高校から放り出された17歳の少年ホールデン・コールフィールドが、クリスマス前のニューヨークの街をめぐる「ライ麦畑でつかまえて」が出来るまでの、著者ジェローム・デイヴィッド・サリンジャーの物語。
「口語的な文体で社会の欺瞞に対し鬱屈を投げかける内容は時代を超えて若者の共感を呼び、青春小説の古典的名作として世界中で読み継がれている」とウィキペディアにある。この映画の終わりには、「30の言語に翻訳され 累計販売部数6500万以上、現在も毎年25万部が売れ20世紀文学の重要な作品とされている」と字幕が入る。
サリンジャーを演じるのは、イギリス生まれのニコラス・ホルト。サリンジャーの師であり出版社経営のウィット・バーネットをケヴィン・スペイシーが演じる。
大学で創作を教えるバーネットの薫陶を得て力を付けたサリンジャー。処女作は、「若者たち」でバーネットの出版社の雑誌「ストーリー」に掲載され原稿料25ドルだった。これがきっかけとなり1941年に短編集「マディソンアヴェニューのはずれでのささいな抵抗」がザ・ニューヨーカーに掲載が決まる。(しかし、太平洋戦争勃発によって掲載が延期され、実現するのは5年後となる)この作品の中にのちに「ライ麦畑でつかまえて」の主人公になるホールデン・コーフィールドが初めて登場した。
この人物をウィット・バーネットは、口癖のようにホールデンの長編を書けと言う。当時、サリンジャーはノーベル文学賞受賞者で劇作家のユージン・オニールの娘ウーナ・オニールと付き合っていて、兵士として入隊するときウーナは「帰りを待ってるから」と言った。サリンジャーは、ノルマンディー上陸作戦に参加した。ところが戦地で見た新聞にウーナがチャールズ・チャップリンと結婚したことを知る。失意に落ちたがそれ以上に上陸作戦や戦場の悲惨な状況を見てPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症する。
もともとサリンジャーは、外交的で友人の口車に乗せられて女性を口説くのもいとわないという能動的だった。それが人が変わったような様子になった。それを乗り越えられたのが、祈りながらヨガのポーズをすることだった。(禅によるものだったかもしれない)彼はもう一つ悟った。それは夫にもなれず父親にもなれないことだ。従って、離婚したった一人の生活を好んだ。
「ライ麦畑をつかまえて」を最後の出版として、以後執筆はするが出版はしないと編集者に宣言する。彼はなぜ書くのか。「書くのは祈り」だからだと言う。そして、「ライ麦畑でつかまえて 」の主人公ホールデン・コーフィールドは、サリンジャー自身の投影であることを告白している。
また、短編集「ナイン・ストーリーズ」に収録された「コネチカットのひょこひょこおじさん」が1949年サミュエル・ゴールドウィン製作、マーク・ロブスン監督、女優のスーザン・ヘイワード、男優ダナ・アンドリュースで「愚かなりわが心My Foolish Heart」の題名で映画化された。
ところが映画の出来に不満を持ったサリンジャーは激怒したという。その後、作品の映画化は一切拒否したと伝わる。そうはいっても原作と映画は別物。スーザン・ヘイワードの代表作となり、ヴィクター・ヤング作曲の「My Foolish Heart」は、スタンダード・ナンバーとして多くのジャズ・プレイヤーやシンガーが取り上げるという皮肉な現象もある。ジャズ・ピアニストのビル・エヴァンス、歌手のトニー・ベネット、カーメン・マクレー、メル・トーメなど。
1949年のアカデミー賞主演女優賞にスーザン・ヘイワードがノミネートされ、ヴィクター・ヤングが主題歌賞でノミネートされた。そんな浮世のことは我知らずのサリンジャーは、ひたすら書くことを祈りとしてニューハンプシャー州コーニッシュの樹林に囲まれた家で過ごした。2010年、91歳でその生涯を閉じた。映画としてはそれほど印象に残るものではなく、淡々と伝記を読んでいるという感じ。
監督
ダニー・ストロング1974年6月カリフォルニア州生まれ。
キャスト
ニコラス・ホルト1989年12月イギリス、イングランド生まれ。
ケヴィン・スペイシー1959年7月ニュージャージー州サウス・オレンジ生まれ。
ゾーイ・ドゥイッチ1994年11月カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。