マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

讃岐うどん総本舗琴平製麺所のカレーうどん

2013年07月21日 09時13分43秒 | 食事が主な周辺をお散歩
半額サービス券が利用できる最後の日だった4月1日。

2カ月ぶりに入店した讃岐うどん総本舗琴平製麺所。

国道24号線沿いの大和郡山市下三橋にある。

入口には数々のうどんメニューがある。

釜玉、ぶっかけ、おろしぶっかけ、とろ玉、かけ、おろししょうゆ、ざるにカレーうどんだ。

この日に選んだのはカレー味が食べたくなってカレーうどんに決めた。

かつて入ったことがあるうどん専門店のカレーうどんは和風。

とろーりとしたあんかけが多い。

チェーン店である琴平製麺所のカレーうどんはどうなんだろうか。

本来ならば380円のカレーうどんが本日まで利用できる半額サービス。190円を支払った。

トッピングはさまざま。



無料の0円表示があった天カスと青ネギをスプーンでたっぷり盛った。

カレーの量はさほどでもないが食べてみれば少量とは思えなかった。

味は和風。

とろとろあんかけではないが値段並の美味しくいただけるカツオ出汁。

麺は極太い。

カレー汁が跳ねないようして食べるにはツルツルっていう具合で喉を通すわけにはいかない。

一口入れては歯で噛切る。

少しずつ分けて食べるしかない。

カレーに天カスはどうなんだろうかと思ったが違和感がない。

意外と美味しく感じたサクサク感。

カレーといえばお肉だ。

僅かにあったカレー肉はスジ肉ではないだろうか。

看板にあるカレーうどんに肉の姿は見えないが、琴平製麺所のホームページでは肉がどっさり。

そんなにあれば満足するのであるが・・・。

それから数カ月後の7月中旬のことだ。

建物を工事しているではないか。

7月20日にはうどん店ならぬラーメン店に転じた。

その名は「丸福軒」だ。

前日には新聞チラシが入っていた。

廃業、それとも業態転換なのか、オーナーが替ったのか・・・。

(H25. 4. 1 SB932SH撮影)
(H25. 7.20 記)

千日町桜並木の花ちらし

2013年07月20日 07時33分36秒 | 自然観察会(番外編)
一週間前の3月25日は三分咲きだった千日町の桜並木。

いぜんは町内会で提灯を揚げて桜まつりをしていたがいつの間にかしなくなった。

提灯はなくとも桜は毎年咲いてくれる。

道路を見れば桜の花びらが散らかっている。

わりあいと多めにあるので気がついた。

よくよく見れば花ごと落ちている。

落下の桜花は5枚弁。

樹上で囁くスズメが鳴くピチュ、ピチュ。

ざわめかしいほどに鳴いているスズメはニュウナイスズメ。

群生して移動するニュウナイスズメが伝える春の訪れ、第一声である。

道路に落ちていた花はニュウナイスズメが落とした。

蜜を吸ったのか、食べたのか。

一輪ごとに軸を銜えて花を落とす。

軸を銜えているというよりもそこから出てくる蜜を吸っているのだ。

吸い終わると不要になって嘴から離す。

その痕跡が道路いっぱいに広がっているのだ。

それから一週間後4月1日の千日町。

桜並木は満開だ。



一輪桜の落し物がさらに増えていた。

これを「スズメのラッパ吸い」と呼ぶそうだ。

やまちゃん先生の話によれば一輪の花を落とすのはニュウナイスズメだけでなくスズメ、イカル、シジュウカラにヒヨドリ、ウソも見られるそうだ。

食べ方はそれぞれ異なるようですが、いずれもサクラの花。

機会があれば花を愛でるときには野鳥の動きもじっくり拝見したいものである。

ちなみに千日町のニュウナイスズメは拝見した場所以外はとても少ない。

桜並木のどこでもしているのかと思えばそうではなかった。

落ちている花もなく鳴き声も聞かれない。

ある一定の場所だけなのである。

桜の種類はいずれも同じであるが、そこだけだ。

花の蜜の味が違うのであろうか。

(H25. 3.25 SB932SH撮影)
(H25. 4. 1 SB932SH撮影)

