京都府の木津川市山城町平尾涌出宮(わきでのみや)に女座の祭りがあると知った。
そのことを書いていた史料は昭和59年10月に発刊された『祈りと暮らし 京都府立山城郷土資料館』だった。
『祈りと暮らし』は資料館が発行する図録である。
興味をもったのは祭事に供えられる「なぞらえ物」である。
大平尾地区に「座」は二つ。
中村座と岡之座の男性戸主である当屋の主人が作る「なぞらえ物」である。
「なぞらえ物」とは、真っ白な大根を細工して、先に朱を入れたものである。
形は男のシンボル。
つまり形そのものが男根に“なぞらえた“ものである。
それぞれの座ごとに作った「なぞらえ物」は三方に載せて大字平尾に鎮座する涌出宮(正式社名は和伎座天乃夫岐売神社)の社殿に供える。
『祈りと暮らし』図録に掲載されている行事写真がある。
1枚目は当屋の主人が大根を切って形を調えている状況だ。
2枚目は「女座」の情景である。
座に参加できるのは行事名が示す通りの文字通り、女の人の集まりである。
女性たちは当屋の家に集まって三方に載せた「なぞらえ物」を前にして会食をしている情景である。
3枚目が中村座と岡之座がこしらえた三方に載せた「なぞらえ物」。
両座が供えたものだけに2本の「なぞらえ物」を並べている映像は床の間に供えていたとある。
会食の食事はすき焼きとあるが、かつては本膳であったようだ。
会食を済ませた女性たちは涌出宮に参って、「なぞらえ物」を神前に供える。
神事が始まって巫女に神楽をあげてもらって「女座」を終えると書いてあった。
女性たちは供えた「なぞらえ物」を持ち帰ることなく涌出宮に残したまま引き上げる。
そのまま置かれた「なぞらえ物」はどうするのか。
この「なぞらえ物」は子どもができない女の人が食べたら、子どもが生まれるという。
それを知っている人が頃合いを見計らってもらいにくるとある。
「なぞらえ物」は男のシンボル。
増殖を示す男根とある。
「なぞらえ物」を食べることによって子どもができると信ぜられたわけだ。
伝承によれば、女の神さんだから男の「なぞらえ物」を供えたら歓んでもらえる、ということだ。
つまりは女の神さんはその年の豊穣を約束する神さんとあった。
涌出宮(わきでのみや)の女の神さんこと祭神は三女神。
伊勢から勧請した天乃夫岐売命(あめのふきめのみこと)、田凝姫命(たごりひめのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、端津姫命(たぎつひめのみこと)のようだ。
神事は10時半ころより始まるが、その前にしておかなければならない支度がある。
与力座でもある宮司一人が神饌御供の盛り付け作業をする。
白い皿に盛っていた料理はタケノコ煮、板カマボコ、シロマメとササゲマメを炊いた煮豆にゴボウ、ニンジン、アラメ和え。
もう一つ手の込んだ海苔を巻いた玉子焼き。
これらは涌出宮が調理するのであるが、女座に相応しい「なぞらえ物」御供はトーヤ(当屋)によって持ち込まれる。
神饌御供が調ったところで、神事の前に予め供えておく。
三方に載せた「なぞらえ物」も先に供えておく。
運ぶのは宮司にこの日の行事に支援される京都府文化財保護指導員のAさん。
Aさんと初めてお会いしたのは前年の平成28年の12月18日。
大晦日の日に砂撒きをしていると思われた木津川市山城町上狛を探訪したときである。
たまたまお声をかけた男性がAさんだった。
まさか涌出宮行事でお会いするとは思っても見なかったことだ。
御供は三間社流造の本社殿や末社の八幡社・日枝社・熱田社に、春日社、大国主神社・市杵島神社・熊野神社、天神社などに供える。
涌出宮の宮座行事を勤める座は、大字平尾並びに綺田の特定家である。
与力座、古川座、歩射(びしゃ)座、尾崎座、大座(おおざ)、殿屋座(とのやざ)、岡之座、中村座の八座に女座(おなござ)。
この日の女座行事は大平尾地区の中村座と岡之座であったが、座は廃して廻り当番家で行うようにした。
当番家で料理も食べていたが、いつしか手間を避けて、座の営みの場は料理屋に移された。
座はなくなったが、涌出宮宮司の計らいで「なぞらえ物」作りは継承。
御供上げをしてから行う神事の場に参列することにした。
