葛城市の脇田へ向かう道中に見つけた地蔵盆。
ひとつは葛城市西辻の地蔵盆だ。
周りは田畑でぽつんと建っていた。
18時には近くのお寺さんが来られて法要をされていた。
西辻は葛木坐火雷神社の郷村の一つ。
平成15年7月17日に撮った葛木坐火雷神社の夏越し十二振提灯を思い出した。
写真をよくよく見れば村人が伊勢音頭を唄っているのだ。
ずいぶん前の様相を思い出す。
西辻からほどない距離にあったのは御所市櫛羅の地蔵盆。
子供が数人着ているように見えた。
いずれも移動中の車窓から拝見した。
同じ御所市内であっても五條市寄りの鴨神や西佐味では地蔵盆を見たことがないと云っていた。
脇田に到着するまでの時間は下見の時間。いずれは訪れてみたいものだ。
こうした下見を終えて脇田に鎮座する脇田神社に到着した。
拝殿奥にある本殿前にはすでに御供が並べられていた。
畑におられた婦人に十二振提灯の件を尋ねた返答は「今日でしたっけ」。
話によれば、脇田大字の4組が毎年交替する当番組制。
4年に一度であることからなのか、外れの組になれば関心は薄くなるようだと話していた。
提灯は旧公民館前で組み立てると聞いて急行する。
散歩していた77歳の婦人の話しによれば、17日の夏越には郷社の葛木坐火雷神社に提灯を担いで、オンド(音頭)をとって献灯しにでかけていると云う。
「オンドさんはかつて長老が唄ってはったけど、今では唄っていないと思います」と云う。
話しの場に単車でやってきたのは区長さん。
「神饌の鯛だけは予め供えることができへんから買ってきた」と云って神社に走っていった。
主垣内の森垣内に集中している脇田は旧村40戸であったが、新家(分家)も建つようになって現在は70戸にもなったと云う。
地図表記では脇田神社となっているが、本来は脇田天満宮だと話す。
葛城市笛吹は江戸初期に脇田から分離独立した。
寛永年間(1624~)には脇田上之村とあり郡山藩領。
葛木坐火雷神社(通称笛吹神社)の夏越祭には神社の郷村にあたる脇田からも十二振提灯が献灯される。
この日は地元脇田の天満宮に十二振提灯を献灯する。
旧公民館に収納していた提灯をだして組み立てる。
隣に新公民館が建ったことによって旧公民館は倉庫代わりになったと云う。
手尺で測った竿の長さはおよそ440cm。
提灯を吊るす水平棒は一番上が110cmで中・下は270cmだった。
提灯の文字は「御神燈」、「脇田氏子」。
上から2個、4個、6個の十二振提灯である。
水平棒は竿に挿し込むようになっている。
動かないように水平棒の端を紐で括って固定する。
斜め状態にした提灯に長目のローソクを入れて灯す。
提灯の内部は溶けた蝋がいっぱい溜まっていた。
斜めにする機会が多く、その都度、溶けた蝋が提灯に落ちて固まっているのだ。
内部を拝見したのは初めて。状況がよく判った。
今年の担当当番組は2組。
4年に一度の廻りの組当番は17日の葛木坐火雷神社夏越献灯に東へ900mも歩いたと云う。
組立てが終わるころには村の人や子供たちも大勢やってきた。
18時40分ころに発令されたサイレンを聞きつけてやってきたようだ。
組の人が持ってきたカセットテープを鳴らしていた。
曲は伊勢音頭であるが、チャンチャン鉦のお囃しが聞こえる。
音頭を歌う人の声は明らかにプロの歌手。
「こんな上手いこと歌えることはない、市販の伊勢音頭だ」と組の人は種明かし。
提灯を担いで出発する時間は陽が落ちた19時20分だった。
カセットテープが音頭取りをしていた。
新公民館の前で立ち止まった十二振提灯。
その場で聞こえてきた伊勢音頭は生唄だ。
歌詞カードを見ながらではあるが、区長が歌う生唄に感動する。
「50年前は長老さんやった。もっと上手に歌っていた」と老婦人たちが話すが、なかなかのえー声だった。
1曲唄って再び提灯のお渡り。
次の場は旧街道の辻。
そこでも1曲。
次は地蔵さんの前で1曲。
止まっては歌う生唄の伊勢音頭。
周りの男性たちは「あれわいせ これわいせ・・・よーいんとせー」と囃した。
提灯担ぎはさらに東進されて、ここでも1曲。
ライトが照らされて夕闇に浮かび上がった脇田天満宮。
これより十二振提灯の宮入りが始まる。
それより先に歌われるのはこれまで同様の伊勢音頭。
夕闇でこの先は見えないが、鳥居の南の新道舗装路向こう側に記念の「奈良の八重桜」が植樹されていることを知る人は多くない。
1曲唄って宮入りをするが、鳥居が低いことから宮入りされるのもひと苦労する。
杭に括りつけて始まった夏越祭。
境内に集まった村人は60人余りの老若男女。
境内で立ち見する。
拝殿に登るのは区長や神社役員の3人だけだ。
何組かが鈴を鳴らして参拝された。
健康で夏を越せるようにと葛木坐火雷神社宮司の持田さんが境内に集まった村人たちに幣で祓ってくださる。
脇田の夏越行事は健康で夏を越す祈願祭である。
神事を終えれば数人の村人が伊勢音頭を生唄で披露した。
お下がりのお菓子を貰って帰る子供たちはあっと云う間に去っていった。
