著者は弁護士として民事と刑事の面で多くの裁判にかかわった経験を持ち、この作品は初めて上梓したにも拘らず2002年度のMWA(アメリカ探偵作家クラブ)の最優秀処女長編賞を受賞した。
スキの無いプロット、意外性と緊張感、決して高潔といえない主人公ではあるが、人並みの悩みや過去の忌まわしい記憶が影を落とし物語に厚みを加えている。覗き趣味を持つ投資銀行勤務のマーティー・カリッシュは、ある木曜の夜外科医デリック・レナードの妻が演じるいつものショーを待っていた。企業のCEO,医師、弁護士、元州知事などが住む郊外住宅地に建つ瀟洒な屋敷でレイチェル・レナードは、絹のネグリジェに包まれた体を両手でさすり、鏡の中の自分を見つめ、音楽にあわせて体を揺するショー。
しかし、今夜は違っていた。夫のデリックに殴打されているレイチェルを目撃する。テラスの窓を破ってデリックともみ合い、その死体を運び出して埋める。捜査が進みカリッシュは殺人罪で起訴される。弁護側の法廷戦術に目新しさを感じる。少なくとも私の読んだミステリーの範囲内では初めてだ。映画などで刑事が逮捕の前に容疑者に対しミランダ準則、黙秘権や弁護士の立会いを求める権利について説明する場面を見ることがある。このミランダ準則をめぐって法廷は熱くなる。
そのミランダ準則の説明を引用すると“ある人間が容疑者として「勾留」された場合、黙秘する権利や弁護士の立会いをもとめる権利について、「尋問」される前に説明を受けなければならない。容疑者が「尋問」されるということは、答えた場合、自らを有罪に導きかねない質問を受けることである。戸外は晴天だろうかと警官に訊かれても、尋問されたことにはならない。ミランダ準則は適用されない。女の亭主を殺したのは君かと訊かれたら、それは尋問されたことになる。したがって弁護士は、刑事がカリッシュのことを殺人事件の容疑者視していた旨、人々に納得させようとするだろう。カリッシュを容疑者として指し示す、すべての理由を列挙するだろう。もしもカリッシュが合理的な容疑者になれば、カリッシュに対する刑事の質問は、有罪に導く返答を引き出すためのものだったことが、より明確になるからだ。言葉を変えると、カリッシュの弁護士が能力のすべてを動員して試みるのは、取調室で刑事の目に映ったカリッシュがいかにも怪しかったと、人々に思わせることなのだ。一方、カリッシュを逮捕した刑事がやろうとしているのは、突然の告白で驚かされた瞬間まで、自分はカリッシュを守護聖人視していたとの印象を与えることだ。これがアメリカの司法制度の姿である”
よく言われることであるが、検察は証拠を集めて完璧に犯人であることを立証しなくてはならない。しかし、被告側は陪審員に合理的な疑いを抱かせればいい立場である。法廷ではこれらをめぐって熾烈な争いが演じられる。この物語も意外などんでん返しが待っていて、スコット・トゥローやジョン・グリシャムに肩を並べる日が来るような期待を持たせる。
著者はノースウェスタン法科大学卒業後、シカゴの法律事務所のパートナーとなり、主に商法関係の訴訟と行政法を専門としている。読んで損のないリーガル・サスペンスである。
スキの無いプロット、意外性と緊張感、決して高潔といえない主人公ではあるが、人並みの悩みや過去の忌まわしい記憶が影を落とし物語に厚みを加えている。覗き趣味を持つ投資銀行勤務のマーティー・カリッシュは、ある木曜の夜外科医デリック・レナードの妻が演じるいつものショーを待っていた。企業のCEO,医師、弁護士、元州知事などが住む郊外住宅地に建つ瀟洒な屋敷でレイチェル・レナードは、絹のネグリジェに包まれた体を両手でさすり、鏡の中の自分を見つめ、音楽にあわせて体を揺するショー。
しかし、今夜は違っていた。夫のデリックに殴打されているレイチェルを目撃する。テラスの窓を破ってデリックともみ合い、その死体を運び出して埋める。捜査が進みカリッシュは殺人罪で起訴される。弁護側の法廷戦術に目新しさを感じる。少なくとも私の読んだミステリーの範囲内では初めてだ。映画などで刑事が逮捕の前に容疑者に対しミランダ準則、黙秘権や弁護士の立会いを求める権利について説明する場面を見ることがある。このミランダ準則をめぐって法廷は熱くなる。
そのミランダ準則の説明を引用すると“ある人間が容疑者として「勾留」された場合、黙秘する権利や弁護士の立会いをもとめる権利について、「尋問」される前に説明を受けなければならない。容疑者が「尋問」されるということは、答えた場合、自らを有罪に導きかねない質問を受けることである。戸外は晴天だろうかと警官に訊かれても、尋問されたことにはならない。ミランダ準則は適用されない。女の亭主を殺したのは君かと訊かれたら、それは尋問されたことになる。したがって弁護士は、刑事がカリッシュのことを殺人事件の容疑者視していた旨、人々に納得させようとするだろう。カリッシュを容疑者として指し示す、すべての理由を列挙するだろう。もしもカリッシュが合理的な容疑者になれば、カリッシュに対する刑事の質問は、有罪に導く返答を引き出すためのものだったことが、より明確になるからだ。言葉を変えると、カリッシュの弁護士が能力のすべてを動員して試みるのは、取調室で刑事の目に映ったカリッシュがいかにも怪しかったと、人々に思わせることなのだ。一方、カリッシュを逮捕した刑事がやろうとしているのは、突然の告白で驚かされた瞬間まで、自分はカリッシュを守護聖人視していたとの印象を与えることだ。これがアメリカの司法制度の姿である”
よく言われることであるが、検察は証拠を集めて完璧に犯人であることを立証しなくてはならない。しかし、被告側は陪審員に合理的な疑いを抱かせればいい立場である。法廷ではこれらをめぐって熾烈な争いが演じられる。この物語も意外などんでん返しが待っていて、スコット・トゥローやジョン・グリシャムに肩を並べる日が来るような期待を持たせる。
著者はノースウェスタン法科大学卒業後、シカゴの法律事務所のパートナーとなり、主に商法関係の訴訟と行政法を専門としている。読んで損のないリーガル・サスペンスである。