マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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稲渕・苗代のごーさん立て

2016年11月04日 09時23分14秒 | 明日香村へ
室町時代後期の武将である太田道灌の逸話古歌に「七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき」の句があると田主のTさんが云った。

「実の」は「蓑」をかけて出せる雨具はないということであるが、「山吹の花」には実がならんと話していた。

実は稔り。

春に稲籾を植えれば苗が育つ。

やがて秋には穂に稔り。

そういう話題を提供しながらモミオトシ作業に入った。

田主のTさんと初めての出会いは平成25年の4月3日だ。

前年の平成24年4月14日に南渕請安墓所で行なわれた旧暦閏の庚申さんの行事(地元ではモウシアゲと呼ぶ)に撮らせてもらった写真をもって地元産の野菜などを売っている場にいたときのことだ。

いつも行事のことなどを教えてくださるUさんと話していたときに来られた村の人。

それがTさん。

毎年の正月初めにドウコウ(堂講)のオコナイがあると話してくれた。

その行事は平成26年の1月13日に取材させてもらった。

この行事でたばったお札は苗代作りを終えたときに立てると云っていた。

それを拝見したくてこの日にようやく拝見する。

お会いしてから実に3年目である。

今年もドウコウのオコナイをしたからと云って持ってきてくれたお札。

色落ちしないように新聞紙に包んで大切に保管していたお札はこれだと云って広げてくれる。



近くで採ってきたススンボの竹にお札を挟んでおく。

Tさんの姉弟は同じ大字の稲渕に住んでいる。

人手があれば苗代作りの作業は捗る。

それもあるが、家族・親戚が食べる分だけを育苗する作業は手伝いがあれば効率がよく、負担は分散されるということである。

多くの農家ではどことも息子や娘家族に親戚が応援の作業をしている。

育苗する品種はヒノヒカリ。

奈良県推奨の品種である。



予めモミオトシしていた苗箱に消毒剤をジョウロで流す箱もあるが、この日は前日までに終えることができなかったモミオトシ作業の続行である。

モミオトシをする機械はヰセキ製の播種覆土機。

播種もするし覆土もする複合機の型番はG-1Kだ。

手回しハンドルを回して動かすシンプルな構造の手動式機械。

調製どころもある機械は目詰まりしないように何度か動かして毀れ具合、というか落としどころ判断しながら調製する。

これまで何カ所かで行われていたモミオトシ作業を拝見したことがある。

どこでも同じだと思うが違った方法でしている処があれば伺いたいと思う。

まずは、平たい苗箱に土を入れる。

袋から取り出して苗箱に投入する。

スコップで入れるにはわりあい手間がかかる。

土を掬って袋から取り出す。

落とさないように水平にスコップを保ちながら取り出す。

そして、毀れないように苗箱に落とす。

何度も、何度も土を掬って箱に落とす。

このままでは平坦になっていない。

しかも四隅は土が混ざらずに空間ができる。

その空間に手で寄せて空間を埋める。

ざっと、そうしたところでこれを平坦にする。

二日前に立ち寄った橿原市大谷町。

今年も苗代に並べる苗箱に土入れをしていたT夫妻。

この角の処を埋めるのに手間がかかると話していた。

土入れした苗箱の土は凸凹。

これを平らにするには定規がいる。

箱の幅に合わせて作った定規を苗箱に沿って浚えるように動かす。

それで平坦になるが、やはり角は凹みがでてしまう。

気にかかるそこに目を瞑ることなく少しだけ土をいれて補充。

そして定規で浚える。

低姿勢でする作業は夕方までには終わるだろうと話していた場は農の作業小屋だ。

稲渕のTさんらも同じように農作業小屋でしていたようだ。

何枚も何枚も土入れした苗箱が揃えばモミオトシ作業。

出番の機械が播種覆土機。である。

大きな口を開けたジョウロに稲籾を入れる。

その稲籾が落ちる大きさに合わせて開口部を調製する。

微妙な開き具合である。

用意した苗箱すべてが終われば次の行程に移る。

播種覆土機の開口部はまたもや調整する。



今度は粒状培土。

この年は二種類の培土を利用された。

茶色、黒色で違いが一目でわかるが、効能はどうなんだろうか。

ちなみにモミオトシした苗箱は145枚。

家族、親戚が食べる量になるそうだ。

モミオトシの作業中にしなければならない作業がある。

作業といっても水をせき止めていた堰を外すことだ。



堰を開けて水路から流れる水を田んぼに流し込む。

雨も降らずに乾いた田んぼでは流し込んだ水は地下に吸い込まれていく。

カラカラ具合がいくらか消えて田んぼの土の色が変わる。

それからしばらくしてようやく水が溜まっていく。

ようやくと云っても面積によって時間に幅がある。

モミオトシした苗箱の土は消毒しておく。

今回、利用した消毒剤は農林水産省登録の「タチガレエース」。

稲が立ち枯れしないように願ったネーミングだと思った。

「タチガレエース」は「水稲用 植物成長調製剤・殺菌剤」だ。

貼ってあるラベルにそう書いてあった。



田んぼに水が浸みこんで苗床に水が溜まる。

堰を開けてからおよそ40分もかかった。

苗床に穴あきシートを敷く。

これがあれば張った根が剥がれやすい。

