「半年後にここ9番線ホームで午後6時に……」と言って別れたジェシー(イーサン・ホーク)とセリーヌ(ジュリー・デルビー)その後は一体どうなったのだろうか。9年後の再会となると何か訳がありそうだし、アメリカとフランスに分かれている遠距離恋愛の難しさか。年齢も20代から30代に入り仕事も円熟の境地に入る頃だ。
ジェシーは、作家となってヨーロッパの書店に出かけサイン会を精力的にこなし、最終日はパリで読者からいろいろな質問を受けていた。
「列車で会ったフランス女性は実在しますか?」
「そのことは大して重要じゃありません」
「つまりイエス?」
「ここはフランスなので“イエス”ということに……」
そこでふと横を向いた。向いたその先に書棚を背にした紛れもないセリーヌが立っていた。
店主が「著者は、今から空港に向かいます。質問の受付はこれで終わります。シャンパンなども用意してありますのでご自由にどうぞ」
外で待っていたセリーヌに「やあ、元気?」これは万国共通でこれしか言いようがない。熱い抱擁もキスもない。9年間という歳月は二人に心をリセットする効果があるようだ。
セリーヌは真っ先に聞いた。「12月にウィーンに行った?」あれこれと言葉のやり取りがあったが、結局ジェシーは行ったが、セリーヌは祖母の葬式で行けなかったということ。
これなんか1作目で住所も電話番号の交換もしないで別れていたから9年間という無駄な歳月が流れた。それで気になっていたことがある。1作目のラスト・シーン。 半年後の再会を約束してセリーヌは列車に乗り込む。そして振り返りもせず座席に向かう。ジェシーはすごすごと構内を出て行く。これなんか欧米人気質で当たり前のことなんだろうか。あれほど別れを惜しんでむさぼるようなキスをしていたのに。あるいは半年後の暗示なのか。いまだに気になる。
今回は観覧車もないしキスもない。ジェシーは結婚しているし、セリーヌは報道写真家と同棲中という。しょっちゅう海外へ出かけているから一人が多い。
まあ、二人の会話が重要な要素となっているから、流れの脈絡はたいした問題でもないのかもしれない。というのも2作目のラスト・シーンは、セリーヌのアパートでセリーヌの歌を聞いた後、「空港へ行く時間よ」とセリーヌが言って「分かってる」とジェシーが答えて終わる。
多分、3作目はまったく違う場面から始まるはずだ。しかも今度も9年後だから。セリーヌ役のジュリー・デルビーはかなりの才媛のようで歌ったのは自作のもののはず。CDも出すくらいだから相当なもの。