長柄のちゃんちゃん祭門飾り

2013年07月19日 08時59分00秒 | 天理市へ
大字兵庫で拝見した各大字の門神さん飾りの記録写真。

気になったのが大字長柄の門神さんである。

兵庫、三昧田、佐保庄とは異なる造り。

土台のクヌギの割木がなくシバが直にある。

台形のような形は砂盛りのように見えた門神さんは中央に幣串、回りは竹を組んだ垣根であった。

長柄では門神さん飾りをカド飾りと呼ぶ。

カドの神さんは外神さん。

それとは別に頭屋家で祀る神さんがあると云っていた。

兵庫の人たちの話によれば一年間も祀る分霊のようだ。

それを確かめたくて立ち寄った長柄の集落。

東西に抜ける街道を通った際にあった忌竹を張る家はO家。

ご了解をいただいて拝見した門神さんは砂盛りではなかった。

写真の画像がそう見えたが台形はシバであったのだ。

屋内に祀っていると云うヤカタは大和神社の分霊のようだが、還ることはないそうだ。

O氏の話によればカド飾りはゴヘイノハサミとも呼んでいる。

忌竹に掛けた注連縄の紙垂れのことなのか、宵宮で奉納する御幣の幣紙のことであろのか聞きそびれた。

長柄はおよそ200戸。

18組に分かれているそうだが西方にある新町は含まれない。

頭屋は前年組から隣組に移る回りである。

大和神社の鳥居下には長柄村の4人が寄進した大燈籠が2基ある。

一つは「延享五辰年(1748)五月吉日」された「大和社常夜燈」だ。

天頂には珍しい鳩の造形がある燈籠は長柄の歴史を語る常夜燈である。

3月24日は公民館に寄りあった。

その場で作った御幣とカヤ。

五合の洗い米を奉書に包んで御幣に括りつけてこの日の宵宮参りを済ませて戻ってきたばかりだそうだ。

明日のちゃんちゃん祭における祭祀について宮総代を相談されていたO家で聞いた頭屋決めの行事。

24日は御幣作りを終えてから次年の受け頭屋を決めるくじ引きをするそうだ。

候補者に挙がっている頭屋家の籤は丸めて三方に載せる


その籤を引くのは頭人児(稚児とも)である。

兄頭人児は弟頭屋を引く。

弟頭人児は兄頭屋を引く。

くじ引きの作法は候補者の籤を頭人児が箸で摘まむのである。

11月25日頃(日曜日辺り)は公民館で「ダンゴ盛り祭」が行われる。

接待のダンゴ汁で会食したのちに分霊を祀ったヤカタを引き継ぐ。

ヤカタは兄頭屋から受け頭屋の弟頭屋へ。

弟頭屋のヤカタは受け頭屋の兄頭屋に引き継ぐ


ヤカタの引き継ぎ、頭屋のくじ引きとも兄・弟頭屋が交互に作法するのが長柄の特徴であろう。

(H25. 3.31 EOS40D撮影)

佐保庄の門飾り

2013年07月18日 06時54分27秒 | 天理市へ
雑賀耕三郎氏に案内されて向かった佐保庄の両頭屋家。

門飾りを撮らせていただく。

この年の当たりである垣内は北垣内である。

翌年は東垣内の1組。

その翌年は2組で次は南垣内の回りになると話す兄頭屋家のおじいさんは奈良市ならまちから戻って当地に住んでいると話す。

その後に頭屋を勤めたことがあると云う。

家も建て替えたが提灯を掲げることを想定しなかった造り。

弟頭屋家のように「掲げることができなくて・・」と申しわけなさそうに話す。



佐保庄の門神さん飾りは一本の丸太が土台だ。

何の木の蔓か判らないがぐるりと丸太を縛るように設えている。

上にはシバ(芝)を張って竹と杉の葉の垣根をしている。

ヤカタを置いて酒、水などを供える器がある。

忌竹を立てて注連縄を張る。

宮入りで授かった4枚の紙垂れを挟んでいた。

それらを拝見した帰路に着こうと思った際に出くわした頭屋たち。

どうやら宵宮参りを終えて授かった産子幣を氏神さんの素戔嗚神社に奉ってきたようだ。

(H25. 3.31 EOS40D撮影)

