ル・コルビュシエ(Le Corbusier)は、1965年8月に他界した建築家。フランスで多くの作品を残しているが、1959年、東京の国立西洋美術館の基本設計を担当、「ル・コルビュジエの建築作品ー近代建築運動への顕著な貢献ー」の構成資産として2016年7月17日に世界文化遺産登録された。
アイリーン・グレイ(Eileen Gray)は1976年10月他界した女性。アール・デコ風が特徴で金属パイプを使った家具を製作、その斬新性が人気となったようだ。
この二人がアイリーンが建てたヴィラ「E1027」を巡って折り合わない様子とレズビアンのアイリーンの恋愛が同時に描かれる。
1923年ごろではアイリーン・グレイが有名で、ル・コルビュジエ(ヴァンサン・ぺレース)はまだ青二才だった。アイリーンは複数の女性と恋人関係にあった。その中に歌手のマリサ・ダミア(アラニス・モリセット)もいた。
そんなとき、前衛的建築雑誌「ラクシテクチュール・ヴィヴィント」の編集長をしていた建築家のジャン・バドヴィッチ(フランチェスカ・ジャンナ)から、あなたの記事を書きたいという申し入れを受けた。
ジャンが建築家と名乗ったために、アイリーンは建築の手ほどきを願いその見返りに記事の掲載を承諾した。
ある日、こんな会話が交わされた。
ジャン「普通の結婚を考えたことは?」
アイリーン「結婚に興味はない」
ジャン「では普通じゃない結婚は?」
アイリーン「その違いは?」
ジャン「つまり、男性との恋愛は?」
アイリーン「私には自由が必要なの。仕事や創造のために」
ジャン「自由か。自由は孤独を生む」ジャンはどうやらアイリーンを口説いているようだ。
別の日、設計図の手ほどき。ついにジャンはアイリーンを手に入れる。ジャン「君の横顔は美しい。キレイだ」その言葉に反応したアイリーンは、ジャンをじっと見つめる。男と女の情感はなるようにしかならない。アイリーンは、初めて男とのキスを経験したのかもしれない。
そして二人の別荘の構想が浮かび、フランス=プロバンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏アルプ=マリティーム県のロクグリュヌ・カップ・マルタンというモナコに近接するリゾート地に建てることが決まる。
ル・コルビュジエが口出しをする。1.ピロティ 2.屋上庭園 3.自由な平面 4.水平連続窓 5.自由な立面という新しい建築の5っつの要点を説いた。(ウィキペディアより)
しかし、アイリーンはル・コルビュジエの「住宅は住むための機械である」という思想を受け入れず、居心地のいい家になった。訪ねてきたル・コルビュジエも機能的で安らぎのある空間に魅了され、感動とともに嫉妬も合わせて持ったと言われている。
この別荘に名前をつけることになった。あれこれと考えて二人の名前をアルファベット順の番号でE=アイリーン、10はジャンのJ、2はバドヴィッチのB、7はグレイのGで「E-1027」と呼ぶようになった。別名「海浜の家」。
小高い丘に位置する白を基調にした洒落た家は、アイリーンの家具ともぴったりの調和があって素晴らしい。その部屋の壁にル・コルビュジエが絵を描いたから複雑な様相を見せる。アイリーンは独白する。「私はル・コルビュジエを心から尊敬している。彼が分かってくれていたら」
一方ル・コルビュジエは「建築家は単なる知識の人間ではない。情に満ちた科学者でありアーティストなのだ。グレイは私が掲げる原則を勝手に修正した。近代建築の5原則という5つの要点に従わなかった」という不満を持っていた。
いずれにしても、ジャンの死、ル・コルビュジエの溺死(溺死の場面はないが「E-1027」の前に広がる海で溺死したと言われる)。そしてアイリーン・グレイの死に至るまで、この三人の終焉を見ることになる。
特にアイリーン・グレイを演じたオーラ・ブラディの魅力には目を見張った。決してすべてが整った美人ではないが、ところどころで見せる表情が魅力的だった。
恋人のマリサ・ダミアが歌う姿を見つめる横顔の視線。海浜の家の前に広がる渚に自作の椅子でくつろぐアイリーン。陽光を受けて眩しいほどの清潔な色気も漂う。白いカーテンと白のシャツという出で立ちのアイリーンは、周囲のすっきりとした雰囲気から神々しくも見える。
こんなセリフがあった。
「君の心の旋律は違っていた」
「あなたの魂を盗む」
これ、何かの時に使えそう。
監督
メアリー・マクガキアン1965年5月イギリス、北アイルランド生まれ。
キャスト
オーラ・ブラディ1961年3月アイルランド、ダブリン生まれ。
ヴァンサン・ぺレース1964年6月スイス、ローザンヌ生まれ。
フランチェスコ・シャンナ1982年3月イタリア、パレルモ生まれ。
アラニス・モリセット1974年6月カナダ、オンタリオ州オタワ生まれ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます