何事も誤解からは良好な関係は生まれない。大学で法律を学ぶハーパー(タイ・シェリダン)は、継父を憎んでいた。交通事故によって母は意識不明で病院のベッドに寝かされている。継父は1回しか見舞いにも来ない、おまけに女と浮名を流していると思いこんでいるハーパー。
心の中でこの継父を何とかしたいと思っている。それはあるバーカウンターから始まる。一人でウィスキーをちびちびと飲みながら周囲を見渡した。隅っこのテーブでチンピラやくざ風の男が四人、一人が盛んに喋っている。何気なく聴き耳をたてていると、男が気づきカウンターにやって来た。
お決まりの因縁をつけてきた。「おい、そこのお前何見てやがるんだ。盗み聞きは失礼だとママから教わらなかったか?」少々アルコールが入っているハーパーも
「昔はね」
「何だと?」
「母親は具合が悪くておれの素行を見れない」
まあこんなことで相手ジョニー(エモリー・コーエン)と長々と話すことになる。連れの女チェリー(ベル・パウリー)も紹介され、継父の話になって「殺しは2万ドルだ」
翌朝、広い芝生に散水機が勢いよく水を飛ばしている。ハーパーは、シャワーを浴びてリビングの大きな窓から庭を眺める。私のような庶民階級から見れば、こんな大きな屋敷に住んで何が不満なんだ。 と言いたくなる。
呼び鈴が鳴った。玄関ドアから10メートルほど先に頑丈なドアに守られた門がある。ガラスがはめ込まれたドアの先には、ジョニーとチェリーの姿が見える。「べガスへ行こう」とジョニー。
ハーパーはうろたえて「あれは本心じゃないだ。酔った勢いで言ったんだ。忘れてくれ」「そうはいかねえなあ。2万ドルだ」
ハーパーはとんでもないヤツに係わってしまった。この映画の面白いところは、自宅に残るハーパーと、べガスに行くハーパーの両面描写のところ。こういう風に冗談のようなストーリー設定だからスリルもサスペンスもない。これはコメディだ。
自宅に残ったハーパーは、出張前の継父のキャリーケースに包丁を忍ばせた。ハーパーは継父が女と逢うと思いこんでいるから、チェックインカウンターで問題が起これば搭乗拒否にあうのを期待して。
嫌がらせにすぎないが、そうならなかった。継父が気づきハーパーと喧嘩になりその包丁が継父に突き刺さった。
べガスへ向かうコルベットを運転するのはジョニー、助手席にはチェリー、バックシートにハーパー、トランクには継父の死体。ここでハーパーが一つになるが、少々観客を馬鹿にしていやしないかな。ふざけるのも程があると思うのはここのところ。
途中の細かいことはカットしよう。ジョニーは捕まり、ハーパーとチェリーは、チェリーをトランクに入れてメキシコ国境の検問を突破し、落日の海岸でやっと手にした自由のように光を浴びた。
「誰かを殺そうと思った時は、二つの墓がいる。一つは被害者の墓、もう一つは自分の墓だ」とチェリーは呟く。ラストは海岸のシーンで終わる。海辺というのはロマンティくな雰囲気があって、多くの映画に取り入れられている。森林も癒されるが、穏やかな海辺はラヴ・ストーリーには欠かせない。私も茫洋とした大海原に癒されるため、ときどき九十九里に出かける。2016年制作 劇場未公開。
監督
クリストファー・スミス1970年イギリス、イングランド、ブリストル生まれ。
キャスト
タイ・シェルダン1996年11月テキサス生まれ。
ベル・パウリー1992年3月イギリス、ロンドン生まれ。
エモリー・コーエン1990年3月ニューヨーク州ニューヨーク生まれ。