マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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大滝・土倉家屋敷跡の地蔵さん祭り

2018年02月12日 09時44分55秒 | 川上村へ
奈良東大寺二月堂の修二会が終われば温かくなる。

彼岸も過ぎればさらに温かくなる。

県内の人は何時、どこの地でもそういう人が多い。

奈良に住んで30云年。

いつのまにか私もそういうようになったが、この日は寒い。

テレビの天気予報が伝える“春”は今月いっぱいも待たなければならないという。

そうであれば蕾が膨らんできた桜の花は一斉に咲き始める。

4月になればどこでもかしこもあちこち。

桜の名所もぱっと咲く。

咲いたかと思えばこれもまた一斉に散ってしまう。

何年か前もそういう年があった。

この日に訪れた川上村は冷たい風が吹く。

決して強い風ではなく、嫋やかな風であるが、体感は冷たい、である。

訪れた地は川上村の大滝。

前年の平成28年4月24日にも訪れていた。

気になっていた大滝の行事を拝見したく下見に出かけた日であった。

行事日は3月24日であったが、どことなく曖昧な雰囲気だった。

もう一度訪れて正確な行事日を知りたくて再訪した。

尤もこの日の取材地は大滝よりもさらに南下した高原である。

高原行き道中にある大滝の住民に聞けばわかるだろうと思って辻井商店を訪ねる

お店から出てこられた婦人の話しによれば3月23日に近い日で、だいたいが第三木曜日になるという。

間違いはないだろうと思うが、念のためをと思って、平成28年2月3日に訪問した際にお会いした辻井酒店主に電話を架けた。

少し待って教えてもらった行事は3月24日の木曜。

聞いていた条件通りであるが、来年の場合だったら、何時にされるのかわからなくなった。

行事が始まる時間も聞いてほっとする。

大滝に土倉庄三郎屋敷跡地がある。

その跡地に地蔵まつりがあると伝えるブログが何かの折に見つかった。

ブログ執筆者は森林ジャーナリストの田中敦夫氏である。

詳しいことは書いていないが、どことなく、それとなくという感じだった。

思いは募っていくばかり。

いつしか自分の目で確かめたいと思った。

川上村在住のMさんが、土蔵生誕百年祭があると賀状で伝えてくださった。

平成28年3月26日、たまたまの場でお会いしたのがキッカケになって土倉庄三郎屋敷跡地で行われている地蔵まつりを是非とも取材したくなったのである。

「土倉屋敷の地蔵さん祭り」は何時知ったのか。

私が残したメモによれば平成22年(2010)だった。

3月であるが日程は不明。

推定した場所は川上村大滝土倉庄三郎翁屋敷跡裏庭。

小学校跡地でもあるようだった。

その日の行事に赤飯ニギリの御供をする。

前日にはヨモギで搗いた草モチも作っているとメモを残してしていた。

その件に関しては、私の記憶から消えたが、当時、なんらかのネットを参照したのであろう。

いずれにしても地蔵まつりを知ってから7年も経っていた。

ようやく実見することになって取材熱が高揚する。

これまでの経緯を手繰る前置きが長くなってしまった。

着いた時間は10時半ころ。

私が来るのを待ってくださっていたのは電話を架けるなどお世話になった辻井酒店主。

当地は大滝の茶出垣内。

茶出と書いて「ちゃいれ」と呼ぶ。

おそらく「ちゃいで」が訛った「ちゃいれ」であろう。

かつてはお茶屋があった並びの軒。

現在は7軒の並びだという。

大滝は茶出垣内の他に、北出、中出、下出、上出に越出、小滝からなる。

茶出垣内が所在する地区の前を流れる川は吉野川。

大きく蛇行するところにある集落である。

田中敦夫氏がアップされる“幻の土倉屋敷”記事に掲載された昔の様相を伝える絵図を見ればご理解できるであろう。

絵図にあるように大滝の茶出垣内は蛇行する曲がり角にある集落である。

待っていたら、何人かのご婦人たちが動いていた。

御供の準備が始まったようである。

取材の主旨を伝えさせてもらって写真を撮る。

場所はバス停留待合所。



座る場所に並べていた。

手前や奥にも置いたコウジブタにはどっさり盛った紅白餅に緑色のヨモギ餅がある。

ご婦人が立っている場には皿に盛った漬物や酒の肴のようだ。

せわしなく動くご婦人はこの日の当番のMさん。

昨年に採取しておいたヨモギを冷凍していたという。

紅白の紅色は海老餅だという。

漬物は自家製。

コウコに菜っ葉である。

肴はチクワに明太子を詰めたものやチーズ入りのチクワもあればコンニャクを煮たものとか玉子焼きなどなど。

