マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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倉橋宮講祭

2007年11月24日 07時51分23秒 | 桜井市へ
桜井市倉橋では毎年14日に秋祭り宮講祭が行われる。

倉橋の特徴である割竹円筒型のお仮屋を前に一同が勢揃いすると手に持った日の丸扇御幣を翳して「オー、オー、オー」と三回連呼して出幸の儀。

お仮屋には垂幣、根付き稲穂を括り付けたクリの木のヒモロギが立てられている。

当屋は浄衣、講衆は素襖を着衣した烏帽子姿です。

クリの木ヒモロギを持つ親族(少子化により女性の参加を認めた)を先頭に三つの日の丸扇を組み合わせた御幣持ち、当屋、講衆らが連なって倉橋神社までのお渡り。

氏神さんである同神社で御幣を供えると、当家に講衆が並んで参拝されます。

参拝を終えると更に山中に鎮座する下居神社まで向かいます。

道中、若宮さんと呼ばれる遥拝所では当家と長老の二人は北の三輪に向かって参拝し再び下居神社へ向かいます。

同神社では等弥神社宮司が迎え祭礼に加わります。

クリの木ヒモロギ、大御幣を奉納して始まる神事は、宮座講の宵宮祭で神送り神事を呼ばれています。

下居神社は倉橋、下、浅古の三カ大字の氏神さん。

14日は各大字の宵宮祭で、昼過ぎから下、浅古、最後に倉橋の順で祭礼が行われます。

(H19.10.14 V603SH撮影)

岩室町事代主神社当家祭

2007年11月23日 09時47分10秒 | 天理市へ
天理市岩室町の事代主神社祭礼は宮座十人衆で営まれている。

今日14日は秋祭りの当家祭。

一行は石上神宮の神職を迎えて御幣を持つ当家を先頭に十人衆や御供餅桶を担ぎと共に同神社まで無言でお渡り。

当家と二人の長老は白丁装束で十人衆は礼服を着用する。

祓いの儀、祝詞奏上、献饌、玉串奉奠の神事は当家と二人の長老を祝う祭礼です。

神事を終えた一行は拝殿前で記念撮影。

夜には再び同神社に集まり御供餅撒きが行われる。

明日15日は石上神宮の渡御祭礼に参加しなければならないことから宵宮13日、本祭14日の祭礼としている。

(H19.10.14 V603SH撮影)

高田八坂神社宮講祭

2007年11月22日 09時31分05秒 | 桜井市へ
当家渡しを終えると宮講一同は小さな紅白紙片や穂付き稲を括ったクリの木が供えられたお仮屋の神事。

以前はクリの木に酒樽やフングリと呼ばれるオヒネリのコメを付けていたとおっしゃる講衆。

出幸の儀式を終えると八坂神社までのお渡り。

クリの木、御幣(以前は2本)を持って「ゴヘイノ ゴヘイノ ワーイ」と唱和しながら向かいます。

神社に着くとクリの木は牛頭さんの牛像に掲げ着幸祭神事が行われます。

12軒あったころは紅白奉書を取り付けた大きな日の丸扇御幣3本もあったが四人となった現在は廃止されてます。

(H19.10.14 V603SH撮影)

高田宮講御膳

2007年11月21日 09時36分34秒 | 桜井市へ
桜井市高田のメスリ山古墳に鎮座する八坂神社を奉る宮講。

寛政のころの宮講制度は16軒。昭和30年代に12軒となり、現在はたったの4軒で宮講祭が行われている。

祭礼は10月14日。

二週間前の1日には当家宅の玄関にお仮屋を建てられる。

小さなお椀が五つ並べられた四台の御膳。洗い米、塩、酒、豆にクリ、お頭付きメザシ(イワシ、ジャコの場合もある)を供えて、灯明を点けて毎夜に当家が参る。

数日前に吉野町の吉野川でオナンジ参りで小石を拾い、大御幣と共に座敷に供えます。

1日の夜は講衆四人が当家宅に集まって朔座の膳が営まれる。

14日の朝、当家宅に集まった今年の当家、次の当家、前年当家に当番出仕の四人に等弥神社宮司が加わります。

談山神社から拝受された塗りのお盆椀に盛られたゴボウ、エダマメ、コンニャクにお酒でヨバレて御膳の儀式。

(H19.10.14 V603SH撮影)