佐保庄のちゃんちゃん祭宵宮参り

2013年07月17日 07時01分44秒 | 天理市へ
この年の宵宮参りのトリになったのは大字佐保庄(さほのしょう)だ。

兵庫が参っているときにやってきた。

佐保庄は頭屋、頭人児とも白装束である。

3月24日の午後は集落の公民館に集まった人たちは旗竿やチマキ、4枚羽根のカザグルマを作っていた。

佐保庄は四つの垣内(北垣内・南垣内・東垣内の1組・2組)の回り。

4年に一回の回りであるが、頭屋はその当たりの垣内から選ばれるだけに垣内の戸数によって大幅に異なるであろう。

頭屋家の門神さんの飾りつけなどを拝見された雑賀耕三郎氏の報告によればチマキの材料はコモクサ(薦草)だそうだ。

昨年の夏の頃から村三役と兄・弟頭屋が集めてきたコモクサ。

乾燥させて保管していたと伝える。

作った20本のチマキを大事そうに抱える一人の宵宮参拝者。

昇殿前の緩やかな表情を見せる頭人児。



金色烏帽子から後ろに垂らした赤い襷が塗しい頭人児。

赤色の袖通しの前紐で身につけた白装束姿である。

雑賀氏を通して挨拶させていただいたK氏のお誘いで拝見したと云う。

佐保庄の旗竿が見られないことに気がついた。

K氏に尋ねれば失念したようだと話す。

佐保庄は御幣とともに20本のチマキと銚子の酒を2本奉納する。

神事を終えて空になった錫製の銚子は返される。

産子幣を授かって戻っていく大字の人たちは参進した街道を戻っていった。

(H25. 3.31 EOS40D撮影)