神社巫女が舞う神楽舞の奉納に参列者へのお祓いなど神事を継続。
そして御供下げも神社宮司による在り方にされた。
厳かに始まった女座行事。
参拝女性たちは二つのえびす面を掲げている拝殿に座っていた。
宮司礼拝、祓詞、祓の儀、そして鈴と扇をもつ巫女が登場する。
本社殿と拝殿の間の場で神楽を舞う。
鈴の音色だけが聞こえてくる。
そして巫女は参拝者一人、一人、丁寧に鈴で祓ってくださる。
おおきく振り上げてシャラシャラシャラ・・・。
次は玉串奉奠。まずは先に酒盃の準備を調えて、それから二組の代表の玉串奉奠がある。
次が酒盃。
一人ずつ前にでて、三枚重ねの盃を手にした。
巫女は酒器をもって大きな動作で3度。
酒器を振り上げるように3度の所作。
それから参列者がもつ朱塗りの椀に酒を注ぐ。
お神酒頂戴である。
3度の動作があることから三献酒のように思えた。
お神酒を飲み干せば、宮司より涌出宮からの御供を受け取って下がる。
一人ずつの酒盃も丁寧に行われる。
こうして終えた一行は直会をすることもなく地区に戻っていく。
その際にお話しを伺ったこの日代表の女性。
現在は6軒の営みになったが、かつては15軒もあった南平尾の岡之座の女座。
トーヤ(当屋)勤めは軒数の関係で15年に一度の廻りになる。
嫁入りしてからのトーヤ(当屋)勤めは2回も受け持った。
座の準備が忙しくたいへんだった。
一旦は座を辞めたが、現在は形式だけを残して行事を支えている。
トーヤ(当屋)勤めをしていた家人が魚のカマスを口に銜えて作法をしていた。
岡之座がある南平尾はかつて大平尾(おびらお)に属していたようだ。
今では住所表記のない大平尾。
垣内浜屋敷にある大平尾会館が建つ地の辺りであろうか。
岡之座には男座と女座がある。
どちらか相方が亡くなれば、女座或いは男座として座を継承してきた。
座は家で継承するものだ。
普段の仕事はすべてに亘って男座が勤める。
南平尾に二つの女座があった。
岡之座に一座。
もう一つが中村座であったが、座は辞めたという。
岡之座の男座は長老の一老からの7人で構成する七人衆で行われている。
女座のトーヤ(当屋)の家の男衆が大根で男根を作る。
くびれを細工してそれらしく見えるように作る。
この年のN家は息子と孫の男児で作ったが、前年にあった赤い舌のようなものは調整しなかったという。
「なぞらえ物」は各家によって若干の違いがみられるようだ。
以前はトーヤ(当屋)家はもてなしの接待料理をだして、座中がよばれていた。
カシワ肉の鶏すき焼きである。
Nさんの記憶によれば、かつては粕汁でもてなしをしていたが、今は甘酒になった。
女座の接待役はトーヤ(当屋)家の男衆。
当主だけでなく親戚筋の男衆にも接待役を務めてもらう。
こうした接待を終えて午後3時に涌出宮に寄せてもらったと話してくれた。
女座の人たちが地区に戻っていく姿を見送ってからじっくり拝見させてもらった「なぞらえ物」。
宮司のご厚意で「なぞらえ物」の一つを拝見する。
包んでいた奉書の水引を解いて広げてくださる。
中から現れたのが大根で調整した「なぞらえ物」。
トーヤ(当屋)のNさんが云うように赤い舌は見られないが、立派な男根姿の「なぞらえ物」。
宮司が云うには、神事を終えて御供下げした「なぞらえ物」は、子どもが欲しい家の女性がたばりに来るそうだ。
女性の親戚筋であっても構わない。
とにかくそういう事情をもつ女性が居る場合は代行する人がたばりに来るらしい。
たばった「なぞらえ物」はどういう具合に調理して食べているのかは存じていない。
今年の「なぞらえ物」には赤い舌が見られなかったので、社務所に保管している例年の「なぞらえ物」を見せてくださる。
もちろん実物ではなく写真映像である。
フイルムケースに収納しているから映像が跳ねているが、十分に赤い舌の状態がよくわかる。
いずれにしても子宝祈願に、ご利益があると、たばりに来る「なぞらえ物」は感動ものであったが、何故に「なぞらえ物」の名称であるのか。
「なぞらえ」とは、あるものと比較して仮にそれと見做す。
真似て作る、ということである。
充てる漢字は「準える」、或いは「擬える」であろう。
男根に準じた形に形成して「擬えた」とでもしようか。
