マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

風蘭に出合う葛城屋敷山公園の公園まつり

2019年09月20日 09時15分03秒 | メモしとこっ!
突風が吹き荒れる葛城屋敷山公園まつりの日だった。

お日さんは燦々と輝いているのにまるで春の嵐のような強風である。

突然に荒れることもあるからテントもぶっ飛んだと伝えてくれた葛城市職員のNさん。

怪我や事故がなかったのが幸いだったようだが、公民館におられた職員さんは、早く風がおさまってほしいと願っていた。

この日の公園まつりに参加しているとFBで伝えてくれたFさん。

田原本町のたわらもと観光プロモーション大使を務めているFさんとは、未だ直接の出会いはない。

Fさんからメッセージを受け取ったのは平成30年の2月22日だった。

FB機能にあるメッセンジャーからのメッセージである。

尤もFBリクエストに際に送られたメッセージであるが。

この年の2月22日だった。

私が日々アップしているFBにリクエスト要求があった。

ときおりどなたかのFBにコメントを送っておられたFさん。

言葉遣いが非常に丁寧だった。

言葉遣いでわかるその人の品性。

申し分ないと要求に応えて承認した。

返答にあった「民俗をテーマに!好きなので嬉しい・・」とあった。

私からの返答は「私の取材先は“旧村“行事が大半・・・。取材先はメジャーでなくマイナー。特に土着的といえるような習俗取材に・・・」。

その反応に「土着的な行事、古き良き時代を感じます。生まれ育った天理の村もそんな感じでした」。

天理市市内の行事取材は数多い。

平たん部と山間地。北部、南部によっても地域色が違っており、生活文化の学びを感じるが、未だ訪れていない地域もまた多くある。

どれほど多いか、調査、報告、記録を目的に日々書きとめているブログ「マネジャーの休日余暇(ブログ版)」の中から“天理編”を参考までにお伝えした。

当方のブログを見てくださったFさん。

なんと、平成20年9月23日に取材した天理市六条町・三十八神社(みそや)で行われた頭家渡しに出仕されていた方の関係者である、という。

地域は北方(※柳生)である。

生まれ育ったのが北方というので、当時取材した「頭家渡し」について、一つ記念になれば、と思って、平成22年の1年間に亘って産経新聞に連載していた「天理市南六条の頭家渡しと桃尾の滝の」記事をお送りした。

