前回に聴講させていただいた天理考古学・民俗学談話会。
今回も楽しみにしていたプログラムに「誕生における絵馬奉納習俗」がある。
県内各地の神社行事をしてきた私にとっては奉納された絵馬にも興味がある。
絵馬は地域の在り方にも繋がる習俗。
今でも奉納される地域は多いが廃れた処もある。
大きな絵馬もあれば小さな絵馬も。
どのような発表をするのか興味津津である。
談話会は一般の人も聴講できるところがありがたい。
受付で資料代の500円を支払って入室する場は天理大学9号棟の「天理ふるさと会館」。
前回は随分と迷ってしまって到着する時間は開始時刻をとうに過ぎていた。
今回は送れないようにと思って早めに出かけた。
たっぷりある朝の時間帯は苗代探し。
すでに始まっている地域もある。
気になっていた奈良市窪之庄や天理市豊井町の田んぼはどのような状況であるのか、である。
2か所とも荒起こしをしているものの、作業は見られない。
少し早かったようだ。
他所も探してみたいが、ゆっくりとする時間はない。
諦めて会場を目指す。
講内に林立する銀杏の葉が大きく広がっている。
傍らに咲く白い花。藤の木であろう。
受付を済ませた会場の一角にあった展示物品に目がいった。
「越敷山(こしきさん)古墳群の発掘調査」で出土した供献土器の一部を持ってこられた特別展示品。
土師器の杯や高杯に須恵器の壺などである。
越敷山古墳群は鳥取県西伯郡伯耆町。
遠景に伯耆大山がそびえるそうだ。
米子市南部に隣接する町で、120基あまりの小規模円墳が越敷山北麓だそうだ。
土師器とともに須恵器が出土する事例は西伯耆の青木編年と陰田編年の隙間を埋める貴重な資料になるらしい。
現物を拝見する機会を設けて意見を聞きたいと持参されたのは米子市文化財団の主任調査員の佐伯純也氏。
ほぼ完全な土器は祭祀に用いられたものと推定される。
一つは一本、一本の斜めの筋を周囲に刻まれた土器。
間隔は4mmだと見えた条痕。
もう一つの土器の文様は「~」の波線だ。
一つの箇所に「~」の5本波線である。
それが上部周囲に亘って描かれている。
描いた道具は何であろうか。
閃いたのは先を割った竹ヘラ。
細く割いた竹ヘラの先を尖がらしていたのであろう。
展示は他にもある。土器の破片だ。
その一部に光沢がある緑色。
釉薬をかけたのであろう。
この時代には珍しいと話される。
こうした展示物を拝見して始まった第24回天理考古学・民俗学談話会。
天理大学の考古学・民俗学教員や卒業生が最新の研究成果や卒業論文を発表されるテーマは11。
午前午後の部に分けて報告される。
時間的な都合があったこの日の聴講は午前の部だけにした。
トップバッターは2012年卒業生の浅井裕登氏による「誕生における絵馬奉納習俗—奈良県の事例を中心に—」である。
ご本人が誕生したときに上牧町の稲荷神社に奉納された誕生絵馬に興味をもつ。
母親が出里の明日香では誕生絵馬はなかったことに疑問を抱いて県内各地の習俗事例を研究された。
報告に驚いたのは調査された数量である。
上牧町、王寺町、広陵町、河合町、川西町、三宅町、田原本町、安堵町、三郷町、平群町、斑鳩町、香芝市、大和高田市、橿原市、旧新庄町、旧當麻町、天理市、高取町、明日香村、桜井市、大和郡山市、御所市、旧大宇陀町、旧菟田野町、大淀町の412社である。
調査期間が2011年10月から2012年12月までの14カ月間の420日間。
単純計算するだけでも一日、一社を調査していたことになる。
これはすごいことである。
所在を確かめつつ地元住民の聞き取り調査もされた。
おそらくは毎日の出動ではなく、一日に数カ所を調査してきたと思われるのだが・・・。
私自身も神社のみならずお寺や地域を調査してきたが無理である。
時間的な制約もあることから車か単車移動でなければできない。
電車、バス利用の歩きでは到底間に合わない。
