たちはあっちへヨレヨレ、こっちへヨレヨレ。

先頭を行く人たちは力がこめられて少しずつ進んでいく。

先を行った宮司や役員たちとは距離が徐々に離れていく。

それもそのはず綱は後ずさりもしていたのだ。

行ったり戻ったりでなかなか進まない。

鳥居付近まで来たらズルズルーと後ろへ下がった。

時間をかけて神社にあがるのがしきたりなんだという。

蛇綱は鳥居横にある大きなケヤキの幹に巻き付けられる。

弊が取り付けられている蛇綱。

ケヤキに巻き付ける行為といいノガミの一種とも想定できるが明解な答えは持ち合わせてはいない。



綱掛けを終えると神社で五穀豊穣を願って神事が行われた。

そのころにはお綱のお渡りに付いてきた婦人や子供たちが境内に集まってきた。

中央に櫓を立ててそこから投げられるモチ撒き。

昔には拝殿の屋根から投げていたという。



その拝殿にはたくさんの絵馬が掛けられている。

それは宮参りをしたときに奉納されたものだ。

その子が成人するまで掲げられているそうだ。

多神社で焼き納めをする希望者は少なくなったとはいえ処狭しに掲げられている。

その子供たちが手に入れたモチは袋いっぱいになった。

昨年は雨天のお綱祭でたいへんだった。

今年はモチ撒きを終えた直後に降りだした。

なんとかもったようでその後はほん降りになった。

(H23. 3. 6 EOS40D撮影)