宇陀市大宇陀野の大字野依。
この月の村行事は仏母寺で行われる数珠繰り涅槃会である。
6年前の平成23年3月15日に訪れたときに拝見した「アワメシ」の在り方に感動したものだ。
涅槃会に数珠繰りをされたのだが、その際に掲げられる掛図が御釈迦さん入滅を表現した涅槃図である。
祭壇に盛っていたのは、飯に挿して立てていた一膳の箸である。
葬送の儀礼にそうしている地域も少なくはない葬送の儀礼にそうしている地域も少なくはない。
私の故郷である大阪の南河内郡河南町にもあったことを覚えている。
同じ形式を「マクラメシ」と呼んでいたのは桜井市瀧倉。
拝見した行事は「鬼の葬式」の名で呼ぶ村行事だった。
平成21年3月3日限りの行事だったように記憶する。
箸を立てた「マクラメシ」を膳盛る。
その膳には「死花(しか)」と呼ぶ大根に挿した幣もあった。
数珠繰りはかわらずされていると思ってはいるが、果たして「アワメシ」は。
また、涅槃会に念仏を唱える数珠繰りを終えて大量に撒かれる涅槃の団子撒きも気になっていた。
翌年の平成24の3月14日に訪れた涅槃の団子搗き。
できあがった丁度に寄せてもらったことがある。
野依の年中行事は大幅に改正されると聞いている。
手間のかかる部分は極力省いていこうということだ。
もしかとすれば涅槃会に撒かれる団子も消えるかもしれない。
最後になるのであれば、記念の記録と思って訪れた。
先に拝見したのは床の間に飾った涅槃の掛図。
その隣には三つの木樽に盛り込んだ涅槃の団子。
びっしり埋まっている。
いつもの年と同じように前日の14日に搗いた団子はまん丸い。
平成23年に拝見したときの団子の量は木樽が十もあった。
作業の手間、時間を少しでも負担減として3割に減らした涅槃の団子であるが、実は違っていた。
燭台も調えた場には気になっていた「アワメシ」もあった。
この年も同じように一膳の箸を立てていた。
「アワメシ」は蒸した米で作った粟飯。
黄色い粟粒が見えるだろうか。
涅槃さんの御供は例年が一緒ともいえないようだ。
この年はニンジンにシイタケだった。
お供えは観音さんを安置した仏母寺だけでなく氏神さんを祀る白山神社の他、本社殿下の愛宕社、弁天社や庚申堂などにも供える。
野依に庚申講もあるが、そういえばヤドの家で庚申さんの掛図を掲げて講中が集まる営みは話しに聞いていたが、この庚申石仏にはどのような形式で営みをされているのだろうか。
そんなことを思い出して僅かに朱の色が残る庚申さんに手を合わす。
忙しく動き回って供えていた大頭と小頭もひといきついてから始まった涅槃会。
これまで私が拝見したときの導師は先生だった。
仏母寺行事の観音講の寄り合いのときもそうだったし灌仏会も・・・。
この年は入れ替わりがあったのか存知しないが若手になったようだ。
ローソクに火を点けて、涅槃さんに手を合わせる。
そうして始まった般若心経は三巻。
それと同時に繰り出す数珠繰りに般若心経が流れる速度とともに・・。
調子は割合早めである。
心経を唱えるだけでは、と思ったのか、隣に婦人が横についておりんを打つ。
長い数珠を繰るのはもう一組ある。
お部屋を半分ずつ分けて2組目は心経を唱えている間に入れ替わる。
入れ替えるのは数珠であって場は替わらない。
座敷手前に座っていた人たちはどちらかといえば女性に子どもたちだ。
にこやかな表情で数珠を繰る姿に萌えてシャッターを押す。
三巻の心経を終えたら数珠繰りも終える。
〆にいただく涅槃の御釈迦さんに供えた「アワメシ」。
お椀ごともった小頭の奥さんが少しずつ箸で摘まんだ「アワメシ」は、手を広げた村人にさしあげる。
いわゆる御供下げであるが、箸は「アワメシ」に立てていたもののようだ。
手で受けていただく供物の「アワメシ」はありがたく頂戴する。
その形式は県内各地の何カ所かで見られるテゴク(手御供)の形である。
