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今の理研に求められても就職はしたくない。欠けているものが気になる。

2014-05-14 21:26:11 | 社会

 京都にある金閣寺が放火炎上したのは、昭和25年(1950年)7月2日午前3時だった。犯人は金閣寺徒弟の林養賢(はやし ようけん)だった。

 この事件を題材に二人の作家が作品を書いていて、それを比較検討し楽しんでエッセイにまとめた本、酒井順子著「金閣寺の燃やし方」を今読んでいる。
 ちなみに二人の作家とは、三島由紀夫と水上勉のこと。今はこの二人の作家は重要ではない。

 林養賢が逮捕された後の世間の反応、知事や市長、警察関係や文化関係。文化財として惜しいとか、観光資源が喪失してその影響が心配とか、早く再建しろとか、犯人は精神異常とか要するに目先のことに集中している。

 ところがこれも京都で有名な清水寺の住職は、「まず第一に同じ寺を預かるものとして、また犯人が仏徒であることに共同責任を感じ、ただただ恐縮している次第だが放火の原因が何であるかは知らぬが国の宝を焼いたことは全く非常識極まるものでおそらく常人ではないだろう。

 戦後社会の乱れから人心も退廃し、これを救済する責任を持つ宗教家、一般仏徒が社会を覚醒させずかえって気の抜けた状態にあることが、こういう事件を生む一つの原因でもあると思う。

 これは単に一犯人の罪を追及してすむものではなくわれわれ仏徒が真に自覚してまず自らを清めなければならない。余りにも大きな事件であり、宗教家として反省するだけで今は批判する資格を持たない」

 この言葉から著者は言う。「仏教および仏教が導くべき社会を事件の背景に見ているのです。コメントを述べた人々の中で、事件を最も自分に近いものとして感じていたのは清水寺住職でしょう。
 しかし全体で見れば清水寺住職のような意見は少数派でした。自分たち正常な人間にとって非常に不運なことに異常な人が金閣に火をつけてしまった。というとらえ方で事件は理解されようとしていたのです」

 このくだりを読んでいるとき、ふと小保方さんに対する理研の態度を思い浮かべた。この清水寺住職のように心の広い情のある対応ではなかったと記憶する。

 そこで3月15日読売新聞の理研の謝罪記者会見をあらためて読んでみた。 『「科学社会の信頼を揺るがしかねない事態。多くの皆さんにご心配やご迷惑をおかけし、おわびします」会見の冒頭、ノーベル化学賞の受賞者でもある理研の野依良治理事長は深々と頭を下げた。
 小保方リーダーは研究を続ける資格があるのかと問われると、「未熟な研究者が膨大なデータを集積し、取り扱いが極めてずさんだった。大変ゆゆしき問題で、あってはならないことだ」と厳しい表情で語った。
 14日の会見でも、300人の報道陣から不正の有無や理研の責任を問う声が相次いだが、調査委員会の石井俊輔委員長らは「最終報告で判断する」と繰り返すばかり。「データ解析に時間がかかる」と語り、最終判断の時期を示さなかった』

 共同責任には触れないし仲間だった研究者を未熟者と突き放すし、やっぱり上から目線で「あんな小娘に理研の信用を落とさせられるか!」と息巻いているようだ。知能指数の高い人たちにしては、情のないなさけない会見だったとあらためて思う。

 こういう組織の中で、果たしてのびのびと研究を続け、世界的な結果が得られるかはなはだ疑問。情とは、思いやりだから、情のない理研にわたしは就職したくない(笑)