マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

榛原山辺三顔出し濡れ地蔵

2016年04月05日 08時32分34秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
21日はまだ水没状態だった山辺三の濡れ地蔵。

1日に30cmも水位が下がると聞いていた。

室生ダムは宇陀市榛原・菟田野・大宇陀から桜井市、明日香村、橿原市、天理市、田原本町、大和郡山市、広陵町、川西町、三宅町、川合町、安堵町、斑鳩町、三郷町、平群町、生駒市など奈良県内をほぼ充足する水源地。

近辺から田に水を送って水位が下がる。

山辺三の天満台住民から電話をいただいた。

この日の朝は地蔵さんの頭の上が湖面になっていたという。



それから5時間後に訪れた濡れ地蔵はお顔を出していた。



予想していた通りの水位だった。

水位が下がった跡かたがお顔の半分下を濡らしている。

まさに濡れ地蔵の出現である。



明日の27日には胸元辺りまで水位が下がるようだ。

なお、水没情報を伝えてくださった男性Mさんの話しによれば、早朝はダムに浮かぶ樹木や濡れ地蔵の写真を撮る人が多いと云っていた。

霞む湖面の情景を撮りたいのであろう。



私はこの時間帯に沈む樹木のありのままを撮っていた。

(H27. 5.26 EOS40D撮影)

山辺三の濡れ地蔵はいつ出現するのか

2016年04月05日 08時18分55秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
室生ダムの水位が気になって出かけた宇陀市榛原の山辺三。

濡れ地蔵尊はまだ水没状態だった。

水面にぽっかり浮いたように見えるのは天保六年(1835)に建てられた常夜燈の頭部分だ。

このダムでフィッシングを楽しむ人は多い。

この日も高校生がやってきた。

近くに住む男の子。

友達を誘ってきたという。

近くに日陰で休息されていた男性がおられた。

なんでも毎日のようにダム周辺をサイクリングしているという。

遠くからではなくすぐ近くの天満台からだ。

男性が云うには、水位は一日に30cmも下がっているらしい。

数日後には出没すると思われる濡れ地蔵は水没しておれば位置が判らない。



ここら辺りだと思ってシャッターを切ってみるが怪しい。



自宅に戻って、雪が残っていた今年の1月3日に撮った写真<平成27年1月3日の濡れ地蔵>と見比べた。

その差は60cmぐらいであろうか。

そうなれば23日には濡れ地蔵の光背部分になるだろう。

濡れ地蔵のお顔が出現するのはさらに2日後の25日。

そのころがちょうどいいのでは・・・と思っていた。

5日後の26日の10時過ぎだ。

地蔵さんの出没状況を電話で伝えてくださった天満台に住む男性Mさんが話すには濡れ地蔵の頭部分が見えだしたという。

私が予測計算していた通りの出没情報である。

ぴったり情報を伝えてくれた男性に感謝する。

(H27. 5.21 EOS40D撮影)

金属ポールのコイノボリ

2016年04月04日 09時37分42秒 | 奈良市へ
5月の子供の節句が済んだらコイノボリを降ろす家は圧倒的。

GW期間中に拝見したコイノボリはすっかり姿を消す。

これまで聞取りをした県内各地の人たちは6月の節句の日まで揚げていると話していた。

雛飾りは節句が終われば直ちに仕舞う。

婚期を逃すというようなことであるが、コイノボリはそういうことは聞いたことがない。

雛飾りと同じように仕舞われてしまう。

そう思い込んでいるのかもしれない。

自宅からすぐ近くにある新興住宅地ではこの日も揚げていた。

そよぐ風に向かって泳いでいた。

そこより下って西ノ京辺りに向かう。

県道に出たところである。

西側にふと視線が向いた。

コイノボリがここでも泳いでいた。

先を急ぐのは奈良県美術人協会展。

出展作品を拝見して戻ってきた。

気になるのはコイノボリの支柱だ。

もしかとして木材?と思っていたがそうではなかった金属ポール。

矢車がカラカラと回っていた。

ここら辺りは奈良市西ノ京町と境目の六条町。

垣内でいえば六条東町のようだ。

ここより西、秋篠川を越えれば薬師寺がある。

3年後の2018年を目指して、およそ110年ぶりになる東塔の解体修理工事が行われている。

このころにもコイノボリを揚げておられたら撮ってみたいと思った。

それから一週間後。

写真家のNさんから「ニュースがある」と電話がかかった。

なんと、なんとである。

河合町の山坊(やまのぼう)の集落で杉の葉があるコイノボリの支柱を発見したというのだ。

県内事例の貴重な在り方に驚かれたそうで、木の皮を剥いだ支柱をみるのも始めてだったそうだ。

立てていたお家を訪ねられた。

そのコイノボリは孫誕生の祝いに立てたそうだ。

長男のときも同じように誕生年は杉の葉付きの支柱。

翌年は羽根車に取り換える。

その家は翌日の29日まで。

六月節句までではないようだ。

(H27. 5.20 SB932SH撮影)