数珠などを片づけてこれより始まるゴクマキ。
涅槃の御釈迦さんに供えた涅槃の団子を撒く。
室内両側の障子扉を開けたところに位置した御供撒きの人。
マツリに着用する法被に着替えて座敷に座っている村の人たちに向けて撒く。
両手に盛った団子はまん丸い。
転げそうになって手から毀れそうにもなる。
そこんとこは上手く纏めて放り投げる。
天井まで届くことのないように配慮しながら撒いていく。
座敷にころころ転がる団子を拾いまくる。
ころころ転がせるように撒く優しい人もいる。
右や左から、果ては後ろからも転げてくる団子を捕まえるのに這いつくばる人もいる。
団子争奪戦にカメラの視線はあっちこっちに振り回される。
ふと、気がついた。
団子撒きをする人それぞれに木樽がある。
数えてみれば六つもあった。
涅槃さんに供えるのは少なくして残りは廊下に置いていたようだった。
それはともかく、実に愉しい団子撒き。
大人も子供もはしゃぎまわる。
これでもかと思うほど撒いた団子。
まだまだ木樽子どもたちにはもっと優しく差し出す袋の中に入れてあげる。
こうして涅槃会を終えたらごーさん札を貰って帰る。
特に必要な人は農家さん。
苗代に立てるごーさん札は苗がすくすく育つように豊穣を願う。
このごーさん札は、大晦日の夜中から社務所に籠った大頭、小頭が版木で刷ったものだ。
刷る時間帯は元日の朝だときいているごーさん札の正式名称は「降三世」のお札だと以前に聞いたことがある。
元日に刷ったお札は、3月1日の祈年祭に奉られて祈祷される。
そして、この日の涅槃会で授与される。
何人かの人が授与された「降三世」のお札はいつ苗代に立てているのか。
受け取った人がいうには特に決まりはないそうだ。
例年は4月10日ころにするから、そのころになれば前もって電話をすると云ってくれたTさんにすがるしかないのだが・・・果たして。
(H29. 3.15 EOS40D撮影)
この月の村行事は仏母寺で行われる数珠繰り涅槃会である。
6年前の平成23年3月15日に訪れたときに拝見した「アワメシ」の在り方に感動したものだ。
涅槃会に数珠繰りをされたのだが、その際に掲げられる掛図が御釈迦さん入滅を表現した涅槃図である。
祭壇に盛っていたのは、飯に挿して立てていた一膳の箸である。
葬送の儀礼にそうしている地域も少なくはない葬送の儀礼にそうしている地域も少なくはない。
私の故郷である大阪の南河内郡河南町にもあったことを覚えている。
同じ形式を「マクラメシ」と呼んでいたのは桜井市瀧倉。
拝見した行事は「鬼の葬式」の名で呼ぶ村行事だった。
平成21年3月3日限りの行事だったように記憶する。
箸を立てた「マクラメシ」を膳盛る。
その膳には「死花(しか)」と呼ぶ大根に挿した幣もあった。
数珠繰りはかわらずされていると思ってはいるが、果たして「アワメシ」は。
また、涅槃会に念仏を唱える数珠繰りを終えて大量に撒かれる涅槃の団子撒きも気になっていた。
翌年の平成24の3月14日に訪れた涅槃の団子搗き。
できあがった丁度に寄せてもらったことがある。
野依の年中行事は大幅に改正されると聞いている。
手間のかかる部分は極力省いていこうということだ。
もしかとすれば涅槃会に撒かれる団子も消えるかもしれない。
最後になるのであれば、記念の記録と思って訪れた。
先に拝見したのは床の間に飾った涅槃の掛図。
その隣には三つの木樽に盛り込んだ涅槃の団子。
びっしり埋まっている。
いつもの年と同じように前日の14日に搗いた団子はまん丸い。
平成23年に拝見したときの団子の量は木樽が十もあった。
作業の手間、時間を少しでも負担減として3割に減らした涅槃の団子であるが、実は違っていた。
燭台も調えた場には気になっていた「アワメシ」もあった。
この年も同じように一膳の箸を立てていた。
「アワメシ」は蒸した米で作った粟飯。