神社に到着しても、関係する村人すら遭遇することもままならない旧村の神社調査。
絵馬が掲げられている場といえば特別の絵馬殿に拝殿、参籠所内である。
セキュリティの関係上、扉が閉めてあって入ることさえできない神社は多々ある。
その場合は神社関係者に鍵を開けてもらわなければならない。
相当な苦労があったかと思える多量の神社調査に驚いたのである。
報告者の報告によれば絵馬の確認は目視。
写真は撮らなかったのだろうか。
一枚、一枚の絵馬を現場で見るだけでは気がつかないこともある。
細かな点はそのときには気つきに漏れがある。
私の場合は承諾を得て写真を撮らせていただいている。
枚数が多い場合は撮影に時間がかかるし、帰宅してからの画像確認も時間を要する。
報告の分析結果は勝愛するが、それだけの時間を確保することも難しい調査をされたことに感服するのである。
2番目は太田千波留氏の「共鳴するモノと記憶—中国広東省広州市における毛沢東紀念品の事例から—」。
3番目は安井眞奈美氏の「太平洋芸術祭への若者の参加—第11回ソロモン諸島大会より—」。
4番目が栗山雅夫氏の「考古学・民俗学における写真のデジタル化」であった。
文化財、考古学、民俗学の写真撮影における条件や、近年目覚ましいデジタル画像と銀塩写真の相違点、撮り方などを発表されたが今後はどう対応すべきか、期待に欠ける報告であった。
文化財の記録は直面する課題は時代の流れ。物質的金銭面である目論見は当然であろう。
予算がないということを伝えたかったのだろうか。
被写体撮影もさることながらデジタル化の最大の課題は保存である。
捉えた被写体の確保は絶対である。
複写若しくはサーバーなどのバックアップ体制の確保である。
バックアップ施設の二重化。
最新の状態に保時するコンピュータシステム運営のいろはである。
一瞬に消滅する電磁的記録の保存こそ重要な課題だと思っているのは私だけなのであろうか。
(H25. 4.27 SB932SH撮影)
今回も楽しみにしていたプログラムに「誕生における絵馬奉納習俗」がある。
県内各地の神社行事をしてきた私にとっては奉納された絵馬にも興味がある。
絵馬は地域の在り方にも繋がる習俗。
今でも奉納される地域は多いが廃れた処もある。
大きな絵馬もあれば小さな絵馬も。
どのような発表をするのか興味津津である。
談話会は一般の人も聴講できるところがありがたい。
受付で資料代の500円を支払って入室する場は天理大学9号棟の「天理ふるさと会館」。
前回は随分と迷ってしまって到着する時間は開始時刻をとうに過ぎていた。
今回は送れないようにと思って早めに出かけた。
たっぷりある朝の時間帯は苗代探し。
すでに始まっている地域もある。
気になっていた奈良市窪之庄や天理市豊井町の田んぼはどのような状況であるのか、である。
2か所とも荒起こしをしているものの、作業は見られない。
少し早かったようだ。
他所も探してみたいが、ゆっくりとする時間はない。
諦めて会場を目指す。
講内に林立する銀杏の葉が大きく広がっている。
傍らに咲く白い花。藤の木であろう。
受付を済ませた会場の一角にあった展示物品に目がいった。
「越敷山(こしきさん)古墳群の発掘調査」で出土した供献土器の一部を持ってこられた特別展示品。
土師器の杯や高杯に須恵器の壺などである。
越敷山古墳群は鳥取県西伯郡伯耆町。
遠景に伯耆大山がそびえるそうだ。
米子市南部に隣接する町で、120基あまりの小規模円墳が越敷山北麓だそうだ。
土師器とともに須恵器が出土する事例は西伯耆の青木編年と陰田編年の隙間を埋める貴重な資料になるらしい。
現物を拝見する機会を設けて意見を聞きたいと持参されたのは米子市文化財団の主任調査員の佐伯純也氏。
ほぼ完全な土器は祭祀に用いられたものと推定される。
一つは一本、一本の斜めの筋を周囲に刻まれた土器。
間隔は4mmだと見えた条痕。