JNP日本風景写真協会奈良第1支部第13回写真展in奈良市美術館

2016年04月03日 17時39分20秒 | しゃしん
この月、3度目の奈良イトーヨーカドー。

5階にある奈良市美術館に出向く。

5階にあん摩マッサージ機が設置されている。

10分間で100円。

これで肩こりが治ればと思っているが・・・。

第1支部の撮影地は45か所。

エントランスホール2枚を除いた展示作品数は56点。

会員独自の行先があるとみえる。

目的とする被写体は多様でもないが目的地が異なるのだ。

つまりは独善的な行動パターンがみられるし、バラエティに富んでいる。

北は北海道から南は鹿児島まで。

海外まででかけられたネパール・エベレストもあった。

県別でみれば北海道(1点)、秋田(3点)、福島(1点)、長野(15点)、山梨(2点)、静岡(1点)、富山(1点)、石川(1点)、岐阜(1点)、滋賀(1点)、京都(1点)、奈良(19点)、和歌山(1点)、岡山(1点)、鳥取(2点)、熊本(2点)、鹿児島(2点)だ。

近畿圏より東は26点(46%)、近畿は21点(38%)、西は7点(13%)。

第1支部の半数は北に向かい西は少ない。

ほとんどの人は車中泊もしながら撮影しているらしい。

Mさんはそれを避けるように西に向かうと話していた。

西なら新幹線など電車にレンタカーが格安。

個人や所属するクラブ団体で行くこともある。

交通事故に遭遇するケースも考えられ会員家族も不安。

安心してもらうよう電車・レンタカーにしているという。

県別でみれば奈良県が一番多い19点(34%)、次に多いのが長野県の15点(27%)である。

会員6割が占める目的地である。

奈良県の内訳は川上村の5点がトップで2番目は五條の3点。

他は1点ずつの十津川村、野迫川村、上北山村、天川村。

第2支部と同じように奥吉野狙いが多い。

その他、曽爾村、高取町、天理市、大和郡山市、平群町や奈良市内(2点)も1点ずつだ。

これも似たり寄ったりの傾向がみられる。

この月は和歌山第2支部の展示会も拝見した。

第1支部と同じような長野県辺りを目的地にする傾向がある。

だいたいが山岳地や山間部の景観をとらえた、よく見かける風景写真の様相である。

美しさを求めるのであろうJNP会員写真展は人や建物などの人工的な構造物の写し込みはしてはならないそうだ。

稀に人工物がある写真がある。

それは主役でもなく脇役でもない点景描写であれば問題ないそうだ。

富士山頂の美しさをとらえた写真がある。

山頂に建つ構造物はどけようがない。

それは構わないが、人物や構造物にあってはならないそうだ。

今回の展示のなかの2点には人物を描写した作品がある。

一つは凍った滝を登る人。

安全ロープまでならよかったのにと思った。

もう一つは雪山をバックにした茅葺民家。

色づくカキの木も添えているがどこかがおかしい。

茅葺民家には生活感がない大八車の車輪が二つある。

傍にはほっかむりを被った農婦と思える人が一輪車を押している。

服装は野良着でなく雨除け合羽だ。

若い婦人のように思える一枚の写真に生活感を感じない。

話しによれば観光的な名所であるらしい。

それなりの作りをしている景観だそうだ。

写真にタイトルが要る。

充てる漢字は自由だが何の意味もなさないタイトルもある。

状況は写真をみれば判る。

そのまま状況を表現したタイトルがあまりにも多いで幻滅する。

知人の会員は俳句の季語を頭の中に描いているという。

夕時の状況は刻々と変化する。

季節によって時間的な差がある。

季語が同じであっても描写する作品によっては違和感もあると話すからうかつにタイトル付けするのも難しいという。

フィルム作品は16点(29%)で7割がデジタルだ。

デジタルの勢いはますます広がっているが、色合いが不自然なものもみられる。

デジタルカメラから始められた人はそういう傾向にあるとTさんが話していた。

写真は写真展と何ら関わりのないモミモミチェア。

ゆっくり寛ぎたいものだ。

(H27. 5.30 SB932SH撮影)

