仁 王 門
阿形(あぎょう)仁王像
吽形(うんぎょう)仁王像
このお寺は、天平9年(737年)行基の草創、紀有麻呂(きのありまろ)によって建立され、天平11年(739年)落慶供養が行われたと伝えられる。
延暦元年には一山12坊を数えて隆盛を極め、また延喜5年(905年)栄山師によって観音像が修造された。しかし、約220年後の大治2年(1127年)の兵火により堂塔12坊とも焼失したが、治承2年(1178年)堂宇宝塔再興し、承元3年(1209年)には、宇都宮景房によって本堂が修理され、更に建長7年平時頼によって七堂伽藍が再興されて壮麗を極めた。
正平6年(1351年)には再び兵火にかかる災厄に遭遇したが、約40年後の応永元年(1394年)益子勝直によって堂宇が再建され、明応元年(1492年)には楼門が、天文7年(1538年)には三重塔が益子宮内大輔家宗によって建立された。その後、元禄14年(1701年)には平野亦市発願により本堂の再建が行われ、正徳4年(1714年)には閻魔堂が建立され、享保7年(1722年)には鐘楼が再建されて現況となった。
国指定重要文化財 楼門、三重塔、本堂内厨子(ずし、仏像を安置する、堂の形をした仏具)県指定文化財 本堂、鐘楼ほか。あまり出来が良くないが、西明寺のホームページを見ると、治療院や老人ホームもあった。
駐車場には巡礼のバスなのだろう、一台停まっていた。陽射しは西に傾いて黄昏時の雰囲気に包まれていた。車を発進させたのは、午後5時を回っていた。妻は高速道路で帰ろうと言い張っていたが、肝心のインターにたどり着けずに、どんどん南下して気がついたときには国道4号線の流れに乗っていた。
車はスムーズに流れていて、妻も高速道路をあきらめたようだ。それにしてもいつもは混む国道16号線もスムーズな流れだった。この間の埼玉の札所めぐりのときと同様だった。トラックの少なさが目に付く。どうも深刻な不況の影響のように思える。