当番一人で作ったわけではなく隣近所の婦人たちも一緒になって作った。

それぞれが家で作った得意分野の料理をもってきたそうだ。



鏡餅や次から次へと運ばれるお供えは採れたて新鮮野菜もあれば、シイタケ、シメジもある。

神饌ものはスルメ。

お菓子に饅頭まであるお供えが満載でテーブルから毀れそう。

二段重ねの鏡餅にお神酒も供える。

真新しい赤い帽子や涎掛けをしてもらった地蔵さんは喜んでいるように見える。



地蔵さんの周りに花飾り。

風で消えないようにローソクに工夫して火を点ける。

そして、一同はブルーシートに座る。

導師はTさんが務める。

拍子木を打って唱える三巻の般若心経。



手を合わせて念じておられる人たちは茶出垣内7軒の隣近所組のみなさんだ。

前月の2月3日に訪れた大滝。

行事の日程や時間などを知りたくて再訪した。

訪ねたお家は辻井商店だった。

お店に出てこられた婦人が話してくれた昭和33年に襲来した伊勢湾台風である。

その年に嫁入りされた婦人。

台風の影響で大雨になった吉野川は豪雨。

前述したようにこの地は大きく蛇行する曲がり角。

一気に溢れた水の勢いに集落前の道路は水浸し。

あっという間に住まいが流されるほどの甚大な被害があった。

田中敦夫氏がブログにアップされている絵図でも読み取れるように垣根に囲まれた大きな家屋がある。

その家は土倉庄三郎屋敷跡の一部であろう。

30~40年前には屋敷があった。

屋敷の中に地蔵さんを祭るようになった。

そんな話をしてくださる割烹着姿の大滝茶屋のTさんである。

この日は吹き降ろす冷たい風が吹く。

熱心に唱える姿を目でとらえていた通りがかりの集団が居た。

何事をされているのか不思議そうに見ていた。

心経は5分間。

ただ、ひたすらに心経を唱えていた。

この場に居られたのは茶出垣内の人ばかり。

若い男性も茶出垣内の住民。

一人はこの日の行事を教えてくださった辻井酒店主。

もう一人は駐在さんである。

実はと云って話された特技がサックス演奏。

その腕を活かして駐在さんバンドを編成している。

バンド名は「川上駐在挽音(ばんど)」。

大滝駐在所に勤務する巡査部長のMさんもメンバーの一員。

音楽で地域での啓蒙、広報活動に慰問演奏もしているようだ。

地域安全に貢献する駐在さんは村の一員。

行事の場にも参列される。

女性が何人かいる。

うち一人の女性は賀状のやり取りをしていたSさんの奥さんだった。

Sさんは大滝より北方にある大字西河・大名持神社の神主役を勤めたことがある方だ。

平成19年12月2日に行われた神主鍵渡しの儀式を取材した。

そのときの神主であった。

引き受けたときに名を『神事記録簿』に書き記す。

これまで勤めた方々の記帳名簿を見られたSさん。

親父さんにお爺さんの名もあると云った。

親子三代に亘って記帳されていたのが印象的だったことを思い出す。

奥さんがいうには、この場に神社の神主を昭和54年12月1日に「右相受け申候也」と記帳した昭和5年生まれの父親も参列していると伝えられたときは驚いたものだ。

直会の準備をしている間に聞取りさせてもらったかつての土倉庄三郎屋敷。

当時を知る人は高齢者の記憶が頼り。

導師を勤めたTさんや大滝茶屋のTさんに昭和54年に大名持神社の神主役を勤めたSさんたち、高齢者だった。

昔は建屋の前に中庭があった。

そこは昭和33年に襲来した伊勢湾台風で流された。

そこにはひょうたん型の泉水があったが、建物は本屋の裏に移したという。

かつての建屋の配置を教えてくださる。

話される配置を聞き取った私は図面に書き記す。

田中敦夫氏がブログにアップされる絵図を思い浮かべていただきたい。

大きく蛇行する川に沿って道路を敷設している。

屋敷前の道路向こうにも茶屋が建ち並ぶ。

屋敷を見ていただこう。

道路に面する建屋が本屋と呼ばれる。

右にあるのが蔵である。

逆に左側は離れである。

離れは本屋よりも屋根が高い。

その関係で内庭が隠されている。

そこにひょうたん型泉水があったのだろう。

右手前は門屋。

左手前にも門屋があったそうだが、絵図では囲われており門屋らしきものが見られない。

樹木があるところが座敷。

ここら辺りが現在の地蔵さんがある場であろう。

石塔があったようで、「はっちゃんが下ろした」と口々に云う。

「昔に土倉家に出入りしてはった人がおった時代。家で地蔵さんの祭りごとをしていた。当時は8月24日にしていた」と話す。

また、「8月24日はお盆でもあった。お寺行事がそうだった。地蔵さんの祭りは4月24日にしている所もあった。その時期は柿の葉寿司作りが忙しい。そういうことがあって3月に移した」という断片的な経緯を話してくださる。

