マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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白土コドモネンブツの寄合

2011年04月28日 09時17分28秒 | 大和郡山市へ
白土町には子供の念仏講と大人の念仏講がある。

それぞれの講は盆のときに集落を巡って念仏鉦を叩いていた。

チャチャンコとも呼ばれる子供の念仏講の営みは子供たちだけで行われる。

鉦(7個)と古文書を預かる当番を勤めるのは2軒。

24軒で構成されている念仏講にはその人たち以外の大人の出番がない。

一度に集まるのは彼岸の中日の祭日の夜。

浄福寺の本堂横にある観音堂だ。

例年なら浄土宗のお寺が所有する曼荼羅絵図が掲げられるがこの年はお寺の配慮で涅槃の掛け図となった。

ひと月遅れの涅槃だというお寺さん。

実は念仏講が所有する古文書によれば2月と9月の営みであった。

それがいつしか3月の彼岸になった。

3月はタネオトスといって村の評議員(だんな衆)の決済だったそうだ。

お盆に叩かれた鉦や古文書には観音堂什物と記されている。

ヤクとも呼ばれる当番のNさんが話すには浄福寺は文禄元年(1592年)の江戸時代に創建された、

その前(中世)からあったのが真言宗の観音堂。

なんらかの事情で大きな変化があった。

享保21年(1736年)2月15日の覚帳が残されていることから、そのころには既に念仏講があったことは違いない。

以前の状況は不明だが観音堂との関係があった。

その涅槃の掛け図は発起人権右エ門によって正徳3年(1713年)7月15日に奉納されたことが判る。

南都の絵師与兵衛が描いた掛け図と念仏講の深い関係は判らないが當寺念佛講中が施主となって添上郡白土村浄福寺の什物にしたようだ。

饅頭を供えてローソクに火を灯した。

当番のNさんは掛け図に寄って拝んだ。

それが今夜の儀式。

それを終えて会計報告や講員の確認および次の当番や子供の存在を確かめられた。

寄合の主目的はここにある。

検討会議を終えたら食事に移る。

注文していたお寿司を広げて口にする。

もう一人の当番のKさんは吸い物の椀を運ぶ。

一時間ほどの寄合はそうして終わった。

(H23. 3.21 EOS40D撮影)