マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

浮腫みに膨満の原因はロキソプロフェンナトリウム錠

2019年09月10日 08時15分50秒 | むびょうそくさい
前日のお腹は驚異的に張り出した膨満状態。

食事処で私の姿をみたおふくろもかーさんも驚いた顔をする。

翌日の体重も気にかかる。

迎えた4月28日の朝。

特に起きにくいとかの症状はない。

起床時に測った体重は71.8kg。

前日よりもさらに増えた値にこれはもう医者行きの決断。

追い打ちをかけたのは血圧である。

これまで類をみない値は185-91。

そのくせ心拍数といったら、いつもとかわらない42拍。

朝食後の血圧は若干下がって151-70。

心拍数は44泊。

足の浮腫みは前日よりも顕著にでていた。

膨満状態はあいもかわらずだが、食事は摂れる。

もう、行くと宣言して通院している循環器内科に電話を架けた。

つい一週間前は3カ月診断。

特に何も問題もなかったが、医師の言葉はいつものお変わりないですか、浮腫みや体重増加はないですか、である。

その問いにいつもと同じで特に症状はでていないと伝えていた。

症状に大きな変化があれば、緊急的診察を・・と以前から云われている。

昨年の11月は突如として出現した頻脈症状に緊急診察行き。

症状がおかしければ休みでなければお願いする。

前回もそうだ。

2年と数か月前にもあった。

そういう場合は外来棟受付に電話をする。

本日は土曜日。

一般診療は受け付けていませんという。

そりゃわかっている。

私は貴院に通院している身。

今にも膨満状態が爆発しそうだと電話当番者に訴える。

そうしたら、その人は循環器内科の医師は休みで総合内科になるという。

それもわかっている何度かの土曜日緊急処置願い。

受付は総合内科に振られて受診カードナンバーを伝えて名乗る。

浮腫み、膨満症状に経緯を伝えたら、今すぐ来てくださいと・・。

普段、車で行けば35分から40分はかかる。

それぐらいで到着しますので、と云えば、お気をつけてください、と。

承諾を受けて、自宅を出発した時間帯は午前9時15分。

9時に電話をして話している時間、大急ぎで支度しても15分も経過。

時はすぐに過ぎてしまう。

外来棟駐車場に着いた時間帯は9時42分。

普段の平日の混み具合はまったくなく、信号待ちにかかることも少なかったのでとても早く着いた。

9時45分に総合受付。

そして階段を登って総合内科の受付。

9時48分から10時10分にかけては、痛みどめ服用から体重増加、浮腫、膨満症状に至る経緯を問診票に記入して提出した。

そのころ、突然にもよおしてくる小水。

受付からは問われなかったが、念のためと思って受付に申し出た尿採取。

医師に確認したらお願いします、である。

10時10分から20分までは看護師面談。

問診評に記入した状況を口頭説明だけでなく、毎日記入している体重、血圧、心拍数をもって状況説明。

合わせて診療所で痛み緩和している処方箋や、泌尿器科で男の病気の前立腺処方箋(※ナフトピジルOD錠75mg(サワイ))も伝える。

看護士曰く、前立腺処方箋は服用しても問題はないが。

気にかかかるのはロキソニンと云われる。

循環器系病をもつ患者さんで、ロキソニンを服用しても何ともない人もあるが、影響受ける人もいる。

私はどうやら後者に匹敵することになる。

本日指摘されるまでもなく、実は前夜の服用は自己診断で服用を中断した。

抗生剤は3日間服用で終わっていたが、鎮痛薬のロキソニン(※正式処方箋はロキソプロフェンナトリウム錠60mg「CH」)が多分に影響しているのでは、と思っていたからだ。

何故なら痛み治療は前月の3月11日にも処方・服用していたが、浮腫み、膨満症状はでなかった。

4月24日の診断で処方された薬は3月発症と若干の違いがある。

その若干とはロキソプロフェンナトリウム錠60mg「CH」である。

3月にはそれがなかった。

ところが4月はそれがある。

ロキソニンの怖さはFBとか新聞の医療相談にもある伝え聞き。

副作用が出る可能性があるということだ。

10時30分から40分は、本日担当してくださるK医師の診察に経緯ならびに状態訴えた。

主治医であれば、即座に状況把握ができるが、なければ経緯を詳しく・・ということになる。

状況的には心不全。

状態をもう少し明確にしたい、と血液検査、レントゲン、心電図の指示を伝える。

診察室を離れて検査にでかけた時間帯は午前10時45分から11時18分まで。

一番長く検査したのは心電図検査である。

検査担当技師は、なんと4月入社の新人のNさん。

初々しい指示に新人とすぐにわかった。

心電図検査をするには胸を大開き。

人工心肺に置き換えて形成手術した痕跡は赤く腫れて今でもはっきりとわかる状態。

手術は平成27年の7月31日。

たいへんだったでしょと云われて、思い出した幻影症状。

ICU室に居たころの数日間は蠢く魔物に悩まされぱなしだった。

手術中は怖さも何もないが、幻影の怖さは、目をつぶらなくとも映像が今でも出てくる異常なものども。

そんな話に興味をもつ新人技師。

心電図をセットし終えて先輩技師に検証してもらう。

そこでOKが出ればスイッチオンとなるが、私は普段、安静状態であれば40拍前後の心拍数になる。

過去、なんどもあった新人技師。

計測の貼り方が悪かったのかと思えるほどの波形の乱れ。

研修中には見られなかった波形におろおろするはず。

そういう場合は3分から5分間の持続型検査になる。

そういう場合は、必ず技師は患者さんに確認しなくてはならないのだろう。

何度もそのことを経験してきた私は、新人技師さんに話してあげたら、その通りの波形。

こらなんだと思ったらしく、今から3分間の計測と伝えられた。

波形はどうでしたかと尋ねたら、まさにその通りの波形。

p波は綺麗に出ていましたかと尋ねたら、そのことにも驚かれた。

当院にどれほどの数の検査、診察をしてきたことか。

心臓のリハビリ運動なんて、昨年の3月末に卒業するまで60回以上も通った。

ペダル漕ぎに実見できる心電図波形。

教えてもらった波形のp波。

それさえ鮮明な波形であれば問題なし。

そんなことを話してあげたら、これもまたびっくりしてはった。

研修や机上学習では味わえない特殊な症状。

経験はこれからの毎日によって積み重ねることであろう。

仕事内だけでなく、仕事外にも考える情報はいくらでもある。

ただ単にSNSを見ているだけでは知恵は増えない。

直接体験する情報だけでなく、他にも入手できるのは、例えば新聞紙に掲載される医療相談がある。

新聞だけでなく他の媒体にもある。

そういったものを自主的に拾って身につける。

研修中はどちらかといえば受動的。

自らの疑問をもって調べた方が身につく。

なんてことをお話ししたらガンバリますと返してくれた。素直な技師はおそらくいろんなことにぶち当たるだろうが、壁を壁とも思わないよう、ぶち壊してほしいとエールを贈る。