(H26. 7.24 EOS40D撮影)
ひとつは葛城市西辻の地蔵盆だ。
周りは田畑でぽつんと建っていた。
18時には近くのお寺さんが来られて法要をされていた。
西辻は葛木坐火雷神社の郷村の一つ。
平成15年7月17日に撮った葛木坐火雷神社の夏越し十二振提灯を思い出した。
写真をよくよく見れば村人が伊勢音頭を唄っているのだ。
ずいぶん前の様相を思い出す。
西辻からほどない距離にあったのは御所市櫛羅の地蔵盆。
子供が数人着ているように見えた。
いずれも移動中の車窓から拝見した。
同じ御所市内であっても五條市寄りの鴨神や西佐味では地蔵盆を見たことがないと云っていた。
脇田に到着するまでの時間は下見の時間。いずれは訪れてみたいものだ。
こうした下見を終えて脇田に鎮座する脇田神社に到着した。
拝殿奥にある本殿前にはすでに御供が並べられていた。
畑におられた婦人に十二振提灯の件を尋ねた返答は「今日でしたっけ」。
話によれば、脇田大字の4組が毎年交替する当番組制。
4年に一度であることからなのか、外れの組になれば関心は薄くなるようだと話していた。
提灯は旧公民館前で組み立てると聞いて急行する。
散歩していた77歳の婦人の話しによれば、17日の夏越には郷社の葛木坐火雷神社に提灯を担いで、オンド(音頭)をとって献灯しにでかけていると云う。
「オンドさんはかつて長老が唄ってはったけど、今では唄っていないと思います」と云う。
話しの場に単車でやってきたのは区長さん。
「神饌の鯛だけは予め供えることができへんから買ってきた」と云って神社に走っていった。
主垣内の森垣内に集中している脇田は旧村40戸であったが、新家(分家)も建つようになって現在は70戸にもなったと云う。
地図表記では脇田神社となっているが、本来は脇田天満宮だと話す。
葛城市笛吹は江戸初期に脇田から分離独立した。
寛永年間(1624~)には脇田上之村とあり郡山藩領。
葛木坐火雷神社(通称笛吹神社)の夏越祭には神社の郷村にあたる脇田からも十二振提灯が献灯される。
この日は地元脇田の天満宮に十二振提灯を献灯する。
旧公民館に収納していた提灯をだして組み立てる。
隣に新公民館が建ったことによって旧公民館は倉庫代わりになったと云う。
手尺で測った竿の長さはおよそ440cm。
提灯を吊るす水平棒は一番上が110cmで中・下は270cmだった。
提灯の文字は「御神燈」、「脇田氏子」。
上から2個、4個、6個の十二振提灯である。
水平棒は竿に挿し込むようになっている。
動かないように水平棒の端を紐で括って固定する。
斜め状態にした提灯に長目のローソクを入れて灯す。
提灯の内部は溶けた蝋がいっぱい溜まっていた。
斜めにする機会が多く、その都度、溶けた蝋が提灯に落ちて固まっているのだ。
内部を拝見したのは初めて。状況がよく判った。
今年の担当当番組は2組。
4年に一度の廻りの組当番は17日の葛木坐火雷神社夏越献灯に東へ900mも歩いたと云う。
組立てが終わるころには村の人や子供たちも大勢やってきた。
18時40分ころに発令されたサイレンを聞きつけてやってきたようだ。
組の人が持ってきたカセットテープを鳴らしていた。
曲は伊勢音頭であるが、チャンチャン鉦のお囃しが聞こえる。
音頭を歌う人の声は明らかにプロの歌手。
「こんな上手いこと歌えることはない、市販の伊勢音頭だ」と組の人は種明かし。
提灯を担いで出発する時間は陽が落ちた19時20分だった。
カセットテープが音頭取りをしていた。
新公民館の前で立ち止まった十二振提灯。
その場で聞こえてきた伊勢音頭は生唄だ。
歌詞カードを見ながらではあるが、区長が歌う生唄に感動する。
「50年前は長老さんやった。もっと上手に歌っていた」と老婦人たちが話すが、なかなかのえー声だった。
1曲唄って再び提灯のお渡り。
次の場は旧街道の辻。
そこでも1曲。
次は地蔵さんの前で1曲。
止まっては歌う生唄の伊勢音頭。
周りの男性たちは「あれわいせ これわいせ・・・よーいんとせー」と囃した。
提灯担ぎはさらに東進されて、ここでも1曲。
ライトが照らされて夕闇に浮かび上がった脇田天満宮。
これより十二振提灯の宮入りが始まる。
それより先に歌われるのはこれまで同様の伊勢音頭。
夕闇でこの先は見えないが、鳥居の南の新道舗装路向こう側に記念の「奈良の八重桜」が植樹されていることを知る人は多くない。
1曲唄って宮入りをするが、鳥居が低いことから宮入りされるのもひと苦労する。
杭に括りつけて始まった夏越祭。
境内に集まった村人は60人余りの老若男女。
境内で立ち見する。
拝殿に登るのは区長や神社役員の3人だけだ。
何組かが鈴を鳴らして参拝された。
健康で夏を越せるようにと葛木坐火雷神社宮司の持田さんが境内に集まった村人たちに幣で祓ってくださる。
脇田の夏越行事は健康で夏を越す祈願祭である。
神事を終えれば数人の村人が伊勢音頭を生唄で披露した。
お下がりのお菓子を貰って帰る子供たちはあっと云う間に去っていった。
(H26. 7.24 EOS40D撮影)