兵庫のちゃんちゃん祭宵宮参り

2013年07月16日 08時22分08秒 | 天理市へ
宵宮参りの日の朝は提灯立てに駆けずり回ったと云う大字兵庫。

ミナライと呼ばれる次頭屋とともに作業をした両頭屋。

突然の雨に掲げる提灯立てに大わらわであったと話す。

大字三昧田は集落南から兵庫へ繋ぐ上街道沿いであるが、兵庫はほとんどが集落内の辻の6カ所に提灯を立てた。

大字三昧田が宵宮参りを済ませて戻っていった直後の時間帯。

公民館前に集まった兵庫の宵宮参りの一行はそれぞれ定まった衣装を着用している。

兄・弟頭屋(親・子頭屋とも呼ぶ)は白装束、頭人児も白装束だが袖通しの結び紐の色は兄頭人児が紫で弟頭人児は赤色だ。

この年は頭人児の体長の関係で衣装を仕方なく交換されたことを付記しておく。

幼児の頭人児とともに行動する世話人の頭人代(子守代とも)は黒の羽織袴。

次年の兄頭屋も黒の羽織袴姿であるが、弟頭屋は白装束だ。



一行は大和神社の宵宮参りに出かける前に氏神さんに詣でる。

素戔嗚尊こと須佐之男命を祀る素盞嗚神社を地元ではコミヤサン(小宮さん)と呼ぶ。

かつては牛頭天王社と呼ばれていた神社の燈籠は「須佐之男命」が刻まれている。

弘化五年(1848)戌申二月吉日に建之された燈籠である。

兵庫の旗を受け持つ次年の弟頭屋。

三合御供を付けた御幣を持つ次年の兄頭屋。



二合御供を付けた御幣を持つ弟頭屋は先に進んで開けた拝殿に納める。

一同揃って氏神さんに参拝した後は宵宮参りのお渡りだ。



宮入りと同様に集落中央の辻を曲がって東上する。

兵庫は隣村であるが東へ向かう集落の街道を歩く。

かつては水路があった兵庫の街道。

昔はもっと狭かったそうだ。

成願寺、萱生、兵庫の境目の新建(しんたち)垣内の辻で曲がって上街道(初瀬街道)に入る。



大和神社の鳥居を潜って参道をゆく。

神社に到着すれば宮総代が待っている。



担いできた兵庫の旗は所定の位置に立てる。



手水で手と口を清めて昇殿する一行。

御幣を宮総代に授けて始まった宵宮参りの神事。

神職が祓えの儀、祝詞を奏上される大和神社の桜が美しい。



絶好の日よりになったと話していた宮司は授ける産子幣(うぶこへい)を左右に振る。

僅かな動作であるが奉幣振りの作法であろう。

受け取った産子幣は次年の兄頭屋が持つ。



宵宮参りの一行は宮入りと同様に旧道の裏参道を戻って集落に辿りつく。

頭屋ならびに次年頭屋は前夜に用意しておいた五合御供を産子幣に括りつけて素盞嗚神社の拝殿に納めて解散する。

(H25. 3.31 EOS40D撮影)