その記事のことは存じていた。

部数は忘れたが代表者に新聞記事そのものを差し上げたことがあるから、それを見られたのだろう。

返答に「実は私の兄が新頭家として写っていたので、実家で額に入れて飾ってあったのです」とあった。

えっ、である。

なんという奇遇なことに正直驚いた。

ただ、お兄さんは頭家務めを受けてから2年後に他界されていたとは・・・。

これもご縁なり、と、云われるが、私の脳裏がその瞬間に取材していたときの情景がフラッシュバックのように蘇った。

奇遇なご縁をいただいたFさんがご自身のFBで伝えていた葛城屋敷山公園の「葛城市公園まつり」である。

Fさんが、お世話になっている方に風蘭を栽培されている親方が居る。

その親方が心を込めて育てた風蘭を当イベントで売り出し、そのお手伝いをする、と書いておられたので、車を西の葛城に向けて走った。

売り子されているならたぶんにお会いできる。

しかも懐かしい風蘭売り。

ずいぶん昔のことだが、山野草店で買ったことのある風蘭。

我が家は不向きな環境であったのか、消滅してしまった。

当時からも育てていたセッコクとは、育て方が違うのだろう。

山野草に限らず、育てる環境が間違ってしまえば、餓死させてしまう。

山取りした野草が一般家庭の庭に馴染まないなんてことは多々ある。

むしろ、どこからか飛んできた種で庭に住み着いた事例が多い。

それはともかく、この年で42回目を迎えた葛城屋敷山公園の「葛城市公園まつり」。

初めて伺うだけにワクワクする。

ただ、葛城屋敷山公園の在地は存じているが、停めたことがないから、駐車場の場所がわかっていない。

うろうろしていると臨時駐車場を誘導してくれた。

駐車場はほぼ満杯状態。と、いうことは会場も満杯。

人気の「葛城市公園まつり」の第一歩は強風吹き荒れる日だった。

天候は快晴であるが、突風には展示会場も泣かされる。

特に危険なのがテント張り。

風に煽られて飛んでしまえば凶器に変質。

飛ばないようにセーフテイ状態に完全確保は必須である。

臨時駐車場からの入場は裏口入場が近い。

距離はそれほどでもないが、なんせ初めての地。

迷路のように思えた。



ぐるりと廻ったそこに売っていた風蘭。

忙しくしていた売り子さんに声をかけたら、あっ、である。

初めてお会いしたFさんが紹介してくださった風蘭の自家栽培家のNさんに教えを乞う。

株分けで増やした風蘭は水をやってはならん、直置きでなく、木に吊るした方が良くなると教えてくださるNさんは度々賞を取る有名人。

風蘭栽培は趣味の世界。

本業は葛城市新庄で営む化粧品店店主。

72歳になられたNさんは、かつて脳血管疾患に陥った。

ところが、2度の脳血管疾患体験を克服したそうだ。

患部は違うが、私は心臓疾患。

500円で分けてもらった”黄金錦”風蘭で元気をもらうことにした。

あれこれ話してくださるNさんが話題提供してくださった地元の民俗行事がある。

1月8日の午後3時に行われる戎講の行事。

現在は少子化で地元子どもも少なくなったが、2、3枚の抽選券を買ってコヨリ籤で当りを貰うそうだ。

昔は大勢の子どもたちがやってきて買っていたという。

祭りの場は、戎神社。

神社近くに地区周辺の7軒が見守る大神宮燈籠があるというからダイジングサン行事もあろうか。

また、新庄中学校の前にある新宮さんと呼ぶ神社がある。

その神社は、葛木御縣(あがた)神社。

4月におんだ祭の行事をしている住吉神社も近くにあるから、行事取材に是非とも来て欲しい、と願われた。

なお、葛木御縣神社行事もまた興味ある。

時間帯はわからないが、7月13日は夏祭り。

おそらく十二振提灯が繰り出されるだろう。

ちなみに本日、購入した”黄金錦”風蘭。

照明のえーとこは、どこと思って置いた場所は障子の前。

風蘭に似合う和風様式に映えたら、と思って撮っていた。



向こう側には藁紐が見える。

これは手前にある祭具の一部である。

祭具の材料はヤブニッキ。

そう、香りの良いヤブニッキの枝木である。

京都・山城町の湧出宮で一年間も奉っていた勧請縄に飾っていたヤブニッキ作りの“矢”は、取材の折りに文化財調査員とともに所在を確認していた行事の祭具。

行事が終われば、その日のとんどで燃やされる。

捨てるモノであれば、いただけないかと与力座の人にもらった。

貴重な祭具は燃えてしまえば何も残らないが、こうしていただいたものは保存、記録。

後世に伝えることがあっても、何であるのかわかるように、“F(エフ)“札に日付け、入手地・行事名・詳細などを記す。

こうしておけば、後年に寄託した博物館学芸員が判断できる、という具合だ。

(H30. 5. 3 SB932SH撮影)

エースコックのわかめ油そば

2019年09月19日 08時46分35秒 | あれこれインスタント
エースコックから「わかめ油そば」が売り出された。

えっ、である。

あのエースコックにわかめたっぷりのラーメンがある。

発売してから35周年にもなるカップラーメン。

すっきりとした出汁は何度食べても飽きのこない味。

ロンゲセラーの秘密はもう一つ。

わかめがたっぷり入っていることもあるが、そのわかめがいつも美味しいのである。

歯で噛んだ柔らかな食感。

えーとこばかりを食べさせてくれたわかめラーメンに、なんと油そばが出た。

信じられない取り合わせ。

近年、いろんな会社から次々と発売されている油そばに、わかめが・・・。

想像もしていなかった驚きに、つい買ってしまった。

愉しみ後日にと思って、目につきやすい籠に入れていた。

その日がようやく訪れたこの日。

2個も買っておいたから1個目は試し喰い。

出汁はごま油が香る醤油味と書いてある。

あのカップラーメンを再現した味で油そば。

どういう味なのか、とてもワクワクするお湯入れ4分。

お湯入れ前に、先に取り出した袋はかやく具材に後入れ液体調味タレ。

もう一つは何が入っているのか、ようわからんスパイスである。

4分待ってお湯捨て。

蓋を開けたらわかめがどっさりあった。



真ん中にたまたまあった焼き豚はほんのちょっとに味付けシナチクも。

このまま食べるのではなく、ここでたっぷりかき混ぜる。

調味タレは底の方に流れていった。

ほどよい香りがするが、ゴマの香りはない。



まずは一口。

これまで各社それぞれの油そばを食べてきたが、濃さも油ぽさもない。

すっきりした味であるが、コクはある。

なんとも不思議な味加減。

とにかくわかめが多いエースコックのわかめ油そば。

底にとごっていた調味タレに絡ませて口にする。

味は美味しいがインパクトのない味。

不思議な味に箸がどんどん進むノンフライ麺。

スパイスは効いていたのかな、と思えるほどインパクトはない。

その点、やはりのわかめラーメン的汁なし油こってり感ないそばということだった。

ちなみに塩分含有量は5.6g。

ギリギリアウトであった。

(H30. 5. 2 SB932SH撮影)

明日香村豊浦の水口まつりを探す

2019年09月18日 09時21分12秒 | 明日香村へ
明日香村豊浦。

向源寺より少し北。

狭い路地に侵入してしまった。

そこにあった水苗代にはイロバナもなかった。



付近を散歩している婦人にここから脱出するにはどの道を選択して良いのか尋ねた。

その結果、あちらにある大池の和田池堤に沿っていけば大丈夫ですと教えてくれた。

その角地になにかがあるのか。

4人連れの婦人たちは手を合わせて拝んでいたのは地蔵石仏。



竹で組んだ提灯吊りがあった。

本日は5月1日。

地蔵盆の提灯吊りと思われるが、時季はまだまだだ。

(H30. 5. 1 SB932SH撮影)

