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映画 「ビューティフル・マインド」(01年)

2005-05-20 16:07:35 | 映画
 「私は数(かず)を信じます。理を導く方程式や理論、一生をそれに捧げて、いま問うのは“理論とは何か”。“理”の定義は?答えを追って私は理学的また哲学的世界を旅し、幻覚にも迷い、戻りました。そして、ついに学んだのです。人生で一番重要なことを。謎に満ちた愛の方程式の中に“理”は存在するのです。今夜、私があるのは君のおかげだ。君がいて私がある。ありがとう」妻に感謝の言葉を述べるジョン・ナッシュ。

 1994年ノーベル経済学賞受賞スピーチである。感動的な場面だった。この映画は夫婦愛を描き、しかも映画に不可欠なエンタテイメント性もあって飽きないつくりになっている。

 実際のジョン・ナッシュは、30歳で統合失調症(精神分裂病)を発病、苦しみながら25年後回復する。その影に妻のアリシアがある。天才といわれ本人も自認していて、まるで前戯なしのセックスのように思いやりに欠けるところがあって、敵も多かったとか。映画ではバーで女性に横っ面を張り飛ばされるシーンがあった。

 監督のロン・ハワードによれば、この映画を見て街で独り言を言っている人がいたら、ナッシュと同じように幻覚を見ていて、その人にとっては現実そのものだと理解してくれればという。そんな人に出会ったら、話しかけてみようかと思っているが。

 2001年のアカデミー賞に主演男優賞ノミネートのラッセル・クロウ、同助演女優賞受賞のジェニファー・コネリー、監督賞ロン・ハワード、脚色賞アキヴァ・ゴールズマンが栄冠に輝いている。主演の二人のほか脇役にも演技力の確かな俳優を揃えたという。

 映画作りは、本当に大変な作業のようで、冒頭のプリンストン大学のシーンでは、相当な寒さの中、木にはコンピューター・グラフィックスで葉を茂らせ、俳優にはセリフを言うとき息が白く出ないようにという注文もつけられたと、解説で脚本のアキヴァ・ゴールズマンが言っていた。観客から見てなんでもないシーンほど俳優にとって難しいシーンだという。そういう点を見つめるのも映画の一つの見方かもしれない。

 ジョン・トラボルタは「演技とは人間性を表現するものであり、自分とはまるで関わりのない他人の人生の一部になることだ」ラッセル・クロウもジェニファー・コネリーも同様の意味合いのことを言っている。そして演技で証明して見せた。

 ここでラッセル・クロウの裏話を解説から引用しよう。ラッセル・クロウはジョン・ナッシュの声は聞いたが、映像は一切見なかったそうだ。映像を見るとナッシュの物まねになるのを恐れたからだという。自我が強く自信を感じさせるエピソードだ。