日輪寺は、茨城県と福島県の県境に位置する標高1,022㍍の八溝山(はちみぞさん)の八合目にある。ここまでの道のりは、インターネットの地図でルートを選んでみた。その結果は、主要国道を避けて地方道を走ることになった。それはかなり走りやすい道だった。
常陸太田市から地方道29号線を走り33号線に入るが、途中国道461号線と重なって地方道28号線でようやく日輪寺へと導かれる。道路工事のせいで日輪寺へ本来のルートではなく、八溝山への登山ルートの林道に迂回させられた。
林道入口(登山道にもなっている。歩くとかなり時間がかかる)
林道といっても、かつての未舗装で轍がくっきりというわけではない。舗装はされて道幅が狭いだけのことだ。林道は意外に走りやすい。みんなが慎重になり集中しているせいだろう。ガードレールもない道となれば、誰でも命は惜しい。出会い頭