吉野町・西谷/佐々羅の水口まつり

2019年09月17日 09時28分39秒 | 吉野町へ
4月末、知人の写真家Kさんが伝えてくれた水口まつりの所在地。

場所は吉野町の上市に“吉野山口神社”のお札が苗代にあったという情報である。

上市町も吉野山口神社も認識できるが、その吉野山口神社の鎮座地は吉野町の大字山口になる。

神社の氏子域は郷村の山口、香束(こうそく)、西谷、平尾、佐東、峯寺の六カ大字と聞いている。

よくよく聞けば地域は吉野川流域の龍門地区の一つである大字西谷・佐々羅であった。

場所は新鹿路トンネルを下った地区にあったというから探してみる。

下った道の一番最初に出くわした処は、道路の左右に建つ6、7軒の民家。

民家より先に出会った白い幌で被せた苗代場が見つかった。

走行中に見た一瞬に白いモノが目に入った。

車を停車するような広地はない。

ほんの1分もあればいいと思って緊急的措置をとった路上駐車。

車から降りて見たそれは、護符であった。

杉苗もある護符に文字の一部、「吉野山・・」に「高・・」が読めた。

1枚の写真を撮ってさらに下ったところに筋道があった。

車を寄せるところはここしかないと判断して停めた。

場は民家が建つ真ん前。



田に水を張っていたお家だった。

そろそろ田植えを始めようとされるお家にご高齢のご夫婦が椅子に座って日向ぼっこをしていた。

お声をかけて、カドニワにあがらせてもらって、ご夫婦の前に立って、緊急停車の承諾をしてもらった。

「まぁ、こっちに座りや」と云われて行事などの四方山話。

尤も、この時季に相応しい、共通項になりそうな話題に、田んぼ、苗代、護符、神社行事に岳ノボリなどを投げかけて拾った民俗話題、である。

神社行事はさておいて、ダケノボリは4月17日。

あの山道の尾根つたいに行ったことがある、と話した吉野山口嶽神社の岳ノボリに驚かれたご主人。

岳ノボリのこと、村の人以外の人が知っているってことが、驚きだったようだ。

ご主人はやや耳が遠かったが、会話は通じる。

生まれは新鹿路トンネルのもっと山の上にあった20から30数軒の集落があった「細峠」。

そこを下ってきて、ここ「西谷」に住んでいる、と云う。

つい先ほどに見た苗代の護符にイロバナ。

そこにあったと話したら思い出された。

何十年も前のことである。

苗代をしていたころは吉野山口神社・高鉾神社の護符とともにイロバナを立てていた。

おっぱん(※御飯のこと)も供えて、拝んでいたという。

花は何でもいいわけでなく、ヤマブキは立てない。

なぜに、である。

ヤマブキは実がならないから相応しくないというのである。

実ができない花を植えたことで稲に穂がつかなかったらエライことである。

なるほど、と頷けた花である。



記憶は鮮明に蘇ったらしく、話がつきない高齢の男性は大正12年生まれの94歳。

「身体も耳も目もあかんようになったから苗代はようしやん。苗はJAで購入してこの3日に持ってきよる。その日は息子らが田植えをしてくれる」と話すOさん。

田植えは5月連休に入れば、息子家族が手伝ってくれるから水を張っていたという農家さんだった。

「苗代はしなくなった。今はJAから苗を購入している。田植えをする畦に立ててあるから、見てみな」と云われて移動する。

水を張った田んぼの一角にあった護符は神社役員が配ってくれたもの。



なるほどの位置に立ててあった護符はビニール袋包み。

Oさんがいうには「雨に打たれてはあかんやろ」ということだ。

「これは神さんがくれはった護符や。神棚に置いておくもんではない。苗代とか田んぼに挿して豊作にしてもらうんや」と、強く云われた農家さんの心に、ごもっとも、である。

専業農家は少なくなり、ほとんどがサラリーマン兼業農家。

県内事例もそうだが、全国的な傾向に吉野山口神社の氏子たちもまた神棚のまつり方に移っている状況である。

Oさんの話題提供はまだある。

今年かどうかわからないが、岳ダケノボリのときに乾杯の音頭もとったし、導師の務めをしていた、そのときである。

突然に息が苦しくなって、嵩神社の裏に隠れていた、という。

急に発症したのは心筋梗塞。

今は独りで出歩くのも難しくなった、という。

話だけでは時間が過ぎていくばかり。

腕時計を見れば午後4時。

田んぼが山陰に隠れてしまいそうになるから一旦は西谷から離れることにしたが、さきほど撮ったばかりの護符に杉葉の映像をビューで見てもらった。

上のお家の方が立てたと思う護符の映像を見たOさん。

