朝から餅つきをする、とFBに伝えていた。
この日を逃せば、一年送りになる。
気持ちが覚めないうちに、と思って、今から伺います、と伝言を入れ、自宅を出た。
行先は、これまで何度もお伺いしたことがある、田原本町・村屋坐弥冨都比売神社。
平成14年10月10日、初めて立ち寄った村屋坐弥冨都比売神社。
その日の撮影行事は、秋の例祭に行われる太々神楽だった。
当時、神職の禰宜を務めていた現守屋宮司。
歴史が深い村屋坐弥冨都比売神社の67代目になる、と云ってた。
次の年の平成15年の取材訪問は、2月11日に行われている御田植祭。
同年の6月30日は、夏越し大祓式。
その後、しばらく空白期間を経て、再訪取材に平成25年10月9日は宵宮祭。
同年の12月29日。
その日は、先代宮司から聞いていた簾型のしめ縄を撮っていた。
そのしめ縄の呼び名は“ゾウガイ“。
県内の一部地域、民家で継承されてきた簾型しめ縄。ある地域は”ドウガイ“と呼んでいた。
今年は、引退された先代宮司から引き継ぎ、守屋宮司一人でつくったそうだ。
なにかと忙しくなった守屋宮司。
翌年の平成26年1月。元日に撮らせてもらった”三宝飾り“。
同年同月の1月15日は、小正月の小豆粥御供。
また、御田植祭については、平成25年に森講の行事の詳細調査。
夏越し大祓式も、また再訪問した平成25年、28年。
また、末社・恵比須寿の三夜待ち行事も取材していた。
その他、社家守屋宮司が、近隣の旧村で行われている兼務社の年中行事の一部も取材したことがある。
そして、今日の取材は、守屋社家の家族が杵搗く餅搗き。
大きくなった息子さんにお友達。
宮司のお姉さんも手伝いに来られる正月の餅搗き。
お姉さんの息子さんに、その友達も力仕事に加わる。
社家自ら搗かれる餅搗き。
かつては2軒で8臼も搗いていたそうだ。
今日の餅搗きは、3升5臼の小餅搗き。
昔ながらの石臼に杵搗き姿を収めたい、と急いでやってきた。
挨拶もそこそこに、最後の一臼は、今から始めます、と云われて、慌てて構える。
眩しい昼光が差し込む時間帯。
陰と光の差が厳しい条件になんとか収めたが・・・。
力強く餅を搗くが、重たい杵を扱う形は、もう少しの鍛錬を要するようだ。
それでも振り上げた杵の重みによってモチモチの餅ができた。
熱くなった餅を取り出し、移す。
とり粉を手に、丸める小餅。
みなさん、揃って手が動く。
そんな情景を拝見していると、およそ60年前の我が家を思い出す。
隣近所とともに餅を搗く。
とり粉に塗して小餅を丸めていた体感の記憶が残っている。
杵を搗くことはなかった子どものころ。
近所のにいちゃんらは、みな逞しかったんだ。
そんな古い記憶に浸っているうちに餅搗きのすべてを終えた。
休憩する用意もしていた宮司の奥さん。
幼き子どもとともに小餅を丸めるようになるのは、もうすぐ。
来年には、可愛いお手手が動いていることだろう。
手伝っていた友人。
午後には用事があるから先に失礼します、というので、お住まいは、と尋ねたら地元大和郡山市内。
城下町の一角にある野垣内町。
新興住宅地が増えつつある新旧混ざった地域であるが、住民が出かける正月参拝は、野垣内の春日若宮社。
ここは、今もなお、正月の神さんが通る砂の道を敷いていますよ、と伝えた。
最後の一臼は、家族がいただく小餅。
すべて搗き終えてほっとしたお昼の時間。
搗いた餅を味わうひととき。
来年も穏やかな日々になることを願い、よいお年をお迎えくださいと伝えて退座した。
この日は、もう一件の師走の民俗行事も取材する。
時間的な余裕もなく、お昼も摂らずに次の取材地に向かった。
(R2.12.29 SB805SH撮影)
