読売新聞12月18日(日)の編集手帳の記事から引用してみよう。
「雪が降ってきた/鉛筆の字が濃くなった」。 作家の井上靖は、どこかの少年が書いたという短い詩を雑誌で読み、深く感じ入ったという。「雪」と題する自身の散文詩に少年の詩を引き、書いている。「雪が降ってくると、私はいつもこの詩のことを思い出す。ああ、今、小学校の教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と」とある。
この少年の詩を想像力で書けるだろうか。井上靖すら感銘を受けている。少年は実際の場面で感じたことを詩にした。実際の場面でもこのように書くのは、かなり高い感性が必要ではないだろうか。暖房も窓もなく雪が吹き込んでくる寒い教室で、机に向かって詩を書く少年。綿入れのちゃんちゃんこを着て、寒さで顔は赤くなっていて少年の汚れのない澄んだ目が紙面を見つめる。息を手にふうふうと吐きかけて書いている様子が、遠い昔の風景として想像できる。
そんな情景に私は心を打たれる。人の資質は持って生まれたものでもある。しかし、高い頂を目指す気持ちは捨てないでいたい。
「雪が降ってきた/鉛筆の字が濃くなった」。 作家の井上靖は、どこかの少年が書いたという短い詩を雑誌で読み、深く感じ入ったという。「雪」と題する自身の散文詩に少年の詩を引き、書いている。「雪が降ってくると、私はいつもこの詩のことを思い出す。ああ、今、小学校の教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と」とある。
この少年の詩を想像力で書けるだろうか。井上靖すら感銘を受けている。少年は実際の場面で感じたことを詩にした。実際の場面でもこのように書くのは、かなり高い感性が必要ではないだろうか。暖房も窓もなく雪が吹き込んでくる寒い教室で、机に向かって詩を書く少年。綿入れのちゃんちゃんこを着て、寒さで顔は赤くなっていて少年の汚れのない澄んだ目が紙面を見つめる。息を手にふうふうと吐きかけて書いている様子が、遠い昔の風景として想像できる。
そんな情景に私は心を打たれる。人の資質は持って生まれたものでもある。しかし、高い頂を目指す気持ちは捨てないでいたい。