下地ができあがれば苗箱を運ぶ。



運搬する人。

苗箱を手渡す人。



受け取った苗箱を苗床に据える人。

畦道は踏み外しやすい。

苗箱はけっこーな重さがあるから二枚重ね運びはあまり見かけない。

一輪車に積んで、という処もあるが、ガタガタ畝では倒れる可能性が高い。

せっかく落とした籾は土ごと零してしまうこともある。

そういうわけで手で抱えて運ぶ。

その方が効率的なのであろう。

苗床に据えていくにつれて移動するが、苗床は泥田。

足がどっぷり浸かって動きにくい。

すり足の移動ではなく、足を揚げて一歩、一歩の移動である。

それに併せて軽トラに積んだ苗箱も移動。

徐々に車を動かす。

その場を後ろ向きで耕運機を操作する村の人。



バック、バックで移動した先はかつてシイタケ栽培をしていた小屋。

木材などを運ぶに吊り上げる機械も設備していたという。

溜めた水瓶にポンプを落として働いていた耕運機の水洗いをしていた。

その間も苗箱並べ作業をしているTさんら。

並べる苗床は二列目に移っていた。

この日はどこともピーカン照り。

5月初日は朝から汗が噴き出るほどの暑さ。

最高気温は26度にも昇った。

翌日の2日は夏日満開の30度に比べれば少しはましだが・・・。

ふと振り返った元シイタケ栽培の小屋。

耕運機洗いを終えた場に水を張ったバケツがある。

そこに漬けこんでいた2種類の植物がある。

一つはシャガの花。

葉っぱも浸けている。

もう一つは何だろうか。



要望に応えてその植物を引き上げてくれた。

その名はカワヤナギ。

ドウコウのオコナイでも用いられた道具である。

オコナイにお札が登場する。

版木で刷ったお札は飛鳥川で採取したカワヤナギの枝に挟んでいた。

カワヤナギは流れに強い植物。

流れが強かってもしなやかなにまかす。

それはともかくバケツから引き上げたカワヤナギに白い根っこが何本も生えている。



太い根は主根。

主根に毛のような根がある。

それは毛細根。

主根は水揚げする役目。

毛細根は栄養分をすい揚げて育つと教わった。

カワヤナギの話題をしている最中も苗代作業は続行中。



肥料を苗箱に落としていた。

足が沈むような泥田に入る場合は「アユミ」を敷いて歩いていたそうだ。

その「アユミ」板は作業場横に立ててあった。

そして、ロール状にしておいた新聞紙を苗箱に落とす。



それと同時に黒い寒冷紗も被せていく。

敷いた後から竹ヒゴのような細長い棒を苗床に並べていく。

寒冷紗の端っこは手で掬った泥塊で固める。

飛ばないようにするためだが、竹ヒゴも同じ役目にしているそうだ。

出来上がった苗床には鳥獣除けの細工もある。

苗床周りの角ごとに細長い鉄筋を立てる。

テグス糸のような細い糸をそこに括って周囲を張る。



高さはかなり低い。

その意図はカモ避け。

カモの体長に合わせた高さに張り糸を巡らす。

苗床の溝にも入らないようにして作業を終えた。

昼は過ぎることもあると話していたが、作業は順調に捗って丁度の昼過ぎ。

息子さんはそこらに生えている花が咲いた野の植物を採ってきた。

水口付近の苗床の角にススンボに挟んだドウコウのオコナイのお札を立てた。



その場に摘んできた野の花のイロバナも添えた。

畑の向こう側に咲いたツツジ花が彩っていた。

豊作を願ったごーさん立てはこうして終えた。



かつてはここに松苗も立てていたと云う。

稲渕の氏神さんは飛鳥川上坐宇須多伎比売命(あすかかわかみにますうすたきひめのみこと)神社。

稲渕、栢森、入谷、畑の4ケ大字の氏神さんは郷社である。

最近は配ることもなくなったという「ナエノマツ」があった。

Tさんはそう云った。

隣村というか、村内の大字飛鳥に鎮座する飛鳥坐神社で行われるオンダ祭に奉られる御供に松苗がある。

その松苗は郷中の神社役員が配っていたような記憶があるらしいが、30年前のこと。

随分前のことだけにあやふやであるが、Tさんらは「ナエマツ」或は「ナエノマツ」と呼んでいた。

松葉を束にした「ナエマツ」は紙に包んでいた。

「ナエマツ」は苗代を作った際に水口に立てていたようである。

「松」で作った模擬苗の「稲苗」。

妙に云い得ている「ナエノマツ」の呼び名だと思った。

苗代田ができあがったら水口の樋を開けて水を流し込む。

「苗床が浸かり過ぎてもあかんし、浸からんかっても、乾きがでて苗が育たない」という、

微妙な堰の調整がいる。

稲渕では田んぼの「棚田オーナー制度」がある。

平成6年ころに始まったオーナー制度は苗作りから収穫までの「たんぼコース」や稲刈り・脱穀体験の「トラストオーナー」、野菜に花造りの「はたけコース」があるようだ。

田飢え体験は平成6年、コンバインは10年前。

手刈り・ハザカケもしているオーナー制度であるが、豊作の願いをすることはない。

指導している村の人は60歳辺り。

「ナエノマツ」も知らないし、イロバナも・・という高齢者。

いつしか記憶も途絶える可能性があるだろうに。

作業の合間に小正月のトンド焼きとそれに伴うアズキガユのことを話してくださったTさん。

トンド焼きは1月14日の夜。

燃えたトンドの火を持ち帰ってアズキガユを炊いて作る火にした村の人は松明に火を移して持ち帰ったようだ。

T家では翌朝の1月15日の朝。

起きてからオコナイでたばったカワヤナギ正月を飾った注連縄を屋敷庭の「カド」に立ててトンド焼きした。

ヤナギの枝を立てるのは奥さんの役目だと云う。

(H28. 5. 1 EOS40D撮影)