マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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ちゃんちゃん祭神幸渡御

2013年07月22日 07時48分03秒 | 天理市へ
14時頃に出発したちゃんちゃん祭の大行列。

天理市新泉町に鎮座する大和神社の春祭りである。

大和神社郷中にあたる旧村岸田町、成願寺町、萱生町、長柄町、三昧田町、新泉町、中山町、兵庫町、佐保庄町の9カ大字が勢ぞろいする。

出発間際まで神社会所で直会をされて帰路についた三昧田のN氏と出合った。

かつて神宮寺であった長岳寺の住職や丹生川上神社の神職も席についていたと話す。

この日は送迎の仕事だった。

昼過ぎに終えてようやく到着したからときすでに遅しである。

行列は総務役年預(宮総代)の先駆を先頭に、鉄棒、鉦鼓担ぎ、新泉常持の梅幹・小幣(田楽幣とも呼ぶ)持ち、大字の産子幣(うぶこへい)、新泉常持の太鼓担ぎ、猿田彦、長柄常持の錦旗、市長の乗馬、大字の産子幣が続く。

一行の列はまだまだ続く長い行列。

根超榊(ネゴシノサカキ)、神饌唐櫃担ぎ、大幣、大字の産子幣、兵庫常持の千代山鉾(かつては勅使の輿があったが消失して山鉾のみとなった)、清祓、風流傘、兵庫常持の龍頭(兵庫の世話人がつく)、大字の産子幣、馬(H25無し)、甲冑乗馬、増御子(ますみこ)社神輿、盾、矛、鞨鼓(かっこ)樂人、樂太鼓担ぎ、長柄常持の樂鉦鼓、伶人(れいじん)奏樂者、随身(ずいじん)、御本社神輿、菅翳(すげのさしは)、紫翳(むらさきのさしは)、常年預の剱(つるぎ)、長柄常持の矛、岸田常持の白・黒馬の神馬(しんめ)、宮司乗馬。

後続につくのは大字の産子幣、神職である。

お渡り一行は上街道を練り歩く。

小字馬借場の地がある大字岸田。

戦国時代のことだ。

織田家城主が築城にために現在地に遷した大和神社。

その後は城館もなくなったが、城跡地を貰った岸田はその地を馬借場と呼ぶようになった。

お渡りの一行が渡御の途中で神事を行う場がある。

そこは岸田市場の「休み場」。

神輿石と称される石の上に本社神輿を置いて兵庫の龍の口舞が行われる。

「休み場」が城跡地。

かつては上長岡と呼ばれたようである。

そのような関係があった岸田は白馬、黒馬の神馬を常持にした。

その「上長岡」名がある奈良交通のバス停留所がある地は柳本町。

北に向かう次のバス停は中山だ。

西側に向かえば上街道と交差する地点にある長岳寺五智堂。

県内では数少ない傘堂である。

その地の小字名は眞面堂。

長岳地の飛び地だそうだ。

さらに西に向かえば下長岡の小字名がある。

東に向かう道の先が長岳寺。

つまり「上長岡」集落の在所は寺の前である。

ちゃんちゃん祭のお渡りはここまでは行かない。

かつては小字馬借場で渡御を迎えた長岳寺山主、長岳寺鉦鼓とともにお渡りに加わって後続についたと伝わる。

渡御を迎えた長岳寺山主はそこから鉦を叩いて同行していたようだ。

今では加わることもなく長岳寺鉦鼓が3番手である。

お渡りの一行が国道168号線を跨ぐ辺りは西に小字地蔵田で東は三昧講だ。

大字中山辺りに入った地域である。

小字馬場脇はそこから北に200mである。

北東に向かって長閑な畑道の旧道をゆく。






大字中山にある小高い丘。

中山大塚山古墳がある小高い地の傍らがちゃんちゃん祭の神幸渡御の目的地のお旅所である。

一行が到着すれば本社神輿、増御子社神輿の両神輿を大和神社御旅所坐神社(若宮社とも)下に下ろす。

(H25. 4. 1 EOS40D撮影)