「神さんごとは疎かにしたらあかん。昔は拝んでいたもんや」と、涙ぐんでいた。

大字西谷からさらに下った所に十字路に信号佐々羅がある。

そこからすぐ近くだった。

ネットで囲った苗代は2列。



それぞれに護符・杉苗にイロバナを立てているから2家の苗代である。

護符に模擬苗の杉苗もあることから4月に行われると聞いていた吉野山口神社の祈年祭で奉られたものであろう。

萎んでいたイロバナの具合からある程度の日数が経過していることがわかる。



護符にある文字は「式内 高鉾神社 吉野山口神社 五穀豊饒御祈祷牘」。

豊作を願った祈祷札である。



ネット囲みの苗代御供を撮っていたら単車に乗ってきた男性がやってきた。

不審者が何かをしていると思ったらしく、数十メートルも離れたところから凝視していた。

視線を感じた私はその男性に大声をかけていた。

「苗代田を見ているんで親戚の者と思った」と、いう男性。

実は、と申し出た取材主旨。

「それならうちの家の苗代にも立てている」という。

みなは短いが、うちのは長いススンボの竹に括っている。



ただ、イロバナはしていないという男性は二日後には田植えをするという。

そういえば周辺数か所で田植え作業をしていた家もある。

2日後には雨が降る予報に急遽早めたそうだ。

ところで苗代はいつされたのか。

バイク乗りのNさんの話しによれば、村全体が前月の4月半ばの日曜にする予定だったそうだ。

ところが、また雨の予報に前日の土曜に切り替えたという。

その際に護符と杉苗を立てた、のではなく翌週の日曜日。

つまり22日に行われた吉野山口神社の祈年祭で奉り、終わってから神社役員が各戸に配ったというから、当日或いは以降である。

受け取ったその日に立てたという人もあれば翌日に、という家もある。

これまでいくつもの苗代・水口まつりを地域ごとに拝見してきたが、まず間違いなく苗代作りをしたときに、である。

行事の日程によって一週間遅れに立てる事例もある、と初めて知った。

ちなみに私がもつデータによれば、吉野山口神社の祈年祭は4月22日。

固定日であるが、今ではどうされているのだろうか。

昨今は日曜日に移す地域が増えつつある現代。

4月半ばには訪ねたいものだ。

聞いている範囲であるが、お札型の杉葉苗に小正月の小豆ガイ(粥)にカヤの箸で作った御供をするとか・・・。

すっかり失念していた吉野山口神社・高鉾神社の祈年祭行事。

今年はすでに終わっている。

できるだけ早くに取材したいと考えさせられた両社名で祈祷された「五穀豊饒御祈祷牘」の護符がきっかけになってくれたらいいのだが・・。

この日は数軒のお家が、苗代の幌を外して田植えをしていていた。

護符を立てることなく、田植えをしておれば早生品種。

さきほど、拝見させてもらったN家の作付品種はヒノヒカリ。

米を買いたい人が何人かいるらしく、90枚の苗箱を並べた、という。



明治22年の町村制時代の龍門村に属する大字村は佐々羅村・峯寺村・河原屋村・千股村・志賀村・滝畑村・三津村・西谷村・平尾村・津風呂村・山口村・香束村・柳村・色生村・小名村・大熊村・北大野村・牧村・栗野村・田原村・東平尾村・上片岡村・下片岡村。

広大な旧地区であるが、ほとんどが未だ行けていない。

(H30. 5. 1 EOS7D撮影)

念願のミニクーパーで帰郷

2019年09月16日 09時29分17秒 | いどう
平成10年もののミニクーパーがやってきた。

磨きをかけて傷んでいた屋根を修理してもらったミニクーパー。

走行6万kmのミニクーパーは車検済。

ハンドルは日本仕様の右ハンドルであるが、ウインカーや前照灯レバーははヨーロッパ仕様のため、逆である。

そんな運転操作だけに、日本公道に慣れるまで少し時間がかかる、という。

足は堅いからちょっとした路面段差を拾ってしまうから、揺れ方、振動の感じ方は柔らかい日本車よりも劣る。

その堅さが好みだという人も少なくない。

ミニクーパーは修理に費用がかかりそうなので次の車検に買い替えるかも、という長男。

念願のミニクーパーを購入してすぐに帰郷と相成った。

前夜の午後10時に東京を出発して走った高速道路。

午前3時半には帰郷していた。

その日は着くなり就寝。

疲れを癒して一日を過ごした。

明日の2日は友人たちと飲み会。

3日は結婚式に出席。

4日は和歌山の友が島へ行く予定。

ちっともゆっくりしとらんな。

(H30. 5. 1 SB932SH撮影)

