瀧倉の華参りの在り方を拝見して三谷に向かった。
1日から15日まで毎日当番の人がシキビを供えるって聞いていた。
『桜井市文化叢書 民俗編』によれば、2週間に亘ってシキビの葉を供える三谷の風習を「花つみまつり」と書いていた。
氏神さんの菅原神社に四本の竹を立てて簾の台を設える。
スダレ台は今では構造物になったが、台部分は簾のような形である。
一日、三回もシキビを仕替える。
『桜井市史 民俗編』では、葛つみ(花つみ)講による行事であったようだ。
8月1日から14日までの毎日。
文化叢書と同様に一日三回もシキビを取り替えていた。
3回目の晩は燈明に火を灯して拝んでいた。
葛つみ講には大字の人の名を記した「花つみ札」があった。
参拝すれば、そのお札を納める箱に入れた。
14日の参拝を終えた人は札箱ごと家に持ち帰って保管する。
翌年に回された隣家が1日に参るということである。
1日から始められると知ったのは平成24年7月28日だった。
その日は「お庭造り」と称して境内を清掃するなどお盆に入る前に村の所用な場を整えておく日だった。
清掃を終えるころに前述したシキビ台を調えていた。
台の呼び名は「ハナツミ」である。
午後を過ぎた時間帯の三谷。
昨年と同様に花つみ台を設えていた。
台の下の籠には葉付きシキビが数本納めてあった。
花つみ台の上には枝付きシキビが17本。
葉の枚数はおよそ90枚だった。
毎日を一日交替で毎朝、毎晩に当番の人がシキビの葉を並べると話していた昨年。
縦に9枚、横に9枚を並べて合計81枚のシキビの葉であるが、どうも枚数が違うように思えて仕方がない。
(H26. 8. 1 EOS40D撮影)
1日から15日まで毎日当番の人がシキビを供えるって聞いていた。
『桜井市文化叢書 民俗編』によれば、2週間に亘ってシキビの葉を供える三谷の風習を「花つみまつり」と書いていた。
氏神さんの菅原神社に四本の竹を立てて簾の台を設える。
スダレ台は今では構造物になったが、台部分は簾のような形である。
一日、三回もシキビを仕替える。
『桜井市史 民俗編』では、葛つみ(花つみ)講による行事であったようだ。
8月1日から14日までの毎日。
文化叢書と同様に一日三回もシキビを取り替えていた。
3回目の晩は燈明に火を灯して拝んでいた。
葛つみ講には大字の人の名を記した「花つみ札」があった。
参拝すれば、そのお札を納める箱に入れた。
14日の参拝を終えた人は札箱ごと家に持ち帰って保管する。
翌年に回された隣家が1日に参るということである。
1日から始められると知ったのは平成24年7月28日だった。
その日は「お庭造り」と称して境内を清掃するなどお盆に入る前に村の所用な場を整えておく日だった。
清掃を終えるころに前述したシキビ台を調えていた。
台の呼び名は「ハナツミ」である。
午後を過ぎた時間帯の三谷。
昨年と同様に花つみ台を設えていた。
台の下の籠には葉付きシキビが数本納めてあった。
花つみ台の上には枝付きシキビが17本。
葉の枚数はおよそ90枚だった。
毎日を一日交替で毎朝、毎晩に当番の人がシキビの葉を並べると話していた昨年。
縦に9枚、横に9枚を並べて合計81枚のシキビの葉であるが、どうも枚数が違うように思えて仕方がない。
(H26. 8. 1 EOS40D撮影)