甘茶の原料は宇陀市大宇陀上中、通称松山街道にある和漢生薬研究所の平五薬局で買った極上の国産甘茶。
買ったのは昨年。
袋から取り出してアマチャに使ったのは1/4程度だったそうだ。
この日も総量の1/4を取り出した甘茶でアマチャを煮だした。
村人が参拝にくるのは午後であるが、アマチャを作っていたのは午前10時。
甘茶の葉を袋から取り出して水に浸ける。
しばらくそうして11時に沸騰させて煮つめる。
そうしたらすぐにでも茶葉をあげる。
15分ぐらいグツグツ煮れば色が出る。
水量1リットルに対して茶葉は3グラムぐらいの量。
苦みのある甘さになった。
そう話してくれた野依(のより)の大頭と小頭は昨年の10月1日に行われた頭家座で決まった。
男の神さんに女の神さんは籤で決まる。
お伊勢さんに参って授かったお札の端っこ。
これをケンサキと呼ぶ。
三方に載せた氏子名を記した丸めの紙片に近づけると不思議とあがってくる。
そのアタリは次の年の大頭と小頭を勤める人。
つまりはこの日の灌仏会に務めている大頭と小頭はもひとつ前の年に決まった人だ。
天上天下唯我独尊の姿で立つ釈迦誕生仏を花御堂に納める。
屋根にはその日に摘んだ花で飾る。
レンゲはほんの僅かだった。
仕方なくといえばアレであるが、家の周りに咲いているツツジやツルニチニチソウを選んだ。
赤や紫に白色では足らないと思って野に咲くキンポウゲで黄色の花も盛った。
本来ならレンゲやスミレに菜の花などで飾るがその年の咲き具合でそうするらしい。
この月の5日は奈良県の無形民俗文化財に指定されている「節句オンダ」行事があった。
村の豊作を願う予祝行事に所作をするのはオジイとも呼ばれる田主役が大頭。
ケンズイのときに登場するオバア役は小頭。
これを野依では男の神さん、女の神さんと呼んでいる。
この日は打って変わって作法も動きもない灌仏会。

参拝者は村の人。
稀には聞きつけた客人も訪ねる。
桶に溜めているアマチャを柄杓で掬って頭から釈迦さんにかけてやる。
手を合わせる。
それが作法の灌仏会は花まつりの呼び名もある。
他村ではその名で呼ぶこともなく単にアマチャと呼ぶ処もある。

手を合わせたらアマチャの接待。
湯飲み茶わんに入れてもらって口にする。
口に含んだアマチャの甘味を感じるのは舌ではなく喉。
じんわりと甘さが喉の奥で感じる自然な甘さだった。
いつも先生と呼ばれている昭和5年生まれのTさんは座敷に上がって仏さんに向かって般若心経。