(H29. 3.20 EOS40D撮影)
そのことを書いていた史料は昭和59年10月に発刊された『祈りと暮らし 京都府立山城郷土資料館』だった。
『祈りと暮らし』は資料館が発行する図録である。
興味をもったのは祭事に供えられる「なぞらえ物」である。
大平尾地区に「座」は二つ。
中村座と岡之座の男性戸主である当屋の主人が作る「なぞらえ物」である。
「なぞらえ物」とは、真っ白な大根を細工して、先に朱を入れたものである。
形は男のシンボル。
つまり形そのものが男根に“なぞらえた“ものである。
それぞれの座ごとに作った「なぞらえ物」は三方に載せて大字平尾に鎮座する涌出宮(正式社名は和伎座天乃夫岐売神社)の社殿に供える。
『祈りと暮らし』図録に掲載されている行事写真がある。
1枚目は当屋の主人が大根を切って形を調えている状況だ。
2枚目は「女座」の情景である。
座に参加できるのは行事名が示す通りの文字通り、女の人の集まりである。
女性たちは当屋の家に集まって三方に載せた「なぞらえ物」を前にして会食をしている情景である。
3枚目が中村座と岡之座がこしらえた三方に載せた「なぞらえ物」。
両座が供えたものだけに2本の「なぞらえ物」を並べている映像は床の間に供えていたとある。
会食の食事はすき焼きとあるが、かつては本膳であったようだ。
会食を済ませた女性たちは涌出宮に参って、「なぞらえ物」を神前に供える。
神事が始まって巫女に神楽をあげてもらって「女座」を終えると書いてあった。
女性たちは供えた「なぞらえ物」を持ち帰ることなく涌出宮に残したまま引き上げる。
そのまま置かれた「なぞらえ物」はどうするのか。
この「なぞらえ物」は子どもができない女の人が食べたら、子どもが生まれるという。
それを知っている人が頃合いを見計らってもらいにくるとある。
「なぞらえ物」は男のシンボル。
増殖を示す男根とある。
「なぞらえ物」を食べることによって子どもができると信ぜられたわけだ。
伝承によれば、女の神さんだから男の「なぞらえ物」を供えたら歓んでもらえる、ということだ。
つまりは女の神さんはその年の豊穣を約束する神さんとあった。
涌出宮(わきでのみや)の女の神さんこと祭神は三女神。
伊勢から勧請した天乃夫岐売命(あめのふきめのみこと)、田凝姫命(たごりひめのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、端津姫命(たぎつひめのみこと)のようだ。
神事は10時半ころより始まるが、その前にしておかなければならない支度がある。
与力座でもある宮司一人が神饌御供の盛り付け作業をする。
白い皿に盛っていた料理はタケノコ煮、板カマボコ、シロマメとササゲマメを炊いた煮豆にゴボウ、ニンジン、アラメ和え。
もう一つ手の込んだ海苔を巻いた玉子焼き。
これらは涌出宮が調理するのであるが、女座に相応しい「なぞらえ物」御供はトーヤ(当屋)によって持ち込まれる。
神饌御供が調ったところで、神事の前に予め供えておく。
三方に載せた「なぞらえ物」も先に供えておく。
運ぶのは宮司にこの日の行事に支援される京都府文化財保護指導員のAさん。
Aさんと初めてお会いしたのは前年の平成28年の12月18日。
大晦日の日に砂撒きをしていると思われた木津川市山城町上狛を探訪したときである。
たまたまお声をかけた男性がAさんだった。
まさか涌出宮行事でお会いするとは思っても見なかったことだ。
御供は三間社流造の本社殿や末社の八幡社・日枝社・熱田社に、春日社、大国主神社・市杵島神社・熊野神社、天神社などに供える。
涌出宮の宮座行事を勤める座は、大字平尾並びに綺田の特定家である。
与力座、古川座、歩射(びしゃ)座、尾崎座、大座(おおざ)、殿屋座(とのやざ)、岡之座、中村座の八座に女座(おなござ)。
この日の女座行事は大平尾地区の中村座と岡之座であったが、座は廃して廻り当番家で行うようにした。
当番家で料理も食べていたが、いつしか手間を避けて、座の営みの場は料理屋に移された。
座はなくなったが、涌出宮宮司の計らいで「なぞらえ物」作りは継承。
御供上げをしてから行う神事の場に参列することにした。
神社巫女が舞う神楽舞の奉納に参列者へのお祓いなど神事を継続。
