ペリー来航から明治にかけて一貫して通訳を生業とした堀達之助の生涯が描かれる。小説というよりも歴史書を読んでいるようだ。かねがね疑問に思っていたのが、ベリー来航時の交渉で言葉の問題をどのようにしていたのか? ということだ。通訳という存在は予測できるが、では一体どのようにして英語の習得が行われたのか? この本でそのあたりがつまびらかになる。
もともと、堀達之助は、長崎の出で代々通訳の家柄だった。長崎といえば、出島のオランダ商館となり、まずオランダ語を習得、英語の読み書きもできるようになる。ただ、英会話となるとまったくだめだった。
何しろ、辞書そのものがオランダ人の作ったもので、アメリカ人の発音とはまったく違っていた。例えば、夏summerは、ソムムル。砂糖sugarは、シュガル。頭headは、ヘート。飲むdrinkは、デイリンキ。軍(いくさ)warは、ワルとなって、これでは通じるはずもない。
しかし、当時はアメリカの捕鯨船が太平洋で操業していて難破船の乗組員が日本に流れ着いてそれらは長崎にすべて送られていた。その乗組員から、直接会話を習った日本人もいた。
堀達之助の場合は、ペリー艦隊に乗り組んでいたオランダ人の通訳とオランダ語でのやり取りとなった。したがって言葉の問題は、何とか問題なく処理できていた。問題なのは、幕府のお役人たちだ。何しろ日本人は何事にも控えめがよしとされたいたから、外交交渉が下手で鎖国政策が打ち破られることになる。よかったのか悪かったのか、これも世界の潮流だから仕方がなかったのかもしれない。
そういう視点で見ると、いまのTPPもよく似た状態にも思えてくる。それにしても現代の日本人も外交下手という点で、幕末のころとあまり変わっていないなあ、とつくづく思ってしまう。
それにしても、堀達之助の生涯で妻運というか女運というか、その辺が恵まれていなかった。つまり、結婚して4児をもうけたが妻29歳で亡くし、達之助47歳のとき34歳の美也を妻に迎える。しかし、美也37歳のとき肺炎で他界。その後独身を続けた達之助は、次男孝之に引き取られ72歳でこの世を去った。