丸亀製麺天理店の釜揚げうどん半額サービスデイの恩恵

2019年09月15日 09時33分41秒 | 食事が主な周辺をお散歩
循環器内科医師の診察が終わって吉野町に向かうが、先にしたい昼の食事。

院内の待ち時間という手もあるが、買ってでも食べたいものはない。

お腹もそんなに減らなかったから、診察が終わってからにしようと思っていた。

本日は1日。

で、あれば丸亀製麺が毎月にしているキャンペーンにのっかるのも手。

そう思って南下する国道。

しばらく走ればすぐに着く麺屋は丸亀製麺天理店。

丸亀製麺の他店舗はいくつか利用したことはあるが、天理店は初めてだ。

敬遠していたわけではなく、チャンスがなかっただけだ。

目的は1日だけに限るサービス。



「半額 毎月1日 釜揚げうどんの日」の文字を書いた幟を立てているから誰でも認識できるありがたい日。

私より早く、というか慌てて入店したお客さん。

レーンにつくなり注文した“大”の大盛釜揚げうどんに、やはり、ね、と思う先客だった。

私といえば、普通の並盛り。

これだけじゃ申しわけないという気持ちもあるが、実際は十分な量なのに、思わず手にとってしまう野菜かき揚げがある。

140円のとり天もあるが、やっぱりこれでしょ。

釜揚げウうどんは140円。

野菜かき揚げは130円。

税込み価格の270円を現金払い。

一杯に一枚ついてくる「うどん札」。

特典もらうには2枚も足らない。

有効期限は5月31日。

一か月は早いから、たぶん貢献できないだろう。

席について周りを見渡してみればどのテーブルにも桶がある。

桶、桶、桶のこの日であっても桶のない席もある。

恩恵に縋ることもなくただただ好みの麺を味わいたいお客さんである。

実は初めて注文した釜揚げうどんである。

家族はときおり食べていたが、私としてはぶっかけうどんが主食麺だ。

丸亀製麺のかけうどんも食べたが、やはりぶっかけ。

それも冷たいぶっかけうどんである。

食べ方はどうするのん、である。



桶と同時に汁椀ものせてもらった。

それに何をどうすればいいのやら。

先客の人は・・。

無料トッピングの天かすとかネギを入れていた。

生のおろし生姜も入れていたように思える。

それを見習って私も同じようにトッピング。

結局はぶっかけうどんと同じようにして食べていた。

馴染みのトッピングに違和感もなかったうどん出汁。

これが美味いんだな。

ただ、麺はもっちり感が漂う。

麺にコシもあるのだが、どこかに可笑しさを感じる噛み応え。

ふにゃ感ばかりが目立っているもっちり麺。

これが釜揚げうどんの味なのか。

不味くはないのだが、好みでないことを再認識した日である。

食べきった釜揚げ麺。

残ったのは出汁である。



この出汁に漬けて食べて見たかった野菜かき揚げ。

揚げる油が美味いもんだから、その残った出汁に漬けなくても美味しい。

サクサク、甘みの味に絶賛。

とにかくデカイ野菜かき揚げ。

こんなに大きければ、出汁に漬けようがない。

箸で崩すのも難儀する。

小さくなったところで出汁に漬けて食べる。

少々残っていた生のおろし生姜が利いていて美味しい。

ただ、ちぎっては漬けて食べる。

これを何度も繰り返すうちに甘味になってきた。

野菜かき揚げの油成分が出汁に溶けてしまったもよう。

もっぺん生生姜を入れてみるのもいいが、別の味も確かめたい。

テーブルに天ぷらにかけると思われるソース出汁がある。

それは我が家でしたい食べ方であるが、かき揚げには向いていない。

かけるのは、例えばであるが、紅生姜天もしくはゲソ天のときである。

ひたひたまでいかなくともたっぷり浸して食べたら旨みが増すからそうしている。

今回は、それには手を出さず。

レジ近くに置いてあったポット溜めおきの天つゆである。

小鉢に注いでターブルに運ぶ。

残り半分の野菜かき揚げはこの天つゆで食べる。

一口食べて、やっぱ、この方が美味いわ、と思うが、さっきまで漬けていた釜揚げ出汁の切れ味も捨てきれない。

天つゆは優しい味。

どっちで食べたらいいのやら、悩ましい選択である。

(H30. 5. 1 SB932SH撮影)

異常事態が治まったその後の診察

2019年09月14日 09時30分45秒 | むびょうそくさい
毎朝に計測する体重はだいたいが68.8kg~69.4kgの範囲内。

異常値になったのは4月26日の朝。

体重計の値が71.0kgを表示したときの恐ろしさ。

体内で何かが進行している。

翌日の27日は71.2kg。

そして28日は71.8kg。

普段よりも2.5kgオーバー体重に大慌てで電話した外来棟。

当日は土曜日なので主治医どころか循環器内科医師は不在。

他の科目の医師が臨時に診てくれる。

体重増にともなって足に浮腫み、お腹は膨満状態。

この症状の原因は4月25日に喉の痛みに診察してもらった最寄りの診療所に起因する。

意思の判断は咽頭炎だった。

痛み止め、腫れ止めに処方された薬は抗生剤のアジスロマイシン錠250mg「タカタ」。

この薬は3月にも発症した咽頭炎の特効薬。

効き目はあった。

他にも痛み止めを処方されたが、4月の診察に、ちょっと強い効き目が出る鎮痛薬のロキソニン(※正式処方箋はロキソプロフェンナトリウム錠60mg「CH」)になった。

実は原因がこれにある。

私は毎日の朝、昼に利尿剤を服用している。

心臓の力が弱いから、無理にでも溜まった小水を排出させる薬。

この効果があって身体に水が溜まらないようにしてきた頼りになる薬である。

利尿剤はラシックスにアルダクトンAの2種類で保っている。

その効力を滅したのであろう、と判断されたロキソプロフェンナトリウム錠である。

たぶんにそれが原因と自己判断。

診療所で処方されたロキソプロフェンナトリウム錠は毎日の朝、昼、夜食後に服用していたからに他ならない。

それが悪さをしているなら、直ちに服用しないこと、と思って27日の晩に停止した。

緊急電話をかけて出かけた医師の診断は、ラシックス1錠を追加するということになった。

27日の診察日は家に戻って食事をしてから服用した。

実は27日の診察日は外来棟についてからもよおしが激しかった。

毎日測る小水排出回数。

朝6時から午後2時までに8回。

普段なら5回程度である。

午後2時から午後10時めでの回数は16回。

異常な排出回数である。

普段なら6回程度であるから、一挙に排出していることがわかる。

尤も小水の量は測りようがないが、毎回の量的には多いと私の尿管が感じている。

午後10時から翌朝の6時までは3回。

ようやく落ち着きを取り戻した回数になった。

翌朝29日の体重は69.2kg。

身体は随分と軽くなったが、26日より症状があった浮腫みに膨満状態はほぼ消えた。

体内に水が溜まることはとんでもないこと。

そのまま放置していたら尿毒症になる。

心臓に水が溜まるようになったら呼吸困難。

つらいどころじゃない。

休み明けの5月1日の再診察である。

午前9時20分に家を出て外来棟に着いたのは午前10時だった。

外来棟の駐車待ち時間は50分も・・。

車が入庫できなければ受付もできない。

50分も遅れるのであれば、別途特別の駐車場に置かせてもらう。

10時15分にやっと着いた外来棟。

予約でないから診察カードを機械に挿入して診察科目を選ぶ。

総合受付にまず行って、3日前に緊急処置をしてもらった後診察に来たと伝えたら、循環器内科の方にもそう伝えてくださいと云われて2階に移動する。

かくかくしかじかのあれこれを伝えたら、血圧/心拍数を計って待っていてくださいという。

呼び出しマイク放送が鳴った時間帯は午前10時50分。

30分も経ってから伝達されたことは検査である。

いつもと同じ、採血にレントゲン。

心電図は28日でも問題がなかったので、血液検査が中心である。

なにが一番のポイント検査値。

それはBNPである。

BNPは脳性ナトリウム利尿ペプチドの略。

心臓の負荷が増え、心筋肥大が起こるとBNPの血液濃度が増加する。

値が高いほど心臓が良くないということであるが、28日の値は236.9。

えらいこっちゃの値である。

この日の身体状況は身が軽く感じる。

負担があまりないということだ。

どれぐらい落ちているのか、実に楽しみな検査にワクワクする。

検査から戻ってきた時間帯は午前11時10分。

採血受付時に渡される整理券に結果が出る予想時間が書いてある。

その時間は午後12時24分。

これより待って1時間半。

予想を越えることになるのか、ならないのか。

待っている患者数でほぼ決まる。

午前11時30分。

またもやマイク放送のあった循環器内科受付。

「本日の予約に本日受付診察でたいへん混んでいる状態。ご迷惑をかけますが、貴方の診察時間は午後12時半から午後1時になりそうなので、先に昼食を摂ってください」というわけだ。