三昧田のちゃんちゃん祭宵宮参り

2013年07月15日 07時51分06秒 | 天理市へ
大和神社の宵宮参りに先だって氏神さんの春日神社に参る大字三昧田(さんまいでん)の兄・弟頭屋。

黒の羽織袴姿である。

春日神社境内には数々の燈籠がある。

常夜籠には「堂 御家武運長久 天保十三年(1842) 正月吉日」。

愛宕大権現と刻まれた燈籠の一つは「大神宮 弘化二年(1845) 正月吉日」で、もう一つには「天保十四年(1843) 正月吉日」とある。

3年間に亘って次々と建之された燈籠である。

宮参りに向かう一行は頭屋だけでなく烏帽子を被り、白い衣装を身につけた頭人代(子守代とも)らもやってくる。

24日の座つくりでは婦人の姿もあった垣内の手伝い。

宵宮参りは婦人でなく男性でなければならない。

母親とともに神社に向かう。

神社境内には頭屋家族の他、垣内の人たちも大勢おられる。

垣内の晴れ姿は賑やかだ。

御幣は一本。

量は八合だが「一升」の名をもつ御供を括りつけた御幣である。



両頭屋とも烏帽子を被り、後ろに結んだ赤い襷の白装束の頭人児とともに春日神社の拝殿に入ってお参りをする。



参拝を済ませば頭屋家族が撮る記念写真におさまった大字三昧田(さんまいでん)のお渡り一行。

垣内の人たちに見送られて一旦は北へ向かう旧街道を行く。



旗持ちを先頭に地区を練り歩く。

門飾りをした兄頭屋家の前を通って辻を曲がる。

南北に連なる旧道は上街道(初瀬街道)だ。

北垣内の集落を抜けて国道168号線を跨ぐ。

白装束の人たちは手に笏を持っている。

歩道を歩く姿を見た運転手は何があるのかさぞや驚いたことであろう。

信号佐保庄で再び国道を跨ぐ。

旧・新の街道を練り歩く一行は大和神社へ向けて一直線。



長距離を練り歩くには難しい幼児の頭人児は頭に抱えた兄頭屋。

嬉しそうな顔は垣内の表情でもある。



鳥居を潜って参道をゆくときには宵宮参りを済ませた大字萱生の一行とすれ違う。

宵宮参りは大字ごと20分おきに行われているのである。

神社に到着すれば宮総代が待っている。

担いできた三昧田の旗は所定の位置に立てる。

到着の印である。



手水で手と口を清めて昇殿する一行。



御幣を宮総代に授けてから始まった宵宮参りの神事。

祓えの儀、祝詞を奏上される神職たち。



拝殿の前には二人の随身(ずいじん)役が座っている。

この年の当たりの大字は佐保庄と新泉である。

随身はすべての宵宮参りが済むまではこの位置に居なければならない。



神事を受けて産子幣を授かった頭屋ともども一行の顔は穏やかになった。



戻る道は兵庫を抜けて上街道へ。

午前中に村役員や頭屋が立てた提灯が旧街道に並ぶ。

突然の雨に大慌てでビニールカバーをつけたそうだ。

1日の翌日2日は受け頭屋の引き渡し。

頭人児が着用していた衣装は兄・弟頭屋家がそれぞれクリーニングしておく。

以前は頭屋家で洗って次の頭屋家に持っていっていたが、平成16、17年辺りからはクリーニング店に頼んでいる。

また、諸道具の不足もあったことから区長および宮総代の立会のもとで引き渡しをするようにしたと当時の区長が改正したと話す。

そのような事情から引き渡しの日程は両者相談の上で決めている。

(H25. 3.31 EOS40D撮影)

ちゃんちゃん祭宵宮参り

2013年07月14日 09時12分45秒 | 天理市へ
31日の朝10時ころに鳴りだした突然の雷音。

大和郡山市ではお城祭りの花火もあがった。

それと共鳴するかのような雷鳴である。

バラ、バラと降りだした大粒の雨。

地面に跳ねる白い物体。雹である。

数分後には止んだ大和郡山市。

午後に伺った天理市ではそれほどでもなかった雨量。

雹は降っていなかったと話す大字の人たちは、それでも突然の雨に掲げる提灯立てに大わらわであったようだ。

平成25年のちゃんちゃん祭宵宮参りは岸田、成願寺、萱生、長柄、三昧田、新泉、中山、兵庫、佐保庄の順である。

一番乗りにやってきた大字岸田の一行。

甲・乙頭屋とともに到着した烏帽子を被り赤い襷で結んだ白い衣装の頭人児の姿が微笑ましい。

今年の宵宮参りは大和神社の桜が咲き誇る。

拝殿前で迎える随身はまだ到着していない。

二人が揃わないと宵宮参りは始まらないのである。



拝殿にはお参りを済ませた大字の人たちが授かる産子幣(うぶこへい)を並べている。

そこには特別に大字新泉に捧げられる小幣とも呼ばれる田楽幣もある。

新泉はお旅所祭において田の実の舞とも称される「翁の舞」を所作する特別な大字。

岸田も特別で産子幣以外に御神水も授かる大字である。

頭屋はそれぞれの大字によって呼び名、人数が異なる。

岸田は甲・乙頭屋、成願寺は一人の頭屋、萱生は親・子頭屋、長柄は兄・弟頭屋、三昧田も兄・弟頭屋、新泉は一人の頭屋、中山も一人の頭屋、兵庫は親・子頭屋(兄・弟頭屋とも呼ぶ)、佐保庄は兄・弟頭屋である。

それぞれの大字の頭人児も人数が異なる。

岸田、萱生、長柄、三昧田、兵庫、佐保庄は二人ずつであるが、新泉は一人である。

成願寺と中山は頭人児の存在がない。

(H25. 3.31 EOS40D撮影)

