先月囲碁の世界トップ棋士に、米グーグル傘下の英グーグル・ディープマインド社の人工知能「アルファ碁」が圧勝したというニュースがあった。圧勝した要因が自ら学ぶ「ディープ・ラーニング(深層学習)」にあるといわれる。
日曜日の新聞に「人工知能 人を超えるか」の特集記事があった。そこには将来、人工知能やロボットがこなせる可能性が高い職業として、受付係、事務職(医療・行政など)、警備員、店員、タクシーやバスの運転手、電車の運転士、 建設作業員、自動車の組立工や塗装工、ホテルの客室係、宅配便の配達員などが列挙してある。
そして2045年ごろには人の知能を超えると予想されている。医療分野やロボットの研究開発が目覚しい躍進を遂げている現状からこの予想は夢ではないだろう。人間が頭の中で考える事柄がすべて実現していることを見れば、夢物語とは到底思えない。
その時代には何か大きな問題を抱え込むのではないだろうか。 ロボットが飛躍的に向上して生身の人間と見分けがつかないくらい精巧なものになるのではないだろうか。声も肌触りも人間と同じ。詳細なプログラミングで微妙な声音も可能となれば、全盛期のマリア・カラスの再来もあり得る。政治家や芸術家をロボット人間が凌駕したら……ちょっと肌寒くなる。
男性・女性のロボットが大量生産される。危険な場所にはロボットの人間が対処、そうでないところは生身の人間というすみ分けがされる。ひょっとして感情までも埋め込むようになれば、すみ分けがされると思うのは生身の人間のほうで、ロボット人間が不満を持つかもしれない。
ISのようなテロ組織の壊滅を果たしたとしても、ハッカーによる手に負えないロボット人間が生まれるかもしれないし、不満を持ったロボット人間が暴れまくることもあるだろう。それにロボット人間にはハンサムと美女しかいない。生身の人間がロボット美女に恋をするかもしれない。ほんとややこしい時代になりそうだ。
春の陽気に誘われて、こんなことを考えた。杞憂に終わればいいが。この辺でマリア・カラスの「アベマリア」を聴いて落ち着きましょう。
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