黄色い粟粒が見えるだろうか。
涅槃さんの御供は例年が一緒ともいえないようだ。
この年はニンジンにシイタケだった。
お供えは観音さんを安置した仏母寺だけでなく氏神さんを祀る白山神社の他、本社殿下の愛宕社、弁天社や庚申堂などにも供える。
野依に庚申講もあるが、そういえばヤドの家で庚申さんの掛図を掲げて講中が集まる営みは話しに聞いていたが、この庚申石仏にはどのような形式で営みをされているのだろうか。
そんなことを思い出して僅かに朱の色が残る庚申さんに手を合わす。
忙しく動き回って供えていた大頭と小頭もひといきついてから始まった涅槃会。
これまで私が拝見したときの導師は先生だった。
仏母寺行事の観音講の寄り合いのときもそうだったし灌仏会も・・・。
この年は入れ替わりがあったのか存知しないが若手になったようだ。
ローソクに火を点けて、涅槃さんに手を合わせる。
そうして始まった般若心経は三巻。
それと同時に繰り出す数珠繰りに般若心経が流れる速度とともに・・。
調子は割合早めである。
心経を唱えるだけでは、と思ったのか、隣に婦人が横についておりんを打つ。
長い数珠を繰るのはもう一組ある。
お部屋を半分ずつ分けて2組目は心経を唱えている間に入れ替わる。
入れ替えるのは数珠であって場は替わらない。
座敷手前に座っていた人たちはどちらかといえば女性に子どもたちだ。
にこやかな表情で数珠を繰る姿に萌えてシャッターを押す。
三巻の心経を終えたら数珠繰りも終える。
〆にいただく涅槃の御釈迦さんに供えた「アワメシ」。
お椀ごともった小頭の奥さんが少しずつ箸で摘まんだ「アワメシ」は、手を広げた村人にさしあげる。
いわゆる御供下げであるが、箸は「アワメシ」に立てていたもののようだ。
手で受けていただく供物の「アワメシ」はありがたく頂戴する。
その形式は県内各地の何カ所かで見られるテゴク(手御供)の形である。
数珠などを片づけてこれより始まるゴクマキ。
涅槃の御釈迦さんに供えた涅槃の団子を撒く。
室内両側の障子扉を開けたところに位置した御供撒きの人。
マツリに着用する法被に着替えて座敷に座っている村の人たちに向けて撒く。
両手に盛った団子はまん丸い。
転げそうになって手から毀れそうにもなる。
そこんとこは上手く纏めて放り投げる。
天井まで届くことのないように配慮しながら撒いていく。
座敷にころころ転がる団子を拾いまくる。
ころころ転がせるように撒く優しい人もいる。
右や左から、果ては後ろからも転げてくる団子を捕まえるのに這いつくばる人もいる。
団子争奪戦にカメラの視線はあっちこっちに振り回される。
ふと、気がついた。
団子撒きをする人それぞれに木樽がある。
数えてみれば六つもあった。
涅槃さんに供えるのは少なくして残りは廊下に置いていたようだった。
それはともかく、実に愉しい団子撒き。
大人も子供もはしゃぎまわる。
これでもかと思うほど撒いた団子。
まだまだ木樽子どもたちにはもっと優しく差し出す袋の中に入れてあげる。
こうして涅槃会を終えたらごーさん札を貰って帰る。
特に必要な人は農家さん。
苗代に立てるごーさん札は苗がすくすく育つように豊穣を願う。
このごーさん札は、大晦日の夜中から社務所に籠った大頭、小頭が版木で刷ったものだ。
刷る時間帯は元日の朝だときいているごーさん札の正式名称は「降三世」のお札だと以前に聞いたことがある。
元日に刷ったお札は、3月1日の祈年祭に奉られて祈祷される。
そして、この日の涅槃会で授与される。
何人かの人が授与された「降三世」のお札はいつ苗代に立てているのか。
受け取った人がいうには特に決まりはないそうだ。
例年は4月10日ころにするから、そのころになれば前もって電話をすると云ってくれたTさんにすがるしかないのだが・・・果たして。
(H29. 3.15 EOS40D撮影)