第46回奈良県美術人協会展in奈良県文化会館

2016年04月03日 17時32分28秒 | しゃしん
写真家からこの日に案内状が届いた第46回奈良県美術人協会展。

場所は奈良県文化会館の展示室。

会場は写真だけでなく日本画、洋画、彫刻、工芸、書芸などの作品が展示されている。

はじめに拝見するのは写真展だ。

知り合いの写真家たちの作品に見惚れる。

明日香をとらえた朝夕の棚田や奥吉野と思える冬山の渓流に大峰修験者が駆け巡る奥駆けもあれば一目でその場が判る正暦寺の借景もある。

遙か遠くからとらえた三輪山に橿原市と思われる幅広い川。

これはモノクロであった。

どこか懐かしさを感じさせる作品は遠望に建築中のビルもある。

たぶんにイオンモールではないだろうか。

いちばん目に気になったのは山が写りこんだ写真だ。

よくよく見れば氷が空にある。

もしかとすれば逆さに撮ったものを逆さにして作品化したのでは・・・。

星をとらえた写真がある。

一般的には円心に描かれると思うのだがおよそ1/3が下へ回る星の光跡。

作者に聞いてみたくなったそれぞれの作品だ。

その部屋の反対側には工芸作品が並んでいた。

まるでエジプト色と思えた作品や文字では表せない表情をした人物もある。

工芸であるから陶芸ではないことはたしか。

材が何であるのか知りたくなる。

中央に展示されていたのが彫刻。

思わず「息子よ」と呼びたくなった作品名は「こうたろう」。

出品目録では「こうしろう」。

えらい違いだ。

4枚のピアノの鍵盤を縦に並べた作品は波を現していた。

タイトルを拝見して「えっ」と思うのだ。

写真から工芸、彫刻を拝見しているうちに作者が創造する思考がスゴイと思っていくのだ。

写真はすっかり熱を失い、関心の度合いは「美術品」に移っていた。

圧倒的な作品数で展示していたのは洋画だ。

見れば見るほどちんぷんかんぷん。

何を表現しているのかさっぱり判らない幾何学的な作品もあれば、どこかで見たような同じ作風の作品もある。

タイトルに番号が振られているから連作なのであろう。

なかでも夕景をバックに草むらをシルエットで描いた写真的な作品もある。

立ち止ってじっくり拝見した作品は絵馬を描いたものだ。

絵画であるが実写かと思える絵馬もある。

元興寺にこのような絵馬があったのか、それとも昔話に登場する「ガンゴジ」と呼ばれる鬼を想像力で描いたのか。

一度、元興寺に出かけて確かめたくなった。

あっと驚いたのは裸姿の老婆を描いた作品だ。

実にリアルな姿に圧倒される。

一枚の絵ではなく立体的な絵もある洋画は日本画よりも遙かに想像力を掻き立てる。

洋画はオモロ過ぎるのだ。

展示会場は無料であったが駐車場は有料。

拝観時間は15時45分から16時25分まで。

領収書は400円だった。

見る価値があった奈良県美術人協会展。

駐車料金の400円は安いものだ。

(H27. 5.20 SB932SH撮影)

