枡型弁天一万度祭を終えたオトナ衆の一人が、この行事名になっている弁天社がある地を案内してくださった。
八幡神社より下った地ではあるが、周回道路までは行かない。
中腹にあるという弁天社はどうも判り難い地にあるようだ。
その地に近い処に住んでいる者でないとたぶんに見つからない弁天社は手前に手水鉢がある。
吊るしてあるタオルは米寿を祝ったときに奉納されたもの。
八幡神社にも同じ長寿祝いのタオルがある。
社は階段を登った処に鎮座していた。
灯籠に「辯財天」の刻印がある。
まぎれもない弁天社は石造りヤカタ風仕立てのように思えた。
弁天社を祭る講中は弁天講。
桃香野住民のうち40戸が講中になっているようで、3カ月に一度の割合で行事を営んでいる。
この日に教えていただいた行事は4月5日。
もう一つは7月7日の昼前に集まって参拝するらしい。
その日のお供えはハッタイコをお酒で練ったもの。
どのような形状になっているかは拝見してみなと判らない。
社の下に深い井戸がある。
透き通るような水が溜まっていた。
簡易的な屋根は男性が設えたそうだ。
その右上にあったのが一枚岩に刻まれた仏の群像図。
文字もあるが、それらは個人所有の石仏線刻に戒名を刻んでいるという。
桃香野は五つの垣内に区分けされている。
弁天社がある処は下出。
桃香野の地はここが最初にできた村だと弁天講の男性が云う。
下出から中村、上出に脇谷もあれば西出もある五垣内である。
(H28. 5. 5 EOS40D撮影)
八幡神社より下った地ではあるが、周回道路までは行かない。
中腹にあるという弁天社はどうも判り難い地にあるようだ。
その地に近い処に住んでいる者でないとたぶんに見つからない弁天社は手前に手水鉢がある。
吊るしてあるタオルは米寿を祝ったときに奉納されたもの。
八幡神社にも同じ長寿祝いのタオルがある。
社は階段を登った処に鎮座していた。
灯籠に「辯財天」の刻印がある。
まぎれもない弁天社は石造りヤカタ風仕立てのように思えた。
弁天社を祭る講中は弁天講。
桃香野住民のうち40戸が講中になっているようで、3カ月に一度の割合で行事を営んでいる。
この日に教えていただいた行事は4月5日。
もう一つは7月7日の昼前に集まって参拝するらしい。
その日のお供えはハッタイコをお酒で練ったもの。
どのような形状になっているかは拝見してみなと判らない。
社の下に深い井戸がある。
透き通るような水が溜まっていた。
簡易的な屋根は男性が設えたそうだ。
その右上にあったのが一枚岩に刻まれた仏の群像図。
文字もあるが、それらは個人所有の石仏線刻に戒名を刻んでいるという。
桃香野は五つの垣内に区分けされている。
弁天社がある処は下出。
桃香野の地はここが最初にできた村だと弁天講の男性が云う。
下出から中村、上出に脇谷もあれば西出もある五垣内である。
(H28. 5. 5 EOS40D撮影)