検査を終えて総合内科の待合室に戻って30分。

検査後の診察時間は午前11時の50分から55分。

レントゲンおよび心電図検査についてはまったく問題なし。

曇りもブレもない綺麗な映像に波形だったという。

異常値が見られたのは血液検査の結果である。

特に異常だったのがBNPである。

BNPは脳性ナトリウム利尿ペプチドの略。

心臓の負荷が増え、心筋肥大が起こるとBNPの血液濃度が増加する。

値が高いほど心臓が良くないということであるが、今回の値は236.9。

なんという数値であろうか。

一週間前は何事もなかった111.3。

もう一つの異常値は肝機能に関するAST。

心臓や肝臓などの臓器になんらかの障害がある場合に数値が高くなる。

先週の数値は25であったが、今回は62。

13-30の基準値範囲を越えた数値も影響を与えていたロキソニンである。

原因はわかったが、さて治療法である。

忘れもしない平成27年12月26日

本日とほぼ同じような浮腫みに膨満症状の発症に緊急連絡をして処置してもらった日である。

そのときは、年末にかかろうとしていた日。

機会を逃してしまえば、迎えた正月に難義すること必至であった。

今回は明日の29日からゴールデンウィークモードに突入する。

膨満を放置すれば溜まった尿で尿毒症にもなりかねない。

そうなる前に処置をするというわけだ。

2年と4カ月も前の処置は注射によるラシックス20mg利尿液剤処置。

なんぼでも出てくる尿の量は合計で3400mlにものぼった。

おかげさんで魔物を排出することができた。

今回はそこまでいかない。

結果、処方されたお薬は4日分のラシックス錠。

本日は昼食後に、翌日からは朝食後に服用の指示がでた。

BNPにAST数値が下がっているかどうかの検証が要る。

5月1日は火曜日。

主治医の循環器内科医師が担当する曜日だから、その日に一般診察として来てください、ということで終えた。

しかし、それにしても院内に入ってからもよおすことがむちゃ多くなっていた。

昨日、一昨日とえらい違いのもよおし回数。

受付から会計支払いを精算するまでの院内滞在中の回数は6回。

9時45分から12時半までの短時間になんと6回も、である。

また、帰宅したとたんにも1回あった。

トイレで用を足す度に身体が少しずつ軽くなっていくのがわかる。

つまりは朝に飲んだ利尿剤が利いているのである。

昨日までは飲んでいても利かなかった。

その原因はロキソニン。

中断したのは昨夜に今朝の分。

尤も以下次は服用しない。

つまりはロキソニンを中断した途端に、今まで通りの利尿剤の効き目があったということである。

(H30. 4.28 SB932SH撮影)

ふり返る4月の介護まとめ

2019年09月09日 09時40分04秒 | むびょうそくさい(おかん編)
この月もおふくろの介護に関係するさまざまなことがあった。

記憶は記録。

ふり返る際に思い出したい事項を書き記しておく。

4月16日、この日は1カ月ぶりの畠中医院診察。処方箋は2カ月分をお願いした。

処方箋調合はいつもお願いしている北島薬局。

医師に書いてもらっている処方箋の分包依頼。

手間のかかる作業をお願いするのが申しわけない。

分包の作業時間はたっぷり要する。

その間にしておきたい手続きがある。

北島薬局のある通りを東に少しいけば北島郵便局がある。

郵便局に依頼するのは配達地を戻す手続きである。

長期入院に介護加療の期間中の郵便配達先を我が家の大和郡山市に届くようにしていた。

これを元のおふくろが居住する地に戻す手続き、であるが、この日はその資料を入手するだけだから早く済む。

諸要件を済ませたら丁度の昼どき。



下見に探していた護国神社前の目利きの銀次

海鮮料理が美味そうな目利きの銀次であるが、表に出ていたメニュー案内に麺類がない。



おふくろの食事に欠かせない麺類。

うどんでも蕎麦でもいいが、いずれもなければ入店不可であるが、後日にわかったうどん有り。

メニュー一覧にあった小っちゃい映像ではなぁ・・。

申しわけないが、もう1カ所を下見していた食事処がある。

安立商店街アーケード゙前の信号を越えたところにある手打ちうどんそばの瀧徳である。

メニューにうどんもそばも定食があるから、そこに決めて食事を済ませた。

食事を済ませたら、ここ安立町を南北に通る紀州街道に「十三まいり」の道標を見たくなり、立ち止まって拝見していた。

次の要件は、老人パス交付受領手続きである。

手続きは住之江区役所内。

そこでばったり出会った住之江敷津浦地域包括支援センターのB主任さん。

介護関係の諸手続きに忙しく動き回っていた。

予定していた受取時間に訪れる北島薬局。

分包してくださった薬を受け取った。

次の要件はおふくろの買い物。

毎週の買い物を介護ヘルパーさんに頼むのだが、思い通りの品物にならない場合がある。

主だったものは牛肉である。

それこそ目利きして美味しい牛肉を食べたいというおふくろを車に乗せて向かったスーパーサンデイ。

買い物カートを押して自分の足で歩きたい。

その願いも叶う、所要ついでに出かけるお買い物である。

居住する部屋であれこれ書類の検証がある。

住居の支払い、お世話になっている介護施設や介護ヘルパー事業所から送られてくる請求書に領収書の整理である。

この日に持参した結婚式写真。

おふくろの代理出席させていただいた従妹の娘さんの姿に母親の晴れ姿に歓んでいた。

2時間ほどの滞在に団地駐車場支払いは400円。

帰路に見た西名阪国道からの眺望。

往復とも葛城山や金剛山が霞んでまったく見えなかった。

年に何度か遭遇する黄砂の日だった。

18日、住之江区保健福祉センターより住宅改修費給付券が届いた。

その旨、連絡したばらの木介護事業部。

その通知をもって区役所に出向いて工事着工依頼するのは部長のHさん。

介護用具についてはいろいろと相談にのってくださる。

工事着工は今月の27日の午後2時。

合流できる時間を調整した。

27日、午後2時より始まった自宅改修工事。

設置作業に慣れておられる部長のHさん。

位置決めはおふくろが利用しやすい、というか、手すりを掴みやすい高さに、である。

位置が決まれば穴開け。

取り付け金具を嵌めて手すりを固定する。



トイレドアすぐ傍にある柱というか、支柱に穴開け。

ベランダに出る柱にも穴開け。

ぴたりと決まればすぐさま作業に入った。



ドリル道具の音は煩くないから、住居者には気にならんだろう、と思うが・・・。

この穴開けと取り付けた介護用具が自宅改修工事の対象。

元々なかったところに敷設することすべてが自宅改修工事の対象になる。

設置が終われば使い心地を試してみる。

これもまた毎日の生活をこの部屋で活用するおふくろ。

介護支援する手すりの使い心地に、良い感触を得た。

工事が終わったらすぐさま出かけるHさん。

向かった先は住之江区役所。

住之江区保健福祉センターからの通知で届いた住宅改修費給付券に改修費用の1980円の現金手渡し。

1割負担だから助かる住宅改修費給付。

預かった1980円を持参して現金支払い。

区役所はその受け取りに領収書を発行するらしい。

後日に郵送される領収書の件もあるが、介護用具専門事業者のばらの木とは契約のある縦型介護レンタルてすり計画書のサインもある。

作業、手続きは1時間で終わった。

(H30. 4.16 SB932SH撮影)
(H30. 4.27 SB932SH撮影)