JNP日本風景写真協会奈良第2支部第12回写真展in奈良市美術館

2016年04月03日 17時27分09秒 | しゃしん
写真展に出かける機会が増えつつある。

この日はJNP日本風景写真協会奈良第2支部の第12回写真展。

会場はイトーヨーカードー奈良店5階にある奈良市美術館。

受付をしていたら支部長を務めるYさんが案内してくださる。

お忙しいかただから次から次へと訪れる知人たちへの挨拶だけでも忙しい。

作品は50点。すべてが奈良の景観を表現した作品だ。

地域別に分類してみた作品数。

多い方から8点の上北山村・宇陀市。

次点は奈良市の7点(月ヶ瀬が4点・田原の里は1点・平城京が1点)だ。

3点は川上村・東吉野村・下市町の南部に東部の山添村がある。

2点は下北山村・十津川村の南部に曽爾村・桜井市・天理市の東部もあれば御所市も、である。

1点は天川村・吉野町・高取町に西南部の五條市であった。

そういえば一般的に人気がある明日香村は1点もない。

大まかな地域に纏めてみた。

奥吉野をはじめとする南部地域の総数は24点。

東部・東山中では22点。

両地域で大多数を示している。

霞む風景、静かな渓谷・渓流を美しくとらえた作品はそのような地域だ。

五條市・御所市では足しても3点。

極めて少ない。

第2支部の人たちは山間に美しさを求めているように思えた。

そういった撮影地は私も存じている。

たしかにいい景観であるが私は思う。

国中の里や村にも素晴らしい景観があることをご存じだろうか。

環濠集落の佇まいや広がる田園も奈良を代表する景観をもっている。

住んでいる地域の人の気がつかない景観を是非探してほしいと思うのである。

翌週には同じ階上で奈良第1支部の写真展もある。

見比べてみたいものだと思った。

ところで日本風景写真協会が出版する遺したい日本の風景写真集シリーズに『古民家』、『道』、『駅舎』、『海岸』、『橋』、『山村』、『学び舎』、『煉瓦造』、『歴史の街並』がある。

民俗の視点からみても興味をいだく日本全国の風景写真であるが、どちらかといえば風景に佇む有形文化財的な建築構造物が多いように感じる。

私が求める被写体は『生活感』だ。

人が『営む』様相は生活文化の発展とともに著しい変化が認められる。

日本の文化は多様性がある。

定番的な風景写真に魅力を感じる人は多いが、アイの日の『生活』も大切な風景があるのでは、と思っている。

多くの風景写真家は『人』を入れては作品にならぬという考えがあるらしい。

是非とも次のシリーズに『暮らし』や『生業』、『営み』なども考えていただけないかと思っている。

(H27. 5.19 SB932SH撮影)

移動-ヒト・モノ・カミ-企画展に写真協力

2016年04月02日 08時57分26秒 | 民俗を観る
奈良県立民俗博物館で行われた国際博物館記念日講演会を聴講した。

お題は「福神と招福」だった。

終わってから取材に来ていた毎日新聞奈良支局の記者から突然のインタビュー。

『あなたにとって福は「財」ですか、それとも「健康」でしょうか』であった。

この日に訪れた目的はもう一つある。

5月2日から始まった春の企画展の「昔のくらしの関連展<移動>-ヒト・モノ・カミ-」に展示されている写真である。

展示フロアー正面にあった一枚の古い写真。

人物バックにある建物で判った地はどう見ても室生染田だと思う。

右に春日神社の鳥居。

左にお堂がある。

それは連歌堂であろう。



オーコで竹籠を担いでいる立ち姿の婦人である。

もしかとしたら・・F婦人の若かりしころの姿ではないだろうか。

「シンドカゴ」と呼ばれる大きな竹籠は何を運んでいたのだろうか。

もしかとすればカイコさんが食用する桑の葉では・・と思った。

FBに写真を紹介したらFB友人のMさんは蚕さんが食べる桑葉運びの籠に間違いないと伝えてくれた。

24日、民博に立ち寄ってこの籠をオーコで担ぐ体験をした。

空っぽであるのになかなか難しいものだと感じた。

蚕さんで思い出したのは橿原市の五条野だ。

トヤさんが戦前に家で飼育していた蚕さんが桑の葉を食べる音で寝られなかったと話していたこと思い出した。

紡蚕も奈良のどこかで聞いたことがあるような・・思い出せない。

経営の三要素は「ヒト・モノ・カネ」。

奈良県立民俗博物館・企画展は「昔のくらしの関連展<移動>-ヒト・モノ・カミ-」。

動く「ヒト・モノ・カミ」を展示するにあたって写真提供を求められ60数枚の写真を提供した。

展示されたのは35枚。



「カミ」さんは神社。

そこから動くことも知らずにいる人もいる。

春日若宮おん祭では年に一度、御旅所に動かれる。

「カミ」さんだけでなく「地蔵」さんも動く。

何体も祭る「地蔵」さんは一か所に集められた。

これもまた「移す」である。

年に一度だけ場を替えて移る地蔵さんもあれば「廻り地蔵」のように各家を移動する場合もある。

「ホトケ」さんも動く。

各村融通念仏宗派に出向くご回在もある。



祭り道具などの「モノ」を運ぶ手段もある。

お渡りに付属する運びだ。

モッコで運ぶものもあれば、今では見ることもない大八車(目撃された方は情報を)もあれば廻り当番の灯明箱も・・・。

「ヒト」も当然ながら動く。

ハイハイ・ヨチヨチする幼児は成長して乳母車・三輪車・自転車へと動く手段を利用する。

歳がいけば老人用押し車もある。

「ヒト」が動く手段もあれば配達する「書簡」もある。

多様な在り方を館収蔵民具で紹介しているが、これらを補完するために民俗写真で展示協力した。



6月28日まで開催されているのでお越しいただければ幸いだ。

なお、5月24日、6月28日には学芸員による解説もあったことを付記しておく。

(H27. 5.17 SB932SH撮影)
 

