マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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堺・大浜を眺める

2016年11月03日 09時34分59秒 | もっと遠くへ(大阪編)
この町のどこかでコイノボリが泳いでいる。

さあて、虫眼鏡で探してみるか。

ここは南海本線堺駅の南や東側を流れる堀川(大阪府堺市堺区)。

右下手前も泳いでいるコイノボリ。

旧堺港を結ぶ堅川(たてかわ)、内川を遊覧する観濠クルーズが運航(土・日・祝日)しているところのコイノボリもNPO法人の堺観光ボランテイアの活動の一つ。

こうして上から眺める堺の街。

都会そのものである。

50云年以上も前。

自宅から自転車に跨ってここまでしょっちゅう来ていた。

家は大和川を越えた市営住宅だった。

当時の面影はどこへ行ったやら、の都会である。

遙か遠くを眺めるか、それとも眼下の風景を見下ろすか・・・。

白いボートもあれば漁船に輸送船も廻送する。



港は昔も今も美しい。

左に懐かしい大浜公園がある。

平成25年4月28日に訪れたが今年はなくなく他所へ行く。

香りが公園中に広がるように感じたフジの香りがたまらない。

ここへ来るたびに思い出す身体の創。

中学生時代のころだ。

近所のガキ連とともに自転車でやってきた大浜公園は閉園していた。

なぜか猿山には何匹かの猿が住んでいた。

傍にはガラス張りのドームがあったように思える。

塀を乗り越えて建物に侵入した。

辺りにあった梯子を架けて登った。

そのときのことだ。足をかける部材が重さに耐えかねたのか、それとも腐っていたのか、バキバキと音をたてて崩れた。

足場の水平材は両端とも長い釘で固定していた。

水平材は壊れても釘はまっすぐな形で残っていた。

太ももに激痛が走る。

釘が右足、左足とも創をつけた。

太ももは真っ赤な血が流れた。

たまたま持っていたタオルで足を縛った。

血止めの方法である。

ガキ連の探検はそこで終わった。

足早に自宅に戻った。

直ちに畠中先生ちに走って消毒などの手当てをしてもらった。

あれから53年。

創の痕跡はすっかり消えている。

(H28. 4.30 SB932SH撮影)

利便性が良い街

2016年11月03日 09時27分01秒 | メモしとこっ!
おふくろが一人住まいしている大阪市営住宅。

生まれ故郷の市営住宅は戦後に建った戦災罹災者向けの木造住宅だった。

大阪と堺の間を流れる大河は一級河川の大和川。

源流は奈良県にある。

市営住宅はその川の北側に位置することから大和川住宅と呼ばれている。

私が結婚したころはまだ木造住宅だった。

数年間をかけて建て替える計画があった。

そのころに結婚した。

新居はここではなく3畳と6畳二間の文化住宅だった。

叔父叔母が経営する文化住宅に一年間ほど住まいした。

建替えた大和川住宅は5階建ての集団型鉄筋コンクリート造りになった。

管理開始年度は昭和49年。

新築できたてのときに入居した。

そういう約束だった建替えやむない住民優先事業に乗っかった。

当時は自家用車も乗っていた。

駐車場は割り当てられた住宅内の道路だ。

通行を妨げない道幅を確保しつつ住居者のマイカーに対応する。

区割りは白線で引いただけの場である。

暮らした数年後に現在住まいする奈良県に引っ越したが、おふくろは気がねない一人住まいが良いと云ってここに住んでいる。

住まいは別居という形であるが子供が小さいころは家族が泊まり。

狭い部屋だったが温かみがある環境下にあった。

そのころから気になりだした駐車場である。

住民は割り当てがあるが、お客さん用の駐車場はごく僅か。

幾度となく里帰りする家族は増えていったが駐車場の数は増えることはなかった。

住宅内に僅かな空きスペースがあった。

泊まりのときはそこに停めたがいつしか煩くなった。

住宅外には流行りのタイムパーキングもない。

住民に迷惑をかけず、しかも安心して停められる場はない。

用事が済むまでは車内で待機せざるを得なかった。

その時点では空いている場に停めて待っていた。

だが、本来の利用者が戻って来られたら場を移動する。

厄介な住宅の駐車スペースが一変していた。

案内看板をみれば駐車場の有料化である。

徐々に段階を経て工事が進んでいる。

これなら安心。

心置きなく停めることができる。

大和川住宅の南側は大和川の堤防がある。

川を隔てた向こう側は堺市の鉄砲町。

数年前から大工事していたダイセル堺工場の跡地。

ダイセルは大日本セルロイド株式会社の略称。

ダイセル株式会社の商号になったのは昭和41年だった。

中学生から高校生になるころだ。

その後の昭和57年8月に爆発事故が発生板。

一人住んでいたおふくろは大地震が起きたと思えるぐらいの揺れに天井に吊るしていた電灯が落下したのにびっくりした。

平成19年、阪神高速道路大和川線の予定地になり工場閉鎖。

それから9年後に開店した大型スーパー。

イオンスタイル堺鉄砲町の誕生である。

物珍しさもあって開店した当初に歩いてでかけたおふくろ。

近距離であるのに時間がかかったという。

住宅から歩きは近いようで遠い。

住宅からでかけてスーパーへ行く買い物客は自転車。

今までみたこともない大量の住民が往来する。

車から拝見した感じでは若い婦人。

子供用の椅子がある自転車ばかり。

利便性があると判れば暮らしやすい。

木造住宅地で育った子供の頃。

遊び場はご近所。

住宅地内もあるが、砂場が多かった大和川も多かった。

筏代わりの畳を浮かべて遊んだこともある。

泳いだこともある大和川は天然の鰻もいた。

多くの稚魚が遡上していたことを覚えている。

それはともかく本料理なにわの和食を食べた帰り道の寄り道に立ち寄るイオンスタイル堺鉄砲町。



平成28年3月19日がグランドオープンだ。

イオングループであるなら売っているものは同じと思っているがそうではない。

何割がたは同じであるが、ちょこちょこ違う。

大和郡山のイオンモールや富雄南のイオンタウンで買い物をすることがあるからだいたいが判る。

が、である。

さすがに堺の鉄砲町。

岸和田にしか売っていないB級グルメがある。

「かしみん焼き」だ。

「かしわ(ヒネ鶏)のみんち(ミンチ肉)焼き」を短くした商品名。

かしわ入りの洋食焼きである。

これが食べたかったとかーさんに伝えたら欲しくないような顔をした。

残念、であるが、「かしみん」を売っているのは海側の町である。

いろいろ見ては買いたくなる商品がとにかく多い。

じっと我慢で店を出た。

(H28. 4.30 SB932SH撮影)