マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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福住町別所十九夜講

2011年04月14日 08時12分39秒 | 天理市へ
女性だけで営まれる十九夜講は県内の東山間で数多く行われている。

その多くは奈良市になるが天理市内でもみられる。

同市でもやはり山間であって山田町や福住町辺りとなる。

12月には子供の行事である申祭りが行われている別所の集落。

夕食を済ませた婦人たちが公民館に集まってきた。

当番の人は如意輪観音さんの掛け図を掲げて座布団を円座にした。

美しい姿の観音さんは表具を新装されてから随分と年月が経った(40年前か)という。

テーブルを祭壇に設えてしきびを供えローソク、線香を調えた。

当番の人が導師となって掛け図の前に座った。

「よろしくお願いします」と挨拶をされて座席に座った。

小さな鉦を叩いて始まった十九夜和讃。

「きみやうちやうらい十九夜の ゆらいをくわしくたつぬれど・・・」の和讃とともに鉦の音が部屋に響き渡る。



和讃の詞章は他所と変わらないようだが唱える調子が異なるようだ。

音楽でいえばbフラットかbマイナー調に近いように聞こえたのは私だけであろうか。

「なむあーみだーぶつ、なむあみだぶつ」になれば鉦は連打されて調子は早くなった。

手を合わせてなむだいし、こうみょうだいし・・・・と静かに終わった。

その間6分ほどだった。

お茶やお菓子を配って語らいの場となった。

和讃本は各家から持参されたもの。

古くは昭和25年の「拾九夜講和讃」本、新しいものは写本されたものだという。

当時は毎月19日が営みの日だったようだ。

2月の営みだけはアゲがつきもののイロゴハン(ショイゴハンとも呼ぶ)を炊いてよばれていた。

そのころは子供をおんぶして和讃を唱えていたと年いった婦人は話す。

そのころのお勤めの場は下之坊の本堂だった。

お参りして和讃を唱えていたが導師は住職だったそうだ。

話した老婦人以外はお嫁さんたちだ。

お姑さんが引退したらお嫁さんに代替わりする。

こうして代々続けてきた十九夜講。

安産ができますように祈るのがお勤めである。

家人がお腹に孕んだからと言って赤いよだれ掛けを如意輪観音の石仏に掛けられた老婦人。

「ひ孫ができますんや」と嬉しそうに話す。

お勤めは安産願いの婦人も加わることができる。



(H22.12.23 EOS40D撮影)

その石仏といえば下之坊にある。

かつては集落北のドウ(堂)と呼ばれる地にあったそうだ。

当時はその付近に住んでいた4、5軒で祀っていたそうだ。

生まれるのが判ったら健康で生まれますようにと祈ってよだれ掛けを掛ける。

女性を守ってくれるあらたかな石仏だという。

そのときには前に掛けてあったよだれ掛けをもらって帰り生まれた子供のよだれ掛けにしていた。


(H23. 4.15 EOS40D撮影)

そのような行為は現在では見られないと話す。

別所は21軒。

毎月していた集金制度がなくなっても横のつながりは絶やさないように、お勤めを残していかなければと年に3回の2月、6月、10月に集まっている。

(H23. 2.27 Kiss Digtal N撮影)

<昭和二十五年の拾九夜講勤行法則>

「おんさらば たたぎやたはな まなの きやろうみ (三べん)

 がしやくしよいぞう しよあくごう かいわゆむし とん志んち

 志うしんごい し志よじやう いつさいがこんかい さんげ (一べん)

 てしむかふ じんみらいさい なむきえぶつ なむきえはふ なむきえそう (三べん)

 でしむかふ じんみらいさい

 なむきえぶつきやう なむきえはふきやう なむきえそうきやう (三べん)

 てしむかふ じんみらいさい ふせつしやう ふちうたう ふじやいん

 ふまうご ふきご ふあくご ふりやう ぜつ ふけんどん ふじや けん (三べん)

 おんぼうち しつたぼだはだ やみ (三べん)