国際博物館記念日講演会―福神と招福―in県立民俗博物館

2016年04月02日 08時34分39秒 | 民俗を聴く
奈良県立民俗博物館で行われた国際博物館記念日講演会を聴講した。

お題は「福神と招福」だ。

お話しは手塚山大学教授の源城政好氏。

福とは何かをお話しされる。

昭和52年5月18日に国際博物館会議が制定した国際博物館記念日。

5月18日前後の日は全国各地の博物館でさまざまな記念事業が催される。

今年で14回目を迎えた奈良県立民俗博物館記念事業である。

講師は1946年生まれの文学博士。

先人が研究された多くの史料を咀嚼して話しましょうと初めの詞を述べられた。

「福徳神」と「長寿神」。

エビス天・ダイコク天は室町時代に表舞台に出た。

奈良時代の『日本霊異記』。仏教説話を集めた中巻第四条に、奈良にいた貧しい女性が穂積寺<奈良市東九条町>に詣でて千手観音にお願いして、百貫、大いなる宝を得る話し。

一貫は千文。一文を現在のお金の価値でいえばだいたい10円(五円の考えもある)。

一貫は現在価値の一万円。百貫であれば百万円になる。

百貫、大いなる宝を得る話しはあくまで説話。

事実を反映したかどうかは疑問であるが、「富」が人々の意義に定着していたことが判る。

ただ、庶民の願いが記録に残るのは11、12世紀の平安時代。

応徳二年(1085)七月の『百錬抄』によれば「朔日より東西二京の諸条(街路)、辻毎に宝倉(ほこら)を造立し、鳥居に額を打つ、その銘を福徳神或は長寿神、或は白朱社と云々・・洛中上下群衆し・・破却すべく由、検非違使に仰せらる、淫祀(いんし)として格制(法令)有る・・」。

『百錬抄』は編年体で書かれた歴史書。

七福神がまだ整っていない時代に突然に出現した福徳神であるが、神さんを祀ることによってだまし取る人が現われた。

如何わしい神さんを祀ってはならぬと鎌倉時代に発令された。

人々が集まってくる辻に祀った「辻神」。

京中は商人の町。「辻神」は「市神」である。

「市」が立つ処に現れて人々に幸運をもたらす。

祀られた「辻神」は「財(たから)」であった。

人々が求めるのは「財」。

「健康」を求める「福の神」とは別次元の「財」の神であった。

11~12世紀の平安時代は阿弥陀信仰や観音信仰が根付く時代。

永長二年(1097)閏正月『中右記』によれば京中の観音さんは原生利益。

病気回復を願った時代で、「富貴」が目的。財力を保っていた。

狂言に「福の神を授かる」一節があるようだ。

室町時代ともなれば長寿も福も宝だった。

長寿は究極の「福」であった。

祇園社の祭礼費用。馬上役と呼ぶ。

この費用を誰に負担させるのか。

京中の「富家」である。

経済的な貯えをもつ富家である。

銭と富をめぐって議論があった。

「徳」は「得」に通じる。

裕福な人は「徳人」。

「有徳の者」は金持ちなのだ。

この考えが定着した時代は室町時代以降である。

1491年代に「福徳」年号が出現する。

ときの朝廷が定める正式な年号は「延徳」であるが、「福徳」年号は「私年号」。

東北地方で盛んにつかわれた「私年号」。

「弥勒」から考えられたと思われる「命禄」もあるそうだ。

エビス神や弁天さん。

福禄寿など七福神が不動のものとして定着する時代は江戸時代の半ば。応永二十七年(1420)正月『看聞日記』に「・・・又布袋・大黒・夷・毘沙門等、又番匠棟上之躰種種之を作る・・鶴亀舞、種々風流例年ニ超過す、其興極めなし」がある。