過去、何度かの予約受付できたときもあった混雑状況。

もう慣れている。

お腹も空いていないので、時間潰しの行動に移る。

気分転換に選んだのは外来棟から出る行為。

ここら辺りはある程度知っているが、それは車の運転中に窓から見える景色。

歩いてみれば、また違って見えようか。

そう思ってぐるっと一周しただけで戻ってきた。

まだまだある待ち時間は読書といきたいところだが、本日は忘れた。

仕方がなく、といえばアレだが、棟内にある施設で立ち読み。

遠慮しながらちょっとだけ活用させてもらった。

予想時間はどんどん過ぎていく。

もうそろそろと思える待ち患者の顔ぶれはあと少し。

そう思っていた矢先に呼び出された。

時刻は午後1時12分にもなっていた。

診察室待ちに数分間。

やっとお声がかかって主治医のⅠ循環器内科医師に診てもらう。

一番に伝えてくれたBNPの値は、なんとなんとの2桁台。

39.1に下がっていた。

28日が236.9だったから急降下である。

医師曰く、である。

4月17日の前回検査の結果は111.3。

このときは3桁。

それまでの診察では2桁だったから気にかけている。

一時的に急降下した39.1のBNP値もあるが、念のために1カ月後診察をしたいと云われる。

心配なことは診ておきたいということに断る理由はない。

次の予約診察は7月10日であるが、それよりも早く診ておきたいBNP検査は5月29日に設定された。

診察を終えて会計待ちに本日の検査データを見ていた。

気になる数値がある。

γGTである。

4月17日は68だった。

ところが28日は156に上昇していた。

このことは臨時の医師も、この日の診察医師も指摘のなかった肝臓具合の項目。

本日の5月1日は132に下がってはいるものの3桁台。

これは良くない数値である。

γGTの基準値内範囲は13-64。

なんらかの影響が残っていると考えられる。

ちなみにASTは62から30に下がって、ご安心を、である。

ふと顔をあげたときだ。

顔見知りの二人がロビーを歩いていた。

思わず手を振った二人は久しぶり。

地元大和郡山市の椎木町に住むMさん夫妻である。

ここへ来たのは手の震えが止まらなくなったという症状である。

なんでもメニエール病の“ケ”が出たようで、車の運転ができなくなったという。

そのことがあって自転車を乗ったら、転倒してしまったというのだ。

Mさんと会った日は平成28年6月21日

私も出かけていた通院日だった。

出会った場所は外来棟駐車場の入庫と出庫の出会いだったから、話すことはできなかった。

それ以前の出会いはその年の5月7日

椎木の苗代具合に見た水口まつりの様相を拝見した後に出会った畑であった。

気を落とさないでね、と声をかけて別れた。

(H30. 5. 1 SB932SH撮影)