兵庫のちゃんちゃん祭の祭具作り

2013年07月13日 08時44分32秒 | 天理市へ
天理市の兵庫町は東垣内、新建(しんたち)、西垣内、西新町、北新町の5垣内。

もともとは東垣内、新建、西垣内の旧村60戸であったが、JR桜井線長柄駅の西方に新町ができてから100戸の集落になった。

この年の頭屋を勤めるのは西垣内の兄、弟頭屋(親、子頭屋とも)。

翌年に担う西新町の両頭屋も集まってきた30日の晩。

この日はちゃんちゃん祭における旗竿、御幣、ハナカザリ(花飾り)を作る祭具作りの日だ。

この日は大和神社の宮総代を勤めるM氏の指導の下で作業を進める。

三昧田では垣内の手伝いさんがおられたが兵庫は現、次の両頭屋だけでされる祭具作りである。

次の頭屋はミナライ。

作業を手伝うことでちゃんちゃん祭を身体で覚えていくのだ。

両頭屋とも婦人も交えて作る作業は夫婦作業。

三昧田でも夫婦であるが主な作業はご主人で婦人はその手助けであった。

大字によっては在り方がそれぞれなのであろう。

予め伐り出しておいた青竹。

旗に合わせて幅、長さを揃えておいた竹。

切り込みも入れてある。

旗を通して崩れないように針金で縛る。

御幣は2本の青竹を揃えて針金で縛る。

奉書に包む御供は3種類。

二合、三合、五合の量の洗い米だ。

それぞれの御幣には宮入りで授かった幣紙を麻緒で括る。

二合を付けた御幣は31日の宵宮参りにコミヤサン(小宮さん)と呼ばれる素盞嗚神社に参る際に持っていく。

二合御供の御幣はそのまま神社の拝殿に納めておく。

三合御供の御幣はちゃんちゃん祭の際に持参して大和神社へ奉るそうだ。

なお、五合御供は宵宮参りで授かった産子幣に括りつけるものである。



一方の婦人たちの作業はハナカザリ作り。

頭屋は予め短冊に切っておいた色紙を細い竹に巻いていく。

その様子は三昧田と同じような作業であるが竹の形状が異なる。

三昧田は割いた竹であるが、兵庫は丸竹である。

色紙は実にカラフル。

赤、黄色、ピンク、緑、薄緑、水色、青色の色紙は長さが10cmで幅は150cm。

それぞれの色紙を1.5cmに切り込んだ短冊である。

ハナカザリの短冊は心棒の竹の上から順に糊付けしていく。

短冊部を広げて花が開いたようにする。

一つ付けてはその下に。長さは60cmのハナカザリは21色にもなった。

カラフルなハナカザリはオオダイコンではなく八角木製の台だ。

台の穴に差し込んで出来あがったハナカザリは4本。

ちゃんちゃん祭のお旅所の座になる兄、弟頭人児の両脇に置かれる。

大字三昧田と佐保庄が座に飾るカザグルマ。

大きな風車が見られるカザグルマである。

もしかとすればだが、この作りを見て思ったのは兵庫のハナカザリが原型であったのではないだろうか。

子供が喜ぶおもちゃのカザグルマは後世において装飾されたのではないかと思ったのである。

大字兵庫は特別な奉納儀式がある。

大字中山にあるお旅所へ向かう道中。

岸田市場に鎮座する休み場で舞うタツノクチ(龍の口)舞である。

所作を勤めるのは兵庫の男児二人。

頭人児は幼児から小学生の年少ぐらいまでだが、舞いを所作するには難しい年代。

小学生の高学年、或いは中学生になるという。

先頭の子はタツガシラ(龍頭)を抱えて、後方の子は縞模様の布を持つ後振役だ。

龍の口舞はお旅所祭や還幸祭においても舞う重要な役目である。

神幸祭のお渡りの前に露店を訪れる大字新泉。

太鼓をドン、ドンを叩けば店の人から商品や金銭をもらい受ける。

その場には龍頭を抱える兵庫の子供も居る。

龍頭の口をパカパカと開閉させつつ新泉と同様に露天を巡って「きしゃ(喜捨)」と呼ぶ「賽銭」の商品をもらっていく。

他の大字では見られない両大字の特権である。

兵庫では貰った物品を頭人児と龍の口舞をする4人の子供に分けるそうだ。

前年に龍頭役を勤めた子供は嬉しくて「次の年もしたい」と云う。

その龍頭には幣を麻緒で括る。

この夜は区長会があった。

兄頭屋を勤める人は区長。

会合が終わって駆けつけた作業場の公民館では作業の終盤辺り。