淡い色合いが素敵な帰化植物の昼咲き月見草

2019年09月08日 09時09分48秒 | もっと遠くへ(大阪編)
大阪・住之江の市街地団地。

生まれ育った大和川住宅。

5階建て高層住宅に短期間ではあるが、夫婦ともども住まいしていた。

我が家は奈良県に移住したがおふくろは今でも大和川住宅住まい。

住まいする棟の向こうの棟に美しい花が咲いていた。

それも1階ベランダ下の陰地付近。

ヒトリバエで広がった園芸種の花がびっしり並んでいる。

米国・ミズーリー州からテキサス州、それにメキシコ原産の帰化植物の昼咲き月見草。

日当たり良好の1階ベランダ下の処で、みーんながこっち向いている。

淡い色合いが素敵に思えて思わずシャッター切り。

(H30. 4.27 SB932SH撮影)

92歳の誕生祝いに木曽路住之江公園店で食す

2019年09月07日 09時05分43秒 | 食事が主な周辺をお散歩
木曽路の本社は名古屋の昭和区白金。

木曽路そのものは信州。

下ってきたら名古屋に着くというようなことで店名にしたとか、しないとか・・・知らんけど。

創業が昭和25年だから、長年に亘って慕われてきたとわかるが、当初は喫茶店。

業態転換をはかって外食産業に転出。

しゃぶしゃぶの木曽路1号店は昭和41年に遡るそうだ。

当然ながら名古屋店は存知しない。

それから何年後か知らないが、昭和50年のころから他店舗展開しているので、そのころに知ったのかもしれない。

実は木曽路店舗に入った記憶がない。

入店したかもわからないが・・記憶にない。

あるのは木曽路の料理は定食しかない、と知ったことだ。

定食だけのお店に興味はもてなかった。

単品でもあれば入店していたかもしれない。

とにかく至る所に木曽路のお店が目に付くようになったが、生活の範囲外だったのである。

介護の身になって早や数か月。

住之江住居に戻って、週2回の通所サービス利用も慣れたものだ。

介護はヘルパーさんにも来てもらっている。

これもまた週2回ペース。

週の3日間だけはなにもない日々を暮らすようになってほぼ2カ月。

この日は住居の改修工事が行われる。

大規模な改修工事でなく、ごくごく一部の手すりの設置である。

これをもってすべての介護にともなう契約関係手続を終える。

長い期間に亘ってあれやこれやと克服してきたおふくろ。

満92歳になるおふくろ。

本日はその祝いに今まで行ったことのないお店を選んだ。

昨年は20年ぶりに宿泊した宇陀市大宇陀・本郷の椿寿荘で祝った。

その前の平成28年は大阪・堺市大浜、ホテル・アゴーラリージェンシー堺25階にある日本料理なにわを利用していた。

その前の平成27年も同店舗の食事で誕生日を祝った。

で、介護の身となった今年はさて、どこにするか、である。

豪勢でなくともそこらにあるご近所辺りに、えーとこはないやろか。

ネットも使って探した料理店。

そこはおふくろが招かれて孫家族ともども食事会をしていた食事処だった。

ここにしよか、と聞いたら、それでえーという。

短時間で着くならOKということに加えて味を知っている安心感で決定した木曽路住之江公園店である。

私もかーさんもどうやら初めて入店する木曽路。

しゃぶしゃぶ料理が有名なようよ、と云われるが、そこまで気分は乗らない。

とにかく行ってみてメニューを見てから判断しよ、と。

入店するなり和服姿の美しい店員さんが案内してくれた食事場は掘り炬燵形式で足を伸ばせられる大部屋・・でなく大広間。

ゆったり寛げる広さに圧倒される。

ここまで杖を搗いてきたおふくろ。

座敷に上がるなり、ひょこひょこと一番奥まで杖なしで歩く。

普段、どこに移動する場合でも手すり代わりになるところに手を添えて伝い歩きのはずなのであるが・・。

ここでは大広間だったこともあって、こころも晴れやか。

躓いて倒れても畳の座敷なら安心だと思ったのか、それとも杖をも意識しない身体状態だから思わず歩き出したようだ。

席についてじっくり拝見するメニュー。

かーさんが選んだ料理は税込価格が1620円の木曽定食だ。



木曽定食の売りは鯛茶漬け御膳。

お出汁に山葵を入れて食べることもできる。

お造りはカルパッチョ仕立てである。

おふくろが選んだ料理は同じく税込み価格が1620円の刺身定食。



刺身は木曽定食など他にある定食料理もあるが、さすがに刺身定食。

見た目も豪勢な盛り付け。

大皿で提供されるという具合だが、メニュー写真ではその違いがわからない。

刺身も同じような盛り付けに見える。

まったく同じように見えたのは天ぷら、茶碗蒸しに香の物だけだった。

前菜や小鉢、季節一品に汁ものなんぞに違いがあるとわかったのは配膳されてからだった。

私はお腹が膨満状態であったが、メニューの写真を見て重箱に麺類を注文することにした。

料理は選べるお重に選べるミニ麺のセット料理。

お重は親子重、天重、牛肉重のいずれか一品を選ぶ。

親子重も天重も一般的。

ここ木曽路ならではと思った牛肉重を選んだ。

麺類はうどんまたはそば。

ざるうどんまたはざるそばのうち、一品を選ぶ。

量が多かったらおふくろに助けてもらおうと思って選んだ麺類はざるそば。

配膳されるのが楽しみな大広間に次から次への来られる来店客。

ほとんどが二人連れ。

ビジネスマンもおれば赤ちゃん連れも。

高齢の夫婦に若夫婦も食べているが、一人で来られたビジネスマン風の男性はあっという間に平らげていった。

待つこと15分間。三品一挙に配膳された。

和服姿の仲居さんが料理の食べ方を説明してくださる。

さすがの和風料理店である。

豪華な盛りに喜んで箸を出す三人。

落ち着いた雰囲気にすっかり馴染んできた。

どれを食べても美味しいと云って食べる。

私が初めに口にした料理は茶わん蒸し。

プリン、プリンした茶碗蒸しに入っていた具材は海老にカシワの鶏肉、椎茸と定番の銀杏である。

甘さもさっぱり感のある茶碗蒸し。

3人ともぺろりと平らげた。

さて、私が注文した牛肉重。



ど真ん中にシラガネギも添えている。

しかも、そこには山葵もある。