(R2.12.29 EOS7D撮影)
この日を逃せば、一年送りになる。
気持ちが覚めないうちに、と思って、今から伺います、と伝言を入れ、自宅を出た。
行先は、これまで何度もお伺いしたことがある、田原本町・村屋坐弥冨都比売神社。
平成14年10月10日、初めて立ち寄った村屋坐弥冨都比売神社。
その日の撮影行事は、秋の例祭に行われる太々神楽だった。
当時、神職の禰宜を務めていた現守屋宮司。
歴史が深い村屋坐弥冨都比売神社の67代目になる、と云ってた。
次の年の平成15年の取材訪問は、2月11日に行われている御田植祭。
同年の6月30日は、夏越し大祓式。
その後、しばらく空白期間を経て、再訪取材に平成25年10月9日は宵宮祭。
同年の12月29日。
その日は、先代宮司から聞いていた簾型のしめ縄を撮っていた。
そのしめ縄の呼び名は“ゾウガイ“。
県内の一部地域、民家で継承されてきた簾型しめ縄。ある地域は”ドウガイ“と呼んでいた。
今年は、引退された先代宮司から引き継ぎ、守屋宮司一人でつくったそうだ。
なにかと忙しくなった守屋宮司。
翌年の平成26年1月。元日に撮らせてもらった”三宝飾り“。
同年同月の1月15日は、小正月の小豆粥御供。
また、御田植祭については、平成25年に森講の行事の詳細調査。
夏越し大祓式も、また再訪問した平成25年、28年。
また、末社・恵比須寿の三夜待ち行事も取材していた。
その他、社家守屋宮司が、近隣の旧村で行われている兼務社の年中行事の一部も取材したことがある。
そして、今日の取材は、守屋社家の家族が杵搗く餅搗き。
大きくなった息子さんにお友達。
宮司のお姉さんも手伝いに来られる正月の餅搗き。
お姉さんの息子さんに、その友達も力仕事に加わる。
社家自ら搗かれる餅搗き。
かつては2軒で8臼も搗いていたそうだ。
今日の餅搗きは、3升5臼の小餅搗き。
昔ながらの石臼に杵搗き姿を収めたい、と急いでやってきた。
挨拶もそこそこに、最後の一臼は、今から始めます、と云われて、慌てて構える。
眩しい昼光が差し込む時間帯。
陰と光の差が厳しい条件になんとか収めたが・・・。
力強く餅を搗くが、重たい杵を扱う形は、もう少しの鍛錬を要するようだ。
それでも振り上げた杵の重みによってモチモチの餅ができた。
熱くなった餅を取り出し、移す。
とり粉を手に、丸める小餅。
みなさん、揃って手が動く。
そんな情景を拝見していると、およそ60年前の我が家を思い出す。
隣近所とともに餅を搗く。
とり粉に塗して小餅を丸めていた体感の記憶が残っている。
杵を搗くことはなかった子どものころ。
近所のにいちゃんらは、みな逞しかったんだ。
そんな古い記憶に浸っているうちに餅搗きのすべてを終えた。
休憩する用意もしていた宮司の奥さん。
幼き子どもとともに小餅を丸めるようになるのは、もうすぐ。
来年には、可愛いお手手が動いていることだろう。
手伝っていた友人。
午後には用事があるから先に失礼します、というので、お住まいは、と尋ねたら地元大和郡山市内。
城下町の一角にある野垣内町。
新興住宅地が増えつつある新旧混ざった地域であるが、住民が出かける正月参拝は、野垣内の春日若宮社。
ここは、今もなお、正月の神さんが通る砂の道を敷いていますよ、と伝えた。
最後の一臼は、家族がいただく小餅。
すべて搗き終えてほっとしたお昼の時間。
搗いた餅を味わうひととき。
来年も穏やかな日々になることを願い、よいお年をお迎えくださいと伝えて退座した。
この日は、もう一件の師走の民俗行事も取材する。
時間的な余裕もなく、お昼も摂らずに次の取材地に向かった。
(R2.12.29 SB805SH撮影)
(R2.12.29 EOS7D撮影)