大和郡山市山田町の苗代作りは4月27日から始まっていた。
自治会長が云うには28日、29日が最盛期だったそうだ。
大安など良い日を選んで苗代マツリをすると話していたのはO家のご主人だった。
苗代作りを終えてお札を挿す。
松尾寺から授かったお札である。
前年の秋に収穫したお米を寄進したお礼に授かったお札は同寺で正月初めに行われる修正会の祈祷札である。
結界につき入堂および撮影は禁じられている修正会であるが、祈祷ご加持された牛玉宝印書は寄進者に配ると聞いている。
O家の苗代に祭られたお札がそれである。
山田町辺りの苗代を幾度となく探してみるがどこにも見当たらない。
どうやらO家の苗代だけのようである。
この年は4月30日が大安であった。
その日の朝にされたのであろう。
その際には一升のお米を一升枡に入れて奉ると話していた。
翌日の5月1日朝にはそれが見当たらなかった。
お米は奉った直後に持ち帰ったのであろう。
(H25. 5. 1 SB932SH撮影)
自治会長が云うには28日、29日が最盛期だったそうだ。
大安など良い日を選んで苗代マツリをすると話していたのはO家のご主人だった。
苗代作りを終えてお札を挿す。
松尾寺から授かったお札である。
前年の秋に収穫したお米を寄進したお礼に授かったお札は同寺で正月初めに行われる修正会の祈祷札である。
結界につき入堂および撮影は禁じられている修正会であるが、祈祷ご加持された牛玉宝印書は寄進者に配ると聞いている。
O家の苗代に祭られたお札がそれである。
山田町辺りの苗代を幾度となく探してみるがどこにも見当たらない。
どうやらO家の苗代だけのようである。
この年は4月30日が大安であった。
その日の朝にされたのであろう。
その際には一升のお米を一升枡に入れて奉ると話していた。
翌日の5月1日朝にはそれが見当たらなかった。
お米は奉った直後に持ち帰ったのであろう。
(H25. 5. 1 SB932SH撮影)