ははぁーんのなるほどである。

テレビで紹介される肉料理。

昨今の傾向は肉に山葵ありである。

しかしそれにしてもお重の飯が見えない。

お重ぎっしりいっぱいに敷いた牛肉でご飯が見えないのだ。

一枚持ち上げた肉。

その下にもある。

おっ、これは重ねの肉重。

捲った下の肉も持ち上げたら、また出てくる牛肉重。

3枚目を持ち上げてやっとでてきた肉飯。

肉汁をたっぷりかけた肉飯の旨いこと。

肉のことを忘れてしまいそうになってぱくぱく。

慌てて肉巻きして食べる肉飯。

これは旨すぎる。

そこで盛ったのは山葵をちょとのせて、シラガネギも添えた肉巻き肉飯。

むちゃ美味いやん。

こりゃもう箸が止まらなくなってしまったご馳走。

写真では味は見えないが、口にしたらもうこれは堪らない。

丼のようにガツガツ食べてしまった。

もう一品のざるそばにはなかなか箸が届かないどころか、香の物にも目がいかない。

忘れんうちに食べておこうと大根漬け。

これまた美味すぎる。

野沢菜漬けのシャキシャキ感も良いが、大根漬けの歯ごたえ、旨み、これって、ぅんまいねー。

3人とも称賛した大根漬け。

単品持ち帰りで提供してくれないかな、と思った逸品である。

ざるそばは何十年ぶりだろうか。

うどんは旨さがわかるが、そばはなんとも・・・。

そばの味がわかっていないから申しわけない。

感想はコシのあるそば麺。

お汁に漬けて食べたらお汁の味。

山葵を入れたら山葵の味。

どう表現したらいいのだろうか。

決して不味くはないのだが、味覚っぽい表現ができないのが悔しい。

蕎麦だしは甘くもなく、辛くもないお味。

牛肉重も定食もこんなに美味しいとは・・。

これまでずっと侮っていたのが申しわけない。



ただ、定食だけのメインではやはりメニュー選びに限界がある。

逸品とまでいかなくとも単品料理があれば、選択肢が増えてお客さんも喜ぶのでは、と思った。

(H30. 4.27 SB932SH撮影)

鯖・サバが好き!旨すぎる国民的青魚のすべて記念イベントin大阪・ロフトプラスワンウエスト

2019年09月06日 09時54分42秒 | メモしとこっ!
平成30年の3月12日に全国発売された『サバが好き!旨すぎる国民的青魚のすべて』がある。

著者は池田陽子さん。

出版は山と渓谷社。

編集者は草柳佳昭さん。

ひょんなことから知り合ったお二人が、『サバが好き!旨すぎる国民的青魚のすべて』発刊記念に大阪にやってくるとFBで伝えていた。

知り合ってからすべての交信は電子メールにFBメール。

一度もお会いせずに、黙っておくのは私の気持ちが許せない。

発刊記念のイベントの主役は著者の池田陽子さんにある。

池田陽子さんは全日本さば連合会・広報を担当する美人のサバジェンヌ。

日本各地の漁港から魚屋さんにサバ調理人に顔が広い。

地域活動も幅広く駆けずり回っているようだ。

池田陽子さん
もう一つの顔

薬膳料理家に薬膳アテンダントである。

とにかくお忙しい池田さんと面識させていただきたく会場に出向くことにした。

実は二の足を踏んでいた。

理由はチケット購買である。

記念イベントの会場は大阪・ロフトプラスワンウエスト(2014年オープンのライブハウス)。

大阪市中央区宗右衛門町の美松ビル3階が会場であるが、誰でも彼でも入室できるのではなく、チケット購買を要する有料会場。

生まれてこのかた、チケット購入なんぞしたことがない。

方法、手段がさっぱりわからない。

もう一つの理由は前売りが2300円の当日飲食代が別途の2800円。

奈良からの往復交通費も入れりゃ私の生活費では賄えない。

顔出しだけが精いっぱい。

お会いして、コラム執筆にサシサバ写真を掲載してくださった発刊のお礼を伝えたい。

あわよくば入場でもできれば、と思って電車でやってきた。

久しぶりの夜の街。

大阪の夜の街は何年ぶりになるだろうか。

ビジネスマン時代のころは、淀屋橋で飲んで難波でも。

若いときはなんでもなかった金力、体力。

どちらも随分と衰えたものだ。

会場は午後6時半に開場。

イベントオープンが午後7時半。

早めに到着したいと思って近鉄難波駅に午後45分に着く。

日本橋駅を目指してイベント直線。

地下街の虹のまち(※現在はなんばウォーク)を歩く。

たしかここら辺りで地上に出て・・あそこを曲がってあそこらへん・・。

なんせスマホを持ち合わせていない私が頼りにするペーパ出力マップ。

ウロウロするだけでなかなか美松ビルに出会えない。

ここら辺りだろうと思って2階に上がったら大勢の人たちがいたが風体が違う。

受付もないし、会場を匂わせる雰囲気もない。

間違ってあがったビルを背中にまた歩き出す。

焼肉食べ放題のまんぷく市場でもない。

もしかとすればこの筋では・・・。



アタリである。

それにしてもこの宗右衛門町界隈を歩く人の姿にビジネスマンは少ない。

とにかく多く見られるインバウンド。

ぞろぞろ引くキャスターの音があっちからもこっちからも。

まず間違いなくアジア系のインバウンドで溢れる街になっていた。

美松ビル玄関口にあるフロアー案内。



ホストクラブもあればラウンジなどなどに混ざって文字表記で「サバが大好き!ナイト」。

「国民的青魚のすべてを知って、食べて楽しむ」とサブ表示。

出演は全日本さば連合会の小林崇亮会長サバニストに池田陽子応援サバジェンヌ。

お一人様、1コース2700円で食べられる9品のSPサバメニューも書いていた。

そう、入場料に食事代は別。

当日なら5500円。

飲み放題でもなく別途にドリンク代も、当然要る。

メニューのサバは新作料理もあるとFBで伝えていた。

そのメニューは、島根県浜田のサバ竜田揚げスイートチリソースORブルドック「滋養ソース」に島根県浜田のサバトマト照り焼き、島根県浜田鯖ほぐしと海藻の中華和え、豆腐のっけ・三重県南伊勢おかげ鯖のしゃぶしゃぶ、三重県南伊勢おかげ鯖の焼き串・福井県美浜のへしこと刺身、大阪府の魚庵の金華さば棒寿司、大阪府の魚庵の鯖寿司茶漬け、鳥取県因幡の塩鯖麹漬の9品。