もう一つの土器の文様は「~」の波線だ。
一つの箇所に「~」の5本波線である。
それが上部周囲に亘って描かれている。
描いた道具は何であろうか。
閃いたのは先を割った竹ヘラ。
細く割いた竹ヘラの先を尖がらしていたのであろう。
展示は他にもある。土器の破片だ。
その一部に光沢がある緑色。
釉薬をかけたのであろう。
この時代には珍しいと話される。
こうした展示物を拝見して始まった第24回天理考古学・民俗学談話会。
天理大学の考古学・民俗学教員や卒業生が最新の研究成果や卒業論文を発表されるテーマは11。
午前午後の部に分けて報告される。
時間的な都合があったこの日の聴講は午前の部だけにした。
トップバッターは2012年卒業生の浅井裕登氏による「誕生における絵馬奉納習俗—奈良県の事例を中心に—」である。
ご本人が誕生したときに上牧町の稲荷神社に奉納された誕生絵馬に興味をもつ。
母親が出里の明日香では誕生絵馬はなかったことに疑問を抱いて県内各地の習俗事例を研究された。
報告に驚いたのは調査された数量である。
上牧町、王寺町、広陵町、河合町、川西町、三宅町、田原本町、安堵町、三郷町、平群町、斑鳩町、香芝市、大和高田市、橿原市、旧新庄町、旧當麻町、天理市、高取町、明日香村、桜井市、大和郡山市、御所市、旧大宇陀町、旧菟田野町、大淀町の412社である。
調査期間が2011年10月から2012年12月までの14カ月間の420日間。
単純計算するだけでも一日、一社を調査していたことになる。
これはすごいことである。
所在を確かめつつ地元住民の聞き取り調査もされた。
おそらくは毎日の出動ではなく、一日に数カ所を調査してきたと思われるのだが・・・。
私自身も神社のみならずお寺や地域を調査してきたが無理である。
時間的な制約もあることから車か単車移動でなければできない。
電車、バス利用の歩きでは到底間に合わない。
神社に到着しても、関係する村人すら遭遇することもままならない旧村の神社調査。
絵馬が掲げられている場といえば特別の絵馬殿に拝殿、参籠所内である。
セキュリティの関係上、扉が閉めてあって入ることさえできない神社は多々ある。
その場合は神社関係者に鍵を開けてもらわなければならない。
相当な苦労があったかと思える多量の神社調査に驚いたのである。
報告者の報告によれば絵馬の確認は目視。
写真は撮らなかったのだろうか。
一枚、一枚の絵馬を現場で見るだけでは気がつかないこともある。
細かな点はそのときには気つきに漏れがある。
私の場合は承諾を得て写真を撮らせていただいている。
枚数が多い場合は撮影に時間がかかるし、帰宅してからの画像確認も時間を要する。
報告の分析結果は勝愛するが、それだけの時間を確保することも難しい調査をされたことに感服するのである。
2番目は太田千波留氏の「共鳴するモノと記憶—中国広東省広州市における毛沢東紀念品の事例から—」。
3番目は安井眞奈美氏の「太平洋芸術祭への若者の参加—第11回ソロモン諸島大会より—」。
4番目が栗山雅夫氏の「考古学・民俗学における写真のデジタル化」であった。
文化財、考古学、民俗学の写真撮影における条件や、近年目覚ましいデジタル画像と銀塩写真の相違点、撮り方などを発表されたが今後はどう対応すべきか、期待に欠ける報告であった。
文化財の記録は直面する課題は時代の流れ。物質的金銭面である目論見は当然であろう。
予算がないということを伝えたかったのだろうか。
被写体撮影もさることながらデジタル化の最大の課題は保存である。
捉えた被写体の確保は絶対である。
複写若しくはサーバーなどのバックアップ体制の確保である。
バックアップ施設の二重化。
最新の状態に保時するコンピュータシステム運営のいろはである。
一瞬に消滅する電磁的記録の保存こそ重要な課題だと思っているのは私だけなのであろうか。
(H25. 4.27 SB932SH撮影)