それだけではなくご本尊である十一面観世音立像に向かって観音経最後に唱える。
宇陀西国三十三ケ所 第二十九番 大和国宇陀郡 大念仏衆 野依仏母寺 十一面観世音の御詠歌は「はなくさの よりて たをりて みほとけの ははと てらへと いざや たむけん」。
額に入れた色紙にそう書いてある。
ちなみにこの日も開帳された観音さん。
野依には1月、5月、9月にお勤めをしている観音講の営みに開帳される。
アマチャをかけたお釈迦さんは二代目。
身長が伸びたらしく、以前の誕生仏像よりも1.5倍以上の高さになった。
背が伸びれば花御堂の庇(ひさし)に柄杓があたる。
そろりそろり天井に接触しないようにアマチャをかけたお釈迦さん。
一方の手で天、もう一方で地を指すお姿である。
お釈迦さんが誕生したときに、七歩歩いて右手で天を指し、左手で地をさして「天上天下唯我独尊」といった姿に手を合す。
何人かが参拝にやってきては作法する。
花御堂の前に座ってひとときを過ごしていた。
ちなみに野依の白山神社は平成21年にゾーク(造営事業)があったそうだ。
曳綱に生鯛を吊るしていたかどうかは判らないが、頭屋家で搗いた大量のモチ御供は「宝船」と呼ぶ船型の運搬車に積んで村内を巡行し神社に向かったそうだ。
ここにも曳綱に生鯛や宝船があったことを付記しておく。
(H28. 5. 8 EOS40D撮影)
買ったのは昨年。
袋から取り出してアマチャに使ったのは1/4程度だったそうだ。
この日も総量の1/4を取り出した甘茶でアマチャを煮だした。
村人が参拝にくるのは午後であるが、アマチャを作っていたのは午前10時。
甘茶の葉を袋から取り出して水に浸ける。
しばらくそうして11時に沸騰させて煮つめる。
そうしたらすぐにでも茶葉をあげる。
15分ぐらいグツグツ煮れば色が出る。
水量1リットルに対して茶葉は3グラムぐらいの量。
苦みのある甘さになった。
そう話してくれた野依(のより)の大頭と小頭は昨年の10月1日に行われた頭家座で決まった。
男の神さんに女の神さんは籤で決まる。
お伊勢さんに参って授かったお札の端っこ。
これをケンサキと呼ぶ。
三方に載せた氏子名を記した丸めの紙片に近づけると不思議とあがってくる。
そのアタリは次の年の大頭と小頭を勤める人。
つまりはこの日の灌仏会に務めている大頭と小頭はもひとつ前の年に決まった人だ。
天上天下唯我独尊の姿で立つ釈迦誕生仏を花御堂に納める。
屋根にはその日に摘んだ花で飾る。
レンゲはほんの僅かだった。
仕方なくといえばアレであるが、家の周りに咲いているツツジやツルニチニチソウを選んだ。
赤や紫に白色では足らないと思って野に咲くキンポウゲで黄色の花も盛った。
本来ならレンゲやスミレに菜の花などで飾るがその年の咲き具合でそうするらしい。
この月の5日は奈良県の無形民俗文化財に指定されている「節句オンダ」行事があった。
村の豊作を願う予祝行事に所作をするのはオジイとも呼ばれる田主役が大頭。
ケンズイのときに登場するオバア役は小頭。
これを野依では男の神さん、女の神さんと呼んでいる。
この日は打って変わって作法も動きもない灌仏会。

参拝者は村の人。
稀には聞きつけた客人も訪ねる。
桶に溜めているアマチャを柄杓で掬って頭から釈迦さんにかけてやる。
手を合わせる。
それが作法の灌仏会は花まつりの呼び名もある。
他村ではその名で呼ぶこともなく単にアマチャと呼ぶ処もある。

手を合わせたらアマチャの接待。
湯飲み茶わんに入れてもらって口にする。
口に含んだアマチャの甘味を感じるのは舌ではなく喉。
じんわりと甘さが喉の奥で感じる自然な甘さだった。
いつも先生と呼ばれている昭和5年生まれのTさんは座敷に上がって仏さんに向かって般若心経。

それだけではなくご本尊である十一面観世音立像に向かって観音経最後に唱える。
宇陀西国三十三ケ所 第二十九番 大和国宇陀郡 大念仏衆 野依仏母寺 十一面観世音の御詠歌は「はなくさの よりて たをりて みほとけの ははと てらへと いざや たむけん」。
額に入れた色紙にそう書いてある。
ちなみにこの日も開帳された観音さん。
野依には1月、5月、9月にお勤めをしている観音講の営みに開帳される。
アマチャをかけたお釈迦さんは二代目。
身長が伸びたらしく、以前の誕生仏像よりも1.5倍以上の高さになった。
背が伸びれば花御堂の庇(ひさし)に柄杓があたる。
そろりそろり天井に接触しないようにアマチャをかけたお釈迦さん。
一方の手で天、もう一方で地を指すお姿である。
お釈迦さんが誕生したときに、七歩歩いて右手で天を指し、左手で地をさして「天上天下唯我独尊」といった姿に手を合す。
何人かが参拝にやってきては作法する。
花御堂の前に座ってひとときを過ごしていた。
ちなみに野依の白山神社は平成21年にゾーク(造営事業)があったそうだ。
曳綱に生鯛を吊るしていたかどうかは判らないが、頭屋家で搗いた大量のモチ御供は「宝船」と呼ぶ船型の運搬車に積んで村内を巡行し神社に向かったそうだ。
ここにも曳綱に生鯛や宝船があったことを付記しておく。
(H28. 5. 8 EOS40D撮影)