2700円でこれだけのごつっぉに出合えるなんてありえない。

それぞれ何切れずつなのかわからない。

最小の数であっても9品。

舌が肥えてしまうだろうな。

少しノゾキミを、と思ったところに店員さんが顔を出してくれた。

これ幸いに、お願いしたサバジェンヌ池田陽子さんの呼び出し。

用件と名前を告げたら、断られることもなく受け入れてくれた。

呼び出しに声をかけられたサバジェンヌ。

初対面に名前を告げたら、わーぉ。

まさかのここで・・と喜んでくださった。

お話しているときに声をかけてくださった男性。

こちらも初対面になる草柳佳昭さん。

お会いできただけで感動もん。

会話する時間もない忙しさのサバジェンヌ池田陽子さん。



この日はテレビ局の取材が入っていた。

スタジオはいつ来夏客が来ても間に合うよう準備が調っていた。

ギラギラの会場にスポットライトを浴びる。

今からショーでも始まりそうな雰囲気の場で取材に応じていた。



その一こまを記録する草柳佳昭さん。

写真好きの行動派の草柳佳昭さんはときおりFBでとらえた気になる映像を紹介している。

ショーが始まるまでもうすぐ。

申しわけないが、失礼させてもらって退室。



入口にはすでに行列ができていた。

会場を出て通りに出る。

相変わらずというか、さらに増えていたアジア系のインバウンド。

ガラガラ引きずるキャスターの音量もまた多くなっていた。

さらに南下した処に派出所がある。



見覚えのある派出所は大阪府警の道頓堀交番所。

懐かしい同級生の顔を思い出す。

昭和45年に卒業した大阪府立東住吉工業高校のときの同級生であった安藤くん。

剣道が達者だった彼は警察官になった。

高校を卒業してから1年後くらいだったように思えるが定かでない。

私が初めて勤めた就職先は日本レイヨンの宇治工場。

数カ月は寮生でいたが1カ月くらいで退寮。

京阪電車の寝屋川?駅近くのアパート、トイレも風呂もない四畳半一間の住まいで一人住まいして通勤。

やがてそれも負担になって大阪・実家から片道2時間もかけて通勤していた。

それもまた嫌気をさして退職。

自宅でぶらぶらしている日々に覚えた麻雀屋のアルバイト。

このときに覚えた喫煙も平成27年7月の大病で卒業した。

麻雀で稼ぐつもりのなかった息子を不憫と思ったおふくろが頼み込んで受けた就職試験。

日本生命の関連会社になる情報処理会社で勤めるようになった半年後くらいに会社の同僚たちと飲みに来た。

その帰りに覗き込んだ道頓堀交番所に彼が座っていた。

あれぇーとお互いが指さし。

久しぶりの出会いにすっかり酔いが覚めたかな。

公務の邪魔をしてはならないと思ってすぐに立ち去った。



その交番所すぐ傍を流れる道頓堀川。

昭和の時代、水質汚濁によって悪臭を放つどぶ川だった。

さまざまな取り組みによって浄化

一部、報道によれば鮎魚が戻ってきた、というが・・。



奇麗な川になった道頓堀川に大勢のお客さんを載せた観光クルーズ船が行き交う。

ビジネスマン時代の道頓堀川、近くにいてもそんなに臭いの?って、逆に思うのだが・・・。

ただ、ネオンサインはずいぶんと凝ったものになって、眩しいほどのギンギンギラギラに移り変わったけど・・。



懐かしい金龍ラーメンの看板が見えるが、初めて食べたのは御堂筋川。

この道頓堀川店は、当時部長だったYさんが、食べに行こうと誘ってくれた通り。

今ではアジア系の人ばかりが気になるどこかの国かと見間違うような景観である。

(H30. 4.25 SB932SH撮影)

2度目に食するヤマダイのニュータッチ東京油そば

2019年09月05日 09時45分38秒 | あれこれインスタント
製造販売メーカーは拘らない。

どのメーカーであっても、商品名に“油そば”があれば、つい買ってしまいたくなる。

買う、買わない決断の意思は、勿論の値段であるが・・。

百円を切る値段であれば間違いなく買うであろう。

もう一つの条件は塩分含有量である。

6.5g以上であれば買わない。

心臓病闘病中の私にとっては、7g以上なんてものはもってのほか。

以下、以下の上限4gから5g範囲内であれば買うことにしている。

この商品もその条件に嵌って買っていた。

しかも塩分含有量は4.1g。

身体に優しい、ありがたいカップ麺は、いつ、どこのスーパーで買ったのかメモもしていない。

百円を切っているのは間違いないから手元にある。

ヤマダイがシリーズで発売した商品名はニュータッチの東京油そば

油そばに地名がついている。

それも大都会の東京。

東京の味は中華そばしか思い当たらない。

かつては“しなそば“があった。

今では死語になったのかどうか知らないが、“しなの国”を充てる漢字は“支那“だったと思う。

生前、明治生まれの大ばあさんが口にしていた“支那そば“名称はやがて消えて”中華そば“と呼ぶようになった屋台売りのそばであろう。

今では大手スーパーで売っている袋入りの”中華麺“があるが、屋台売りの中華そばとどういう違いがあるのだろうか。

それとはまったく関係のない本論は、“東京油そば”。

東京の味はどういうものか味わってみたくなって買った。

蓋を開けて内包している三つの袋を取り出す。

お湯を落とす前にいれておく袋は乾燥「かやく」。

液体ソースは後入れ。

もう一つのふりかけも後入れ。

ソースを麺に絡めてから最後に入れる。

お湯を入れて4分間。

湯を捨てて温めていたソースを垂らす。

垂らしただけでは麺に色はつかない。

醤油味的ソースの香りがする。



インパクトあるのはニンニクの香りである。

乾燥刻みネギをパラパラ落としていただきます。

箸でちょいと摘まんで口に入れる。

美味い、の一言である。

底にとごっている油ソース。

たっぷり麺に絡めたらむちゃ美味い。

コクがあるというか、ニンニクの味、香りが際立っている。

東京って、こんな味なんだ、と思ったが、それで正解なのか、実はわかっていない。

東京油そばはとても美味しい。

ずっと食べ続けていたいが、そういうわけにはいかない。

何故なら“油そば”の冠をもつカップ焼きそば系はまだまだある。

買い置きしているので賞味期限が切れるまでに食したいものだ。

ちなみに東京とあるが、東京・武蔵野で評判の味を表現したらしい。

いっとくが、とても旨くて、一度食べたら病みつきになる。

ただ、同じ名称の東京油そばはサッポロ一番にもあるってさ。

さてさて・・。

それはそうと右横に添えたカップはスープ春雨シリーズのわかめちゃん。

あっさり塩味が丁度合うが、食べきった油そばのニンニク記憶が薄らいで脳裏から消えた。

(H30. 4.24 SB932SH撮影)