そして御供下げも神社宮司による在り方にされた。
厳かに始まった女座行事。
参拝女性たちは二つのえびす面を掲げている拝殿に座っていた。
宮司礼拝、祓詞、祓の儀、そして鈴と扇をもつ巫女が登場する。
本社殿と拝殿の間の場で神楽を舞う。
鈴の音色だけが聞こえてくる。
そして巫女は参拝者一人、一人、丁寧に鈴で祓ってくださる。
おおきく振り上げてシャラシャラシャラ・・・。
次は玉串奉奠。まずは先に酒盃の準備を調えて、それから二組の代表の玉串奉奠がある。
次が酒盃。
一人ずつ前にでて、三枚重ねの盃を手にした。
巫女は酒器をもって大きな動作で3度。
酒器を振り上げるように3度の所作。
それから参列者がもつ朱塗りの椀に酒を注ぐ。
お神酒頂戴である。
3度の動作があることから三献酒のように思えた。
お神酒を飲み干せば、宮司より涌出宮からの御供を受け取って下がる。
一人ずつの酒盃も丁寧に行われる。
こうして終えた一行は直会をすることもなく地区に戻っていく。
その際にお話しを伺ったこの日代表の女性。
現在は6軒の営みになったが、かつては15軒もあった南平尾の岡之座の女座。
トーヤ(当屋)勤めは軒数の関係で15年に一度の廻りになる。
嫁入りしてからのトーヤ(当屋)勤めは2回も受け持った。
座の準備が忙しくたいへんだった。
一旦は座を辞めたが、現在は形式だけを残して行事を支えている。
トーヤ(当屋)勤めをしていた家人が魚のカマスを口に銜えて作法をしていた。
岡之座がある南平尾はかつて大平尾(おびらお)に属していたようだ。
今では住所表記のない大平尾。
垣内浜屋敷にある大平尾会館が建つ地の辺りであろうか。
岡之座には男座と女座がある。
どちらか相方が亡くなれば、女座或いは男座として座を継承してきた。
座は家で継承するものだ。
普段の仕事はすべてに亘って男座が勤める。
南平尾に二つの女座があった。
岡之座に一座。
もう一つが中村座であったが、座は辞めたという。
岡之座の男座は長老の一老からの7人で構成する七人衆で行われている。
女座のトーヤ(当屋)の家の男衆が大根で男根を作る。
くびれを細工してそれらしく見えるように作る。
この年のN家は息子と孫の男児で作ったが、前年にあった赤い舌のようなものは調整しなかったという。
「なぞらえ物」は各家によって若干の違いがみられるようだ。
以前はトーヤ(当屋)家はもてなしの接待料理をだして、座中がよばれていた。
カシワ肉の鶏すき焼きである。
Nさんの記憶によれば、かつては粕汁でもてなしをしていたが、今は甘酒になった。
女座の接待役はトーヤ(当屋)家の男衆。
当主だけでなく親戚筋の男衆にも接待役を務めてもらう。
こうした接待を終えて午後3時に涌出宮に寄せてもらったと話してくれた。
女座の人たちが地区に戻っていく姿を見送ってからじっくり拝見させてもらった「なぞらえ物」。
宮司のご厚意で「なぞらえ物」の一つを拝見する。
包んでいた奉書の水引を解いて広げてくださる。
中から現れたのが大根で調整した「なぞらえ物」。
トーヤ(当屋)のNさんが云うように赤い舌は見られないが、立派な男根姿の「なぞらえ物」。
宮司が云うには、神事を終えて御供下げした「なぞらえ物」は、子どもが欲しい家の女性がたばりに来るそうだ。
女性の親戚筋であっても構わない。
とにかくそういう事情をもつ女性が居る場合は代行する人がたばりに来るらしい。
たばった「なぞらえ物」はどういう具合に調理して食べているのかは存じていない。
今年の「なぞらえ物」には赤い舌が見られなかったので、社務所に保管している例年の「なぞらえ物」を見せてくださる。
もちろん実物ではなく写真映像である。
フイルムケースに収納しているから映像が跳ねているが、十分に赤い舌の状態がよくわかる。
いずれにしても子宝祈願に、ご利益があると、たばりに来る「なぞらえ物」は感動ものであったが、何故に「なぞらえ物」の名称であるのか。
「なぞらえ」とは、あるものと比較して仮にそれと見做す。
真似て作る、ということである。
充てる漢字は「準える」、或いは「擬える」であろう。
男根に準じた形に形成して「擬えた」とでもしようか。
(H29. 3.20 EOS40D撮影)