書いた人は貞成親王。天皇になりたかったが、なれなかった親王。

このころの「富貴」はエビス(夷)、と大黒天。

「夷」は「異人」。異界からの来訪者である。

室町時代から顕著になった来訪者は荒ぶる神。

負の存在としてみていた。

現代ではエビスを充てる漢字は「恵比寿」。美しい表現になっている。

福の神に転じるのは兵庫県西宮社家町に鎮座するえびす宮総本社の西宮神社があってのこと。

それより信仰が早かったのは大黒天。

荒ぶる神の大黒天は軍神。

台所の神さんに祀られた大国主を合い重なって広まった。

蓑や笠は民俗学の分野。

大黒天がもつ打ち出の小槌がある。

小槌は本来存在しないが全能の道具。

一寸法師など各地の民話に残る。

武人の神さんとして崇められる毘沙門天は多聞天とも。

信貴山絵巻によれば毘沙門天は「富」に結びついた。

今日の「福」には「健康」が含まれるが、もともとは「財」から始まった。

今日的には長寿までも含む「福」。

豊富な史料から「福」とはどのように日本人がとらえていたのか。

福をもたらす神。エビス神、大黒天、毘沙門天から七福神に移りゆくお話しであった。

終わってから取材に来ていた毎日新聞奈良支局の記者から突然のインタビューを受けた。

『あなたにとって福は「財」ですか、それとも「健康」でしょうか』である。

「財」や「富」を求めるのは昔も今も変わらない。

あったらあるだけなにかしら使ってしまうもの。

なくとも・・とはいいたくないがフツーの生活ができればいい。

むしろ穏やかに健康でありたい。

無病息災を求める人は一年の始まりに神社へ参る。

宝くじが当たってほしいという人もいるがごく少数だと思っている。

「民」が求めるのは健康であることが願い。

いわば心の願い。

正月に歳神を迎える願いは昔も今も変わらない「招福」だと思っている。

その後の24日に新聞掲載された講演会記事がある。

副題は<中世日本人の「福」考察>とある。

「大和郡山市矢田町の県立民俗博物館で17日、国際博物館会議が定める「国際博物館の日」(5月18日)に合わせた記念講演会があった。日本の中世史を専門とする源城(げんじょう)政好・帝塚山大文学部教授が「福(ふく)神(がみ)と招福(しょうふく)」と題して講演し=写真、参加した約30人は中世の人々の「福」に対する意識の考察に耳を傾けていた。源城教授は「平安後期から室町時代にかけては、財宝を持つことが福とされていた」と述べ、健康や家族を「福」とする人が多い現代との違いを指摘した。また、福神を代表する恵比須や大黒天への信仰がどのように広まったかなどを紹介した。参加した同市城町の民俗写真家、田中真人さん(64)は「お金など現実的なものより、心の部分とか『見えないもの』に福を感じるようになったのだろう」と話していた。【塩路佳子】」。<全文借用>

突然のインタビューに話したぐだぐだ話を簡潔に纏めてくださった。

この場を借りて記者の塩路佳子さんに感謝申し上げる。

(H27. 5.17 SB932SH撮影)

セブン-イレブン鶏の柚子胡椒焼ねぎ塩焼きそば

2016年04月01日 09時18分24秒 | あれこれテイクアウト
萱森の田植えの様相を拝見して下界に降りた。

大和郡山に戻った時間帯は午後1時前。

それより30分後には県立民俗博物館で行われる講演を聴講する。

ゆっくり食べている時間はない。

いつもならトライアルの弁当、といいたいところだが、目先を変えてセブンーイレブンにした。

パンでもいいからと思って入店したら前日・本日に限る麺セール。

50円引きのセールに釣られて棚をみる。

三輪のソーメンがたくさん並べられているがだし汁につけて食べる気持ちが起らない。

目に入った一品が「鶏の柚子胡椒焼ねぎ塩焼きそば」だ。

塩焼きそばは袋麺でも売っている。

意外と思えるあっさり味に惹かれて購入した。

支払いはnanacoカード。

ポイントは初回購入したときから変化していない300ポイント。

足された点数は3点だった。

50円引いて税込の380円で買った「鶏の柚子胡椒焼ねぎ塩焼きそば」の蓋を開ける。

ネギがどっさり盛られた塩焼きそばに鶏肉が6個ほどある。

美味そうな香りが漂ってきた。

急いで食べる焼きそばはとても美味しい。

ネギの風味が絡んでいただく焼きそば麺。

ほどよい塩加減に満足する。

焦げ目のある鶏肉は炭火焼だろうか。

ジューシーな味付けが口に合っている。

柚子の香はそれほど感じないがとても美味いと思った塩焼きそば。

cookpadにはいろんな柚子胡椒焼きそばが紹介されている。

今流行りなのだろうか。

それにしてもネギは大盛り。

相当な量で麺が下に隠れてしまっていた。

クセになりそうなお味であるが定価販売ならどうするか、だ。

(H27. 5.17 SB932SH撮影)