榛原柳・元庄屋家遺産の旧消防用具

2019年09月04日 10時00分36秒 | 民俗あれこれ(消防編)
一昨年の平成28年の5月15日に立ち寄った宇陀市榛原柳。

地域で行われている旧暦閏年に行われる庚申講を知りたくて、田園におられた村の人に尋ねた。

庚申さんの場所を教えてくださったYさん。

尋ねてきたことは区長のTさんに伝えておくと約束してくださった。

そして、翌年の平成29年3月23日に再びやってきた榛原柳。

区長家を教えてもらったが、取材時間を確保できずに持ち越し。

日をあらためて再び訪れた3月27日

お会いできたT区長から庚申講や権現ドーヤなどの行事の詳細を教えてもらった。

聞き取りを終えてふと見上げたT区長家の玄関。

真上にあった龍吐水(りゅうどすい)は、江戸時代から使われてきた木製の手押し消防ポンプである。

その龍吐水の周りに10個ほどのバケツもあった。

現在ではプラスチック製のバケツ。

通称ポリバケツと呼んでいる「消火用」文字がある真っ赤なバケツ。

それ以前はトタンブリキの金属製。

もっと以前は竹製。

竹で編んだバケツ籠に、柿渋を塗った和紙を重ねて貼った強固なバケツ。

桜井市小夫の元庄屋家で拝見した龍吐水と和製消防バケツ。

時代を示すものがなく、不明だったが相当古い年代物の消防道具だった。

訪ねた榛原柳のT区長家もまた元庄屋家。

もう一度、お伺いする機会があれば、古く、貴重な民俗遺産を撮らせてもらいたくお願いしていた。

と、いうのも龍吐水の年代が江戸時代だったのだ。

年代がはっきりわかる龍吐水は木製の手押しポンプ。

水溜めした箱道具から、消防ホースを通して勢いよく水を飛ばして消火する。

ぎっこん、ばったんの音がしたかどうかわからないが、複数人で対応する手押しポンプ。



力仕事で出力する水。

その姿はまるで龍が吐くようなことから名付けられた龍吐水。

尤も龍は水を象徴する伝説、現実に存在しない架空の生き物。

蛇も龍も同じように水神を象徴するがいずれも水を吐くことはない。

吐いているのは神社にある手水鉢の龍である。

さて、和製の消防バケツの役目である。

バケツは水を汲んで運ぶ道具。

尤もバシャーッと水かけするとか、夏の暑い盛りに打ち水する道具でもあるが・・。

本日、2月11日に訪れたT区長家。

建国記念日の日には日の丸掲揚し、橿原神宮紀元祭参拝をしてきたという夫妻に手渡した写真は撮らせてもらったお礼。

前年の平成29年4月2日に取材した旧暦閏年に行われる閏庚申。



同じ日に行われた例会の営みの写真も差し上げにきた際に撮らせてもらった龍吐水と和製消防バケツ。

側面に大きな文字で書かれた「立見」。

立派な文字である。

前方の文字は「式上郡 柳村」。



後方に」「嘉永二年(1848) 己酉中夏吉日」とある。

170年も前の江戸時代の道具である。

薄っすらなので判読し難いが、「細工所 京松原 平丹利□ □小路西入」とあるから、当時京都にあった松原通りが所在地の細工所であろうか。

龍吐水を吊るしているその横に掲げていた桧葉付きの塔婆。



閏庚申に祭られる塔婆である。

「奉願 天下泰平 村内平穏 家内安全 五穀豊穣 南無青面金剛童子 昭和三拾貳年・・ 施主・・」とある。

今から60年以上も前に閏庚申講のヤド家を務めたときの塔婆。

先代若しくは先々代、場合によれば、先々々代に遡るかもしれない。

(H30. 2.11 EOS40D撮影)