セブンイレブン木津川原田店の麺たっぷりソース焼きそば

2019年09月13日 09時31分45秒 | あれこれテイクアウト
昼過ぎに行われる水口まつりの取材地は京都府木津川市山城町綺田(かばた)。

自宅の奈良県大和郡山市からわりあいに近い地である。

トロトロ走ってもたったの30分。

その時間を見越して昼飯は何時、どこで摂っておくか。

店屋に入って食べておれば、まま時間が要る。

そうであればいつでもチンしてくれるコンビニが最適。

車を走らせる国道24号線沿い。

信号木津手前にある信号直前を左折れ。

そこにあるコンビニはセブンイレブン木津川原田店。

これまで南山城村などの取材地行きに必ず立ち寄るコンビニ店。

ありがたく重宝しているトイレ利用であるが、この日はチンしてすぐ食べられる弁当もんを探す。

目に入ったのはご飯系ではなく麺系。

濃いソース色が美味しそうに見えたので、これに決めた。

大きなキャベツに青のり。

刻み色付けショウガもあるから仕上げよろしい。

商品は税込み360円の麺たっぷりソース焼きそば。

お店のレンジは超高速仕上げ。

1500wなら1分10秒でできあがる。

でも、といいたい。

そんなに熱くしなくとも・・である。

蓋をパカッと開けようとしたら、ぐにゃっと変形する。

やっぱりなぁ。

温めすぎなんだよね。

見よ、こんなに真っ黒なソース焼きそばってみたことあるかい、だ。

蓋を開けてわかった秘密。

なんと青のりは真ん中だけだった。

我が家で作る焼きそばに青のりはまんべんなく振る。

そうするもんやと思っているけど・・。

濃い、濃い、むちゃ濃いソースが嬉しい。

どちらかと云えば、昔懐かしい味である。

と、いうことはウスターソースのこってりバージョンかも。

ただ、食べているうちに、その魅力が見えてどうとも思えない味になる。

つまりは慣れてしまえば、特徴が消えるということだ。

焼きそば麺はもっちもち。

やや太麺のもっちもち麺がなかなか減っていってくれない。

こんなに多いとは思わなんだ焼きそば。

商品名が麺たっぷりソース焼きそばだったことに今さらながら気づく。

食べる時間が遅かったのか、少なくなるにつれてそば麺がカラカラに乾いていく。

中身ではなく外側である。

乾けば固くなって旨みが消えた。

これは何でだろうか。

具材を数えてみれば、豚肉がたったの2枚。大きくはない。

キャベツは大切りもあったが、それは1枚。

他に中程度が2枚。

もやしもあったらしいが、歯に感じなかった。

こうした具材が少ないから冷めるのが早くなる。

そう思うのである。

ただ、この商品の値打ちは油こってりの濃いソースにあるかと・・。

商品パックの裏側に書いてあった原材料名。

一つはソース焼きそば。

二つ目は焼きそばソース。

三つ目に野菜炒めソース和え。

これって一体なんなの。

「ソース焼きそば」と「焼きそばソース」をどう読めばいいのだ。

「ソース焼きそば」はソース漬けて焼くそば。

「焼きそばソース」は焼きそば向きに開発されたソース。

わかりにくいなぁ。

そして、三つ目の「野菜炒めソース和え」である。

ちょっとしか入っていなかったキャベツにもやしを炒めたソースは焼きそばソースとは別もんということなんだろう。

ただ、和えはどういうことっていいたい。

ラベルに「詳しく・・」とある具材の種類。

キャベツ、もやしはわかるとしてもニンジンって入っていたっけ・・。

原材料名はまだ続きがある。

「豚肉炒めソ-ス和え」である。

豚肉もまた別途ソースで炒めたようである。

ちなみに塩分含有量である。

ナトリウム表記の3.3gとくれば400gで割って8.25gの含有量。

もう堪忍してぇ。

見ない方が良かったのかもしれない。

(H30. 4.30 SB932SH撮影)

下永の涅槃会

2019年09月12日 10時15分04秒 | 川西町へ
この年の正月初め

久しぶりに訪れた磯城郡川西町の下永。

大和川左岸の東城(ひがしんじょ)八幡神社行事の牛玉作りを拝見した際に教えてくださった仏事行事がある。

宮座五人衆の一老のKさんと二老のNさんの二人が寺行事にお世話をする。

実質は行事が行われる旧白米寺(はくまいじ)収蔵庫(昭和38年建築)の鍵当番であるが・・。

今は旧白米寺収蔵庫になっているが、かつては大和川右岸の下永東方(ひがしんぼう)八幡神社の神宮寺に推定される廃旧白米蜜寺(くめみつじ)があった。

収蔵庫前に建てた由緒書きがある。

「白米蜜寺は、もと初瀬川右岸の東方小字高堂・八幡神社付近にあり、遺物は分散、仏像は収蔵庫に収めている。寄木造りに彫りの浅い平安後期様式の木造阿弥陀如来坐像(平安時代後期/藤原期・国指定重要文化財)、一木造りに円頂、彫眼、彩色(※殆どが剥落)の立像の木造地蔵菩薩像は翻波式衣文があり、平安中期の作風がうかがえる貴重なもの(平安時代中期/弘仁期・国指定重要文化財)。また、木造不動明王立像も寄木造りにした鎌倉前期時代に製作された(県指定文化財)。(※文は若干補完)」。

白米寺は、享保九年(1963)の「御領伽藍」に記載がないことから、そのころすでに廃寺になり、現在の東城(ひがしんじょ)八幡神社横に建つ収蔵庫地(旧阿弥陀堂跡地)に移された。