 おんさんまや さとばん (三べん)」

「きみやう ちやうらい 十九やの

 ゆらいを くわしく たづぬれば

 にょいりんばさつの せいぐわんに

 あめのふるよも ふらぬよも

 いかなるしじんの くらきよも

 いとわず たがわず けだいなく

 十九や みどうへ まいるべし

 とらの にぐわつの じゆくにち

 十九やねんぶつ はじまりて

 なむあみだぶつ なむあみだ

 ずいぶん あらたに しやうじんし

 おうしよ そうしの ふだをうけ

 し志てじやうどへ ゆくときは

 めうほふ れんげの はなさいて

 十方 はるかに しづまりて

 ふきくる かぜも おだやかに

 てんより によいりん くわんぜおん

 たまのてんがい さしあげて

 はちまん よしあうの ちのいけも

 かすがの いけと みてとうる

 大くわんおんの そのうちで

 によいりんぼさつの せいぐわんに

 あまねく しゆじゆうを たすけんと

 六どの つぢに おたちあり

 かなしき によにんの あわれさけ

 けさまで すみしが はやにごる

 ばんしがしたの いけのみず

 すすいでこぼすな たつときは

 てんも しじんも すいじんも

 ゆるさせ たまへや くわんぜおん

 なむあみだあぶつ なむあみだ

 十九や みどうへ まいるひと

 ながく さんずのくをのがれ

 ごくらく じやうどへ いちらいす

 まんだが いけの ななしやうも

 いつか こころが うかびくる

 げに十九やとは しきとくに

 なむあみだあぶつ なむあみだ

 によらい めいども ありがたく

 じしんの おやだち ありありと

 すくわせ たまへや くわんぜおん

 なむあみだあぶつ なむあみだ ・・・ 

 なむだいじ だいひの くわんぜおんぼさつ

 しゆじゆおうざい ごぎやく しやうめつ じだびやうどう そくしんじやうぶつ」

「なむだいし へんじやう こんごう (三べん)

 なむこうぎやうだいし (三べん)

 おんあぼきや べいろしやの

 まかぼだらまに はんどまじんばら

 はらばりたや○ん (三べん)

 くわんに しくどうく ふぎ おいつさ か○ かいぐ じやう」

<年代不明の拾九夜和讃>

「きみやうちやうらい十九夜の

 ゆらいをくわしくたつぬれど

 如意輪菩薩の誓願に

 雨の降る夜も 降らぬ夜も

 いかなる眞(しん)の暗き夜も

 いとはずたかわずけたいなく

 十九夜御堂へ参るべし

 寅の二月の十九にち

 十九夜念佛はじまりて

 なむあみたぶつあむあみだ

 すいぶんあらたに要心し

 おうしやうそうしのふだをうけ

 死して浄土へ行くときは

 妙法蓮華の花さいて

 十方はるかにしづまりて

 ふきくる風もおだやかに

 天より如意輪観世音

 たまの天蓋さし上けて

 八万よしようの血の池も

 かすがの池とみてとほる

 六観音のそのうちで

 如意輪菩薩の誓願に

 あまねく衆生を助けんと

 六堂の辻にお立ちあり

 悲しき女人のあわれさは

 けさまですみしが早汚る

 ばんしがしたの いけのみず

 すすいでこぼすな たつ時は

 天もしじんもすじんも

 ゆるさせたまへや 観世音

 なむあみだぶつなむあみだ

 十九夜御堂へまいる人

 ながく三途の苦をのがれ

 ごくらく浄土へいちらいす

 まんだが池のななしやうも

 いつか心がうかびくる

 げに十九夜とはしきとくに

 なむあみだぶつなみあみだ

 如来めいどもありがたく

 じ志んのおやだちありありと

 すくわせたまへや観世音

 なむあみだぶつなむあみだ ・・・

 なむだいじだいひのかんぜおんぼさつ しゆじゆうぢゆうざい

 五きやくしよう めつじだびようど そくしんじよぶつ (三べん)

 なむたいしへんじようこんごう (三べん)

 なむこうぎようだいし (三べん)

 おんあほきやべいろしやの まかぼだら

 まにはんどまじんはらはらはらりばた やん (三べん)

 ぎわんにし○どくふきゆお一さい がとうよしゆじうかいぐじよ うぶつどう」

(H23. 2.27 Kiss Digtal N撮影)