1カ月後に再発症の咽頭炎

2019年09月03日 09時06分41秒 | むびょうそくさい
前日の4月23日。

午後というか、夜になって急に発症した喉の痛み。

唾を呑み込むのも痛くなってきた。

こりゃ、風邪であるかも・・。

その晩はぐっすり寝ついたものの、深夜の2時半に目覚め。

喉の痛みで目が覚めた。

覚めたついでにトイレで用足し。

再び寝床についたが、1時間おきくらいに目が覚める喉の痛み。

この症状は前月の3月10日に発症したときと同じである。

数日経っても解消することのない喉の痛みは、咳や痰症状に移っていた。

こうなれば医師の診断を仰ぐ。

行先は近鉄橿原線九条駅前にある上田医院北和診療所。

なにかとお世話になっている我が家の名医にすがりつく。

診察してもらった日は3月14日。

診察結果はインフルエンザでもないフツーの風邪。

処方箋は昼用3日分の細菌滅し抗生剤のアジスロマイシン錠250mg「タカタ」。

それにプラスした5日分の毎食後の薬剤。

痛み和らげ、炎症を抑えるソランタール錠100mg、痰を出しやすいカルボシステイン錠250「テバ」、胃粘膜の保護や修復をするレバミピド錠100mg「EMEC」。

さらに咳を鎮めるムコブロチン配合シロップである。

診察当日の昼食後に服用した午後はすっきりして、咳は出なくなるし、痰の排出も少なくなった。

効果覿面の抗生剤である。

3日も服用すれば、何事もなかったような感覚に陥る。

残りは惰性的に服用する状態だった。

たぶん、同じような診察に、同じような処方箋になるだろう、と期待して出かける診療所。

たまたまであろうか、待ち時間はゼロ。

受付で渡された体温計計測の結果は36.8度。

これより1時間前に測った自宅の体温計では36.4度。

頭はぼやーっとしているが、発熱でもない。

で、医師の診察結果は風邪引きさんでもない腫れ炎症のある咽頭炎だった。

前回より腫れが酷いので若干効き目を考慮した処方箋になった。

で、今回の処方箋は前回同様の細菌滅し抗生剤のアジスロマイシン錠250mg「タカタ」が主力。

昼用に3日間の服用である。

5日分、毎食後は次の通り。

喉の痛みを和らげて炎症を抑えるロキソプロフェンナトリウム錠60mg「CH」、胃の粘膜保護に胃炎を解消するレバミピド錠100mg「EMEC」。

口腔内細菌滅するうがい薬のポビドンヨードガーグル液7%「明治」もあれば、口の中の喉の細菌を殺すトローチ錠のSPトローチ0.25mg「明治」も。

薬剤師さんから処方された薬を受け取る。

その際に伝えられた注意事項。

循環器内科の処方箋のうち一つ。

毎食後に飲む軟便薬のマグミット錠がアジスロマイシン錠抗生剤の効き目を無効にしてしまうというのだ。

では、どうしたら良いのか。

問題は昼食後の同時併用の服用である。

影響を受けないためには時間差攻撃で難を除けられる。

つまりマグミット錠は時間を遅らせて服用すれば問題ないという。

アジスロマイシン錠を服用してから2時間はあけて飲めば問題ないという。

それなら、普段通りに昼食後のマグミット錠。

それから2時間後のアジスロマイシン錠の方がわかりやすいし、失念もない。

そう思っていたが、効き目は早く欲しい。

と、いうことでアジスロマイシン錠を昼食後に飲むことにした。

さてさて、今回の効き目具合はどうなろうか。

だが、今回は急激な回復は見られなかった。

24日の晩は毎夜のアルコールに酔ってすぐに寝ついた。

が、夜中の午前2時。喉の痛みに目を覚ます。

喉の奥はカラカラに乾いていたので水分俸補給をする。

併せてトローチを服用する。

これで少しはマシになった。

再び床に就いてはみたものの、それから数時間後。

またもや喉の痛みカラカラ乾きに同じことを繰り返す。

そして起床した25日の朝6時半。

目覚めと同時に襲ってきた倍以上の痛み。

ところが、である。

起床してからは徐々に痛みは綻んでいく。

実感する痛み消え。

朝食後は発作の咳もない。

抗生剤の効き目がやっと表れたのだろうか。

その日の午後4時には喉の痛みはすっかり消えた。

その晩もアルコールの力を借りてぐっすり寝込んだ。

そして、26日の朝4時の目覚め。

痛みはまったくないと思っていいほどに治癒しつつあると思ったくらいの症状。

念のためと思ってカラカラ乾き対応にトローチを飲んで再び床に就く。

起床の朝は普段より1kg強も増えて体重は71kgにもなった。

なんとなく左足が浮腫んでいるようにも見えるが・・ただ、お腹は膨満系になってやや翌々はダウンぎみであるが朝食を済ませても痛みがまったくない。

27日、痛みはすっかり消えたが悩ましいのが朝一番の体重測定。

この日も71kg台を表示した。

それもあるが前日より空咳になっているのも不安・・・。

むしろお腹が張り出したお腹はまさに膨満状態。

原因はどこにあるのか・・。

(H30. 4.24 SB932SH撮影)
(H30. 4.24、25、26、27日)

天王寺駅前商店街・名物立食処の都そばの上天丼

2019年09月02日 10時35分44秒 | 食事が主な周辺をお散歩
天王寺駅を出て四天王寺に向かう。

道はわからなくともわかってしまう露店売り。

天王寺駅前商店街通りを抜けようにも人でいっぱい。コンビニで昼飯をと思っていたが、そんな気分にさせてくれない駅前商店街のざわめきが実に愉しい。

お店は何を売っているのだろうか。

見てみたいが、それを寄せつけない店もある。

そば屋の店があった。

それも立食が名物のそば処。

一杯のそば・うどんがたったの250円。

その数値に弱い、私はつい入店しそうになる。

おっと、どっこい、メニューを見てから判断する。

右の路地にもメニューが貼ってある。

興味を惹かれるざるそば400円。

おふくろなら飛びつくだろうな。

その横並びに貼ってあった自家製上天丼。

おいおい、この店で作っているなら、みな自家製だろうに。



表示にあった「※えび天・かき揚げ入り」で、なんと、なんとの370円。

販売時間はすでに到達している11時20分。

お昼ご飯にちょいと早いが、それで良い。

本日、ここまで来たのはすぐ近くにあるという四天王寺。

そこで聖霊会舞楽の大法要が行われる。

入堂時間まではまだまだあるが、場所も人もどういう具合に動くのか、早めに着いて見ておきたい。

そう思って出発時間を早めに設定して天王寺駅にやってきた。

着く時間はダイヤを見ているからわかっている。

わかってはいても予期しないことがたぶんにある。

その加減もあって徐々に遅れてしまう。

ここで決めた。時間ではなく、今、売っているということだ。

ドアを開けて入店する。

そこの看板にある上天丼はできますか・・・の声に、やったね。

当店は立ち食いそば店。

二人ほどが立食で食べておられた。

私といえば、天王寺駅についたとたんに動きが悪くなった。

ここ都そばには椅子に座って食べることができるカウンター席もある。

ここで落ち着きたい食事処。

ほぼ、座ったとたんに、できあがりましたーの声が。

実に早い立ち食いそば処。

ここは駅前商店街。

梅田も天王寺も新今宮も難波も、みなあった。

特に阪急の立ち食いそばは思い出に残る店。

他店舗もそれなりあるが・・。

そんなことをふと思い出させてくれた都そば。

カウンターテーブルに置いた上天丼。



さっそくがっつりいただく上天丼。

海老天は後回し。

先に食べたいかき揚げが箸で崩して食べやすい大きさに。

天つゆたっぷりほご飯とともにその端くれをいただく。

口に入れたとたんに発した言葉は旨いやん、である。

たっぷり浸みこんだ天つゆご飯。

これだけでも美味しいが、そこはかき揚げ。

たまらん旨さに惚れてしまった。

店が提示する上天丼写真のような盛りでなかったが、とても美味い。

じゅるじゅるの旨さが口のなかに拡がる。

かき揚げばかりじゃ申しわけない。

そう、海老天である。

これもまた美味い。

プリプリ感は僅かであるが、天つゆが美味いのか、とにかくご飯が進むくん。

ただ、ご飯が多いのにはまいった。

ご飯量は多い目なので、せめて半分、いやできなければ、2/3程度に抑えてくれないかなと思った67歳。

ガツガツ若者向け量と高齢者向け用に盛ってほしい、と思うのだが。

いやもう、これで370円って尋常じゃない値段の付け方。

そば、うどんも食べてみたいが・・。

次回はイカ天丼にするだろうな。

上天丼は海老天でなくイカ天であれば350円。

これも美味いと思うのである。

(H30. 4.22 SB932SH撮影)

四天王寺・聖徳太子の命日は縁日

2019年09月01日 07時18分28秒 | もっと遠くへ(大阪編)
大阪・四天王寺で午後一番に行われる聖霊会舞楽大法要がある。

天王寺駅から北へ歩いて10数分。

そこまで車で行くべきか、それとも電車利用の駅から徒歩にするのか。

直前までその判断に悩まされていた。

車で行けば高速道路利用。

お安く行くなら西名阪国道利用。

阪神高速道路を利用すれば往復料金は嵩張る。

地道を走れば多々ある信号待ちでどれほど時間が喰われてしまうか。

しかも、天王寺辺りの駐車場料金は高い。

滞在時間が長いから一日駐車最大料金になる。

これらに比して電車であれば天王寺駅までの往復料金。

停める駐車場は大和小泉駅にある格安の駐車場。

丸一日停めても数百円。

であれば、こちらを選択するに限る。

電車の到着・発車時間を見越して自宅を出る。

JR大和小泉駅周辺2カ所の駐車場料金は700円。

たしか、もっと格安の駐車場があるはずだ。

場所は認識しているが、利用できるかどうかは、空き状態次第。

ぐるっと廻って停めた駐車場はタイムパーキングであるが、一般的にあるフラップ式ロック装置のない駐車場。

さて、どうお支払いをすればいいのやら。

駐車場には支払い機械があるが、操作方法がわからない。

どう読んでも払い方が前払いなのか、後払いなのかわからない。

フラップ式ロック装置のような発券機能のない装置に注意事項はあるが、老眼鏡で判読できない。

読もうとしていたが、電車の時間に遅れてしまう。

仕方なく、と云えば、叱られるかもしれないが、その機械の説明パネルを携帯電話で写真を撮って場を離れた。

駅に着いたらトイレに行きたくなる。

焦っているから余計にもよおす利尿促進服用薬の効果がここで現れた。

とにかくトイレで用を足す。

もう一つの焦りは電子マネーのチャージである。

このまま乗れば降車駅で改札口は開かない。

そうなると判断して持参したお札を入れてチャージ。

それを終えた直後に電車が到着した。

なんとか間に合った乗車中に撮った携帯電話画像を見た。

大きくなるから老眼鏡をかけなくとも読める注意書き文字に「当駐車場は駐車料金前払い制となっています。ご利用者は駐車券売機の精算手順に従い駐車券をご購入してください」とあった。