また、神社参道東側にあった地蔵堂から木造地蔵菩薩像を収蔵庫に移した、とある。

朝早く集まった尼講の人たち。

講員は30人ほどにもなるが実質的に動いているのは20人になると、という。

収蔵庫の扉を開けてもらった尼講の人たち。

早速、清掃作業に入る。

91歳、88歳の講員もおられるが、清掃作業はまだまだ若いとよく言われる同年輩の婦人たちが世話し始めた。

手の届かない座高のある仏像は足元辺りの清掃になる。

乾拭きに水拭き。

場所によって工夫しながら奇麗にしていく。

収蔵庫を開けるのは、7月の地蔵盆に涅槃法会のある本日。

一年に2度の開帳であるが、稀に拝観志納料を納めてまで仏像を拝観したい、と希望を申し出る人にも対応、開帳することもあるようだが・・・。



また、三尊以外の仏像に鎌倉時代作の勢至菩薩立像とか、江戸時代の地蔵菩薩立像、毘沙門天立像、2体の弘法大師像、十一面聖観音菩薩立像などを安置している。

清掃を終えてしばらく待ってから始まった白米寺涅槃法会。

参拝者は清掃をしていた尼講の他、浄土真宗徒(称名寺)、門徒、天理教徒の6人が参列される。

涅槃法会を営まれる僧侶は八幡神社すぐ横にある融通念仏宗派の正念寺

時間ともなれば、副住職とともに参られる。



ローソクに火を灯して線香をくゆらす。

お念仏ははじめに香偈。



そして木魚を打ち続ける般若心経から、なーむあみだぶつ なんまーだ、なんまんだと唱える。

家内安全、身体堅固になむあみだぶつ、なーんまいだ、なんまいだ。

三界万霊、平等利益・・・なーんまいだ。



願以此功徳・・なーんまいだを唱えられたが、焼香は見られなかった。

旧白米寺(はくまいじ)収蔵庫での涅槃法会を終えたら一旦は解散する。

午後は場所を替えて、ご住職の自寺である融通念仏宗正念寺で行われる涅槃会が始まる。



一旦は、下永を離れて再び来訪した午後の法会が涅槃会。

集まってくる婦人たちは尼講のみなさん。



時間ともなれば13人の講中が正念寺本堂にやってくる。



本堂の上り口回廊に置いて供えていた御供。



仏飯に葉物菜に里芋、人参、椎茸、高野豆腐のお供えは境内にある石仏に向けて供えていた。

本堂に掲げていた縦長の大きな涅槃図。



ローソクを灯して始まった涅槃会。

礼拝される住職。

まずは礼拝香偈である。



右についた副住職が大きなキンを打つ。

その間に廻される焼香。

一人、一人が丁寧に手を合わしていた。



「~ゆずーねんぶつ なむあみだ なーむあみだ だっなーむん・・・」。

そして、拍子木を打って法要する先祖回向。

「なーむまいだぶ なんまーだぶ」。

追善法要に「なーむんまいだ なんまいだ~~」と先祖供養に抑揚をつけて詠みあげる塔婆回向。

その間に途中入堂された参拝者は男性も入れて15人。

午後1時から始まった涅槃会は45分間の営み。

続いて行われた住職法話。

平成元年に紫雲山正念寺の住職に就いた川中恒明さんの法話である。

30年前は髪の毛もあって若かった。

みなさんも若かった。

建て替える前の本堂は暗かった。

腰も痛くなる年齢になってみなさんに近づけたなどと言いながら暮らしてきた。

本日は涅槃会。

動物も来る。

信頼があった、悲しみの動物も来る。

すべて縁の積み重ねできている。

この地に嫁いできたのも縁なら、私が当地に寄せてもらうことになったのも縁。

20年前に本堂を建て替えた。

30年前は庫裏の建て替え。

寺には地獄絵図もある。



氏神さんを祭る八幡神社にある狛犬は幕末の名石工と呼ばれる丹波の佐吉が造った。

正念寺の外の仏さんも佐吉作と伝わる。

ご回在は信貴山にも行く。

宗派を選ばないのが融通念仏宗派の特徴。

縁によって滅する。

縁は大切。

欲のでた縁起。

仏教から修験に・・。

地名の名をつけた○○大仏は日本全国に70~80体もある。

唯一、人名のついた大仏もあるらしい。

300年前に生まれた各地の大仏。

岐阜羽島に250年前に造立された佐吉大仏がある。

願主は永田佐吉という(羽島市竹鼻町(竹ヶ鼻村)出身の綿の仲買商人。

慈悲の心を持ち、正直者で親孝行に励んだことから「美濃の聖(ひじり)」と呼ばれて人々から信頼された。

縁も善にも、悪いもない。

良縁も無縁でもない。

自分勝手に判断したこと。

縁を活かすも活かさないのも人次第。

徳は後からついていく「篤」。

「因縁果」。

運命を生み出すのはすべて自分の行い。

善い結果がでるときも、悪い結果がでるときも、自分が蒔いた種まき行為の結果。

縁は一つ。縁を活かすもの。

本人次第の生き方、考え方が大切であると説かれた。



法話を聴講された尼講のみなさん。



正面に掲げた涅槃図にしばらく見入ったあとに解散された。

(H30. 2.15 EOS40D撮影)

ヤマダイのニュータッチなにわ串かつソース焼きそば

2019年09月11日 09時22分59秒 | あれこれインスタント
数日前に買っておいた焼きそばがある。

近くにあるスーパーの山陽マルナカで買った特価品。

商品名が妙に可笑しくて買ってしまった焼きそばは税抜き98円。

ヤマダイがシリーズで発売した商品名はニュータッチのなにわ串かつソース焼きそば

ただたたネーミングに惹かれて買ってみたのだが・・。

蓋を開けて取り出す3袋。

乾燥具材に液体ソース。

これが決め手の大阪・浪速の名物である串カツソース。

串カツ屋さんが伝える注意事項。

ソースの二度漬けごめん被ると・・。

テレビでも取り上げられること多く、ご存じの方も多いだろう。



もう一つの袋はパラパラ振りかける花かつお。

具材を入れて4分間待つ。

お湯を捨ててソースを落とす。



甘い香りのソースが鼻に吸い込まれる。

これは期待できそうな感じがする。

麺にソースを絡ませるように混ぜる。

底にとごっているソースに麺を箸で動かせてなんとから絡ませる。

油っぽくでもないようなソースである。

「二度漬け禁止」の串カツソースを「たっぷり漬けてや!」とあるが、1袋分しかないやん・・。



混ざったら、大きく仕上げた花かつおをパラパラ振る。

全体に振り分けるように振るが、今の時期、扇風機が廻っていないから大丈夫だったけど・・。

それはともかくとにかく箸で掬って口に入れた焼きそば。

おっと、この麺は手ごわい。

そう思ったのはコシではなくモチモチ麺だったからだ。

麺はやや太麺。

それにコシもあってモチモチ麺なら旨いだろうに。

何度も何度も口に入れたくなるなにわ串かつソース焼きそば。

ただ、インパクトがまったく感じない。

なにわ串かつソースという割には、あの辛目のソース味になっていない。

私が食べてきたソースは辛目。

甘めのソースは食べたことがない。

どこぞの串カツ屋さんのソースをモデルにしたのか、伺ってみたくなる。

ネットをぐぐってみれば「㈱大黒屋の串かつソースをベースに、焦がしたソースの風味と炒め焦がした牛風味をオイルでプラスし、ビーフの深みある旨味と玉ねぎの甘みで、よりソースの風味を感じられるように仕上げ」た、とのこと。

大黒屋って。

しかも焦がしたソースの味がどこにあったんだ。

よりソースの風味を、というが、風味はまったく感じない。

インパクトがあったのはネーミングだけだったんだ。

ただ、嬉しいのは塩分含有量が4.1g。

心臓に優しいのが嬉しいのである。

(H30. 4.29 SB932SH撮影)