マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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御所多田の鯉幟

2013年08月27日 08時28分11秒 | 民俗あれこれ
昼食を終えた三人。

再び蛇穴に戻ろうと思ったときのことだ。

スーパーセンターオークワ御所店から遠望した先に鯉幟が見えた。

国道を越えた集落に立っている。

望遠鏡は持ち合わせてないがよくよく見れば鯉幟の支柱の頂点が羽根車でなく樹木の葉っぱのように見えた。

もしかとすれば、5年間に亘って県内で探し求めていた葉付きの鯉幟の支柱ではないだろうか。

そう判断して走っていった集落は御所市の多田(おいだ)集落。

近づくにつれてはっきりとした葉付きの支柱。

見間違いではなく本物であった。



呼び鈴を押して当主にお会いした。

貴重な鯉幟の撮影主旨を伝えて承諾を受けた。

急なことであるにも関わらずの承諾に感謝する次第である。

鯉幟の支柱は産地吉野の杉材。

太さも立派な長い支柱は、購入した木材店へお願いして昨年の5月5日に立ててもらった。

倒れないような頑丈な造りにしてもらったそうだ。

孫の誕生祝いの鯉幟の支柱の初年度は杉の葉を伐り落とさずにそのまま残しておく。

田植えが始まる前の5月末に下す鯉幟。

翌年もその鯉幟を立てるが杉の葉は伐り落としてカザグルマに替える。

つまり初誕生のほんの一時期しか見ることができない木材仕立ての鯉幟支柱。

我が家で生まれた長男のときにも立てた鯉幟。

木材ではなく金属製のポールである。

我が家の庭にその残骸がある。

流れるように泳いでいた鯉幟を見る二階の窓から抱きかかえるかーさん。

その写真を下から撮ったことを覚えている。

木材支柱の鯉幟は県内で拝見することが少なくなった現代。

多田においても15年ぶりに立てたという当主。

滅多に拝見することが難しくなってきただけに撮らせていただいたこと、感謝するのである。

昭和の初めに立てた母家の前で泳ぐ鯉幟にぶるぶると感動しながらシャッターを押した。

この日は二人目の孫誕生で、家族揃っての祝いの場であったにも関わらず了承してくださった。



多田集落を探索してみれば、もう一軒にも木製の鯉幟があったが羽根車であった。

一番下に泳ぐ小さな鯉幟は緑色だ。

二人目の男児が誕生したときに継ぎ足すと話していた様相もあった多田の鯉幟。

そういえば我が家で次男が生まれたときはどうしたのか。

思い出せないのが辛い。

蛇穴の行事を終えた夕暮れ。

再び多田を訪ねて気にかかった史跡へ。



墓地とも思える石塔婆群がある。

その場の中央にある形に目がいく。

塔身の総高は2m185cm。

方形の石塔婆に乗せた平たい石。

大きさはそれほどでもないが、その姿から勝福寺笠塔婆の名称がある。

四面とも座像仏が刻まれている。

寶珠を乗せた笠塔婆の建之は文永七年(1270)五月二日。

今から740年前の石塔婆は願主「沙弥妙蓮敬白」とあるから尼僧であったのだろう。

ちなみに蛇穴地区には鯉幟が見られない。

いつのころか判然としないが、自然消滅したと村の人が云う。

(H25. 5. 4 EOS40D撮影)
(H25. 5. 4 SB932SH撮影)