龍頭には裏を返しても文字は見られないと話す宮総代。

兄頭屋もそれを確認する。



呼出順の19番の札も付けておく。

区長会で話題になったちゃんちゃん祭の祭具作り。

兵庫の祭具作りは簡略化しているから気楽になったが、成願寺ではこの日の午後中いっぱいかけて6升半と2升半のモチを杵で搗いていたと会合で知ったそうだ。

牛の舌餅(250枚)、テイワイ餅、吉野御供のモチ(100枚)と呼ばれている成願寺のモチである。

頭屋の庭で関係者が搗くようだ。

中山ではチマキのカヤが手に入りにくくなったことも話していたそうだ。

祭りにおいて毎年作る作業はいずこも材料集めや労力を伴うのである。

この年のちゃんちゃん祭の甲冑役は大字佐保庄と大字中山。

随身役は大字佐保庄大字新泉である。

毎年交替するもち回りの大字は平成26年が萱生・成願寺と兵庫・中山となる。

平成27年は岸田・長柄と三昧田・岸田。平成28年は三昧田・兵庫と成願寺・長柄。

次が新泉・佐保庄と萱生・佐保庄。その次は中山・萱生と新泉・兵庫。

その次は成願寺・岸田と中山・三昧田となる。

9カ大字が担う年度の甲冑役と随身役の順番は決まっている。

今年にあたっている頭屋はそれらの役目を担う人たちも定めておかねばならない。

数カ月も前のことだと話す兄頭屋。

翌年のことであるが、次年の受け頭屋にとっては心配の種。

早急だと云えばそうであるが、それに優しく応える2月の初魂祭前に受け継いだ頭屋と宮総代。

宮総代は一年目であるが前年に頭屋を勤めた体験があるから応えられたのである。

祭具作りにはハコヤの木で作る箸もある。

長さは35cmぐらいで中心部が15cmぐらいの中太に仕上げるハコヤの箸は4本。

お旅所の座に座る頭人児の箸であるが、前年までに作っておいた在庫があることから今年は作らずに済んだ。

ハコヤの木は俗称で別称がハコヤナギ(箱柳)。

正式名称はヤマナラシである。

ポプラと同種でヤナギ科の落葉樹のヤマナラシは風が吹けばパタパタとはためく音をだす。

その形態からヤマナラシ(山鳴らし)と呼んだようだ。

ヤマナラシ材は柔らかくて加工しやすい。

主に箱を作る材料であったことからハコヤの木と呼ばれたそうだ。

(H25. 3.30 EOS40D撮影)

産直市場よってっての広島焼き

2013年07月12日 08時16分54秒 | あれこれテイクアウト
野菜がほしくなれば立ち寄る「産直市場よってって」は大和郡山市の小泉町にある。

特売ではなくて毎日が安い野菜。

付近の生産者が大切に育てた抜きたての野菜は自らが値段をつけるそうだ。

スーパーで売られているような画一的な価格でなく少なければ安価。

小さければこれもまた安価。

二人暮らしに丁度良い量は買いやすい。

この日に訪れたのは野菜目当てではなく広島焼き。

店内で作っている広島焼きはできたてほかほか。

温もりがある惣菜一品である。

何カ月か前からは、毎日売っている広島焼きは300円。

試しに買って食べたら美味しかった。

かーさんも美味いと云う。

味を占めた広島焼きが食べたくなって仕事帰りに買ってきた。

何週間か前にも食べたくて立ち寄ったが、その時は売り切れだったのか棚には並んでいなかった。

この日もそうであれば残念と思ったがそうではなかった。

作りたてがいっぱいあった。

評判なのであろう。

パックの蓋を開ける前から漂う美味しい香り。



大盛りのように見える広島焼きの中からはキャベツがどっさり。

ソースを絡めて食べる。

アオノリ、花カツオにマヨネーズもかかっている。

食べても、食べても中から出てくるのはキャベツ。

焼きそば麺がなかなか現れない。

右から順に箸をつけて食べていった。

中ほどになってようやく出てきたそば麺。

塩、胡椒は感じない程度だがソースで絡めれば美味いのだ。

細切りのショウガも出てきてやっとそれらしくなった味わい。

豚肉はコマ切れ肉だろう。

ときおりそれらしいものが歯に当たる。

価格の割にはボリューム満点の広島焼きに120点をあげよう。

(H25. 3.27 SB932SH撮影)