ありゃりゃ、である。

しかも「利用駐車券提示が当方にて確認できない車両および駐車枠外での駐車車両については不正駐車とみなします」に「不正駐車を発見次第、タイヤロック或いはレッカー移動の処置をとります」とある。

こりゃ、いかんであるが、電車に乗ってしまってからはどうしようもない。

その説明板には緊急連絡先の電話番号があった。

こうなりゃ焦ってもしかたがない。

降車駅の天王寺駅に着いて直ちに電話をしてこれこれかくかくしかじかを伝える。

直ちにはできないが、戻る予定時間を伝え、そして直ちに駐車料金を支払います、と伝えたら、事情がわかった担当者は、戻ったときにその処理をしてください、と返事をもらった。

併せて、今後の利用の際には、前払い発券を車内に貼って提示してください、と云われた。

ごもっともであります、と頭を下げた。

こうしたやり取りがあってようやく着いた天王寺駅。

人、人、人でごったがえしていた。

駅前の信号を渡れば右手に天王寺駅前商店街。

その店前にずらりと並ぶ露店売り。

「写真禁ず」の掲示をしている露天商もある。

いやなことがあったのだ、と推察する

行けども、行けども露店売りの行列はなくならない。

今日は特別な日なのだろうか。

人だかりがある賑わいの通路はどこまで続いているのだろうか。

『JR天王寺駅北地区の活性化まちづくり調査検討』によれば、地区を取り巻く状況に「四天王寺への参道としての賑わいが見られる。天王寺駅前商店街は、四天王寺への参道として、四天王寺における行事にあわせ、沿道の商店や露店が賑わっている。 また、周辺には、料亭や旅館などの趣のある建物が立地している。・・中略・・・道路幅員が狭いところが多い。地区内の道路については、私道であり、幅員が狭小なため、接する建物の建替え等が進んでいない・・・云々」とあった。

平成26年3月に報告された概要版のPDF報告書である。

駅近くから北へ300mほども続く歩道幅1/3程度を占領する。

通行する人の邪魔にならない程度の露店売り。

好きな人なら1軒ずつ顔を見せるだろうと思えるほどの多種多様の露天商売りである。

そこからさらに300mを北上する。

露天商はぐっと減った上に私道も広いからゆったり歩ける。

信号向こうに2台の消防車が停まっていた。

車庫入れの様相であるが、その右向こうに見える伽藍屋根は金堂。

現在工事中の範囲はここよりは伺えないが、右手巨木の影になって僅かに五重塔が見える。



さて、四天王寺の正門である。

参拝者はとても多い。

この日は一体なにがあるのだろうか。

午後一に始まる聖霊会舞楽大法要の参列者でもなさそうだ。

鎌倉時代の永仁二年(1294)に建之の石鳥居を潜ったところに「4月22日は聖霊会の開催のために六時堂での回向・納骨などの受付は阿弥陀堂」を案内していた。



また、右の立て看板には「十三詣り」の案内もある。

先だって、大阪・住之江安立でも「十三まいり」の石標を見た。

安立はここ四天王寺より遠く離れた地。

関係性はないと思われるが・・・。

探してみれば「十三まいりのお寺」として、大阪十三仏霊場第十三番の大阪天王寺区・夕陽丘町にある曹洞宗寺院の大平寺がある。

ネットをぐぐってみれば、「おおさか十三仏霊場一覧」があった。

それによれば、ここ四天王寺も大平寺も霊場になっていた。

なるほど、である。

ちなみに四天王寺の立て看板にあった解説は「数え年で十三歳という年齢の善男善女は、生まれた年の干支が初めて廻ってくるということでもあります」とある。

「・・ことでもある」ということは、他にも例えがあるということだろうか。

続けて「命を授け、育ててくれた親に感謝し、これから先の人生において、福徳と智慧と健康を授かるようにと、親子一緒に仏さまに厄除けと開運の祈願をするものです」とあった。

その関係とおおさか十三仏霊場一覧が示す1番から13番は、初七日忌を1番に二七日忌、三七日忌、四七日忌、五七日忌、六七日忌、七七日忌(四十九日)、百ケ日忌、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、三十三回忌。

これで結願というわけだが、親子一緒に13仏を安置する寺院に参るのと数え年十三歳とどういう関係性があるのだろうか。

ふと、疑問に思った。



極楽門の呼び名もある西大門辺りから大賑わい。

数々の露天商だけでなく、骨董の商いもある。

毎月の22日は聖徳太子の命日にあたる縁日。



アンティークなものもあれば日常雑貨に衣服類も。

大門辺りにはたこ焼きもある屋台店もある。

ちなみに22日はで「太子会」で、前日の21日が「大師会」。

弘法大師の命日にあたる縁日。

両日とも開催されている四天王寺骨董市のにぎわい日だった。

さて、聖霊会舞楽大法要が営まれる主な場はどこになるのだろうか。

聖霊会を特別拝見できる人は関係者のみ。

一般の人は亀の池を囲むように見ることになるだろう。

大きな飾り物を立てている場は重要文化財に指定されている石舞台。

橋のような場で披露されるようだ。



ひと際大きい球体はとても鮮やかな紅い色。

どうしても惹く深紅の色。

巨大な球体飾り物は天上に咲く仏花の曼珠沙華を表現しているそうだ。

その曼珠沙華の周りをぶらぶらと跳ぶ何かがある。

よく見れば燕の形。

では、球体の中心に赤く染めた太い棒や四方に拡がり竿は何を示しているのだろうか。

六時堂の反対側に移動したら茅の輪のような構造物がある。

この日の会式に登場したか、存知しない。

聖霊会舞楽はすべてを拝見しなかった。

気温が30度にもなるカンカン照りの状況に身体がもたない。

本来なら午後5時まで延々と演じられる舞楽に、私は全うできなかった。

六時堂裏側の影に身を休めて帰路につく。



縁日に訪れる商主とやり取りしていたお客さんもいた。

旧西吉野村からは採れたてもぎたてのミカン類を売っていた。

試食をいただいて身体は少しマシになる。



そこよりすぐ近くに無料休憩所があった。

ドアを開けたら高齢の人たちの休ん場。

ありがたいことに空調が入っていた。

そこでも一休み。

ようやく戻ってきた体力。

いつもと違う体験に疲れたのかもしれない。

(H30. 4.22 SB932SH撮影)