川上村村長を勤めた土倉家が当地を離れ、屋敷跡だけになったのはいつ頃であったのだろうか。

その件は聞きそびれたが、現在の地蔵まつりを始められたのは辻井商店のおばあさんが発起されたことによる。

時期は3、40年前だったというからずいぶんと幅がある。



そうこうしているうちに直会の準備が調った。

ペーパー皿に盛った手造り料理が席に廻される。

先にも挙げた煮込みコンニャクの椀もあれば、明太子詰めやチーズ入りなどなどチクワ盛り。

香物の皿もある。

その場にあったお櫃に目がとまった。

実はお供えはもう一つあったのだ。



栗入りの赤飯握りの御供はお櫃に盛っていたが、すっかり忘れていたと法要が終わってから直会の場に登場した。



他にエノキを添えた豆腐味噌汁もある直会料理を囲んでの会食。

国道から見れば、不思議な光景に見えることだろう。



国道辺りから様子を覗っていた集団が垣内の人たちに声をかけた。

その集団はNHK奈良放送局の撮影クルーだった。

クルーの話しによれば、毎夕方に放送している「ならナビ」の取材撮影隊であった。

近く放映が始まるシリーズ“やまと偉人伝“。

そのシリ-ズ1回目に選ばれたのは「土倉庄三郎」。

つい先ほどまで取材していた帰り道。

屋敷跡に建つ土倉庄三郎像を撮っていたときに気づいた地蔵まつり。

何をされているのか、と思って立ち止まって見ていたそうだ。

私はその間、ずっと心経を唱える様相を撮っていた。

終ってから高齢者が私に云った。

「あんたの仲間か」に「いやいや・・違います」、だ。

もしや、と思ってクルーに声をかけて説明したら、これはラッキーな場に巡り合わせ。

急遽、のことである。

土倉家が残した地蔵さんの祭りを取材しようということになった。

撮影隊の質問に応じてくださったのは当番のMさん。



皆が食べている間に応じていた。

懐かしい昔の話は割烹着姿のTさんがしていた。

そのときの模様は平成29年4月4日に放送された。

番組はNHK奈良放送局開局80周年の記念番組

村では英雄扱いされている土倉庄三郎編である。

天保十一年(1840)、大滝に生まれ育った。

偉人伝については放映を見ていただいたらいいのだが、いつの間にか放映当初にあったシリーズ1回目“やまと偉人伝 土倉庄三郎”編の動画が消えている。

録画しておいた当日放送の映像は、赤い帽子に赤い涎掛けをした地蔵さんからズームアウト。

「3月下旬、庄三郎の自宅跡に、地区の人たちが集まっていました。年に一度、庄三郎を偲んで、敷地に残る地蔵をお祭りするためです」と紹介する映像に図らずも・・一村民のような恰好で出演してしまった。

場面はすぐさま展開して、大にぎわいの御供撒きに転じた映像でフレームアウトした8分間放送。

地蔵祭りをしていた村人の承諾を得て、急遽差し込み映像にまさかの1.5秒も写り込んでしまったが、「写っていただろう」と連絡してきた人は誰一人いない。

映像に馴染んでいたから気づかれることはなかったようだ。

なお、放送された地蔵まつりについては、田中敦夫氏もブログでアップされていた

大にぎわいの御供撒きを撮影している撮影隊も撮りこんで記録する。



撮影隊が撮っていることもまったく気にせず、御供撒きに熱中する村の人たちの表情は実に明るい。

御供撒きをする側には駐在さんも。



白い餅に赤い餅、緑の餅が飛んでいるし、お菓子や饅頭も宙を飛ぶ。

そのうちに飛び出す黄色い色は蜜柑だ。



一緒に宙を飛んでいるのはサツマイモ。

なんと、どでかい白菜までも宙を飛ぶ。



これには笑えた。

県内各地で行われている御供撒きに白菜は飛ぶことがあるだろうか。

戦利品はダンボール箱に詰めて持ち帰る。



そんな様子にほっこりした大滝の地蔵さん祭り。

これからもずっと続けていくことだろう。

ちなみに当番のMさんは、奈良新聞社雑記帳集いの会員でもある。

随分前のことであるが、「雑記帳」に投稿された記事に興味をもったことがある。

平成22年2月2日号に掲載された吉野町丹治の「お地蔵さん」である。

その記事を拝読した私は投稿記事にあった厄除け地蔵参りを取材した。

それも先月の2月1日である。

雑記帳を拝読してから7年後にようやく実現した行事の記録である。

投稿記事にはもう一つの村行事があった。

丹治の地蔵盆である。

これもまた、平成26年の8月24日に取材した。

吉野町に住む投稿者のおかげは感謝である。

そんな話をMさんに伝えたら、奈良新聞社会議室にて数月に一度は20名ほどが集まる講演会を開催しているという。

機会を設けて講演をお願いするかもしれない、という。

読者に喜んでいただけるならば、講演はさせていただきます、と伝えたが・・・さてさて。

それはともかく、長年、賀状のやり取りをしていただいているSさんに、本日の地蔵祭りに寄せてもらったことを伝えておきたい、と思って勤務する役場を訪ねる。

ほぼ8年ぶりになるSさんは、またもや大名持神社の神主役を勤めることになったという。

2度目の神主勤めはそうそうないらしい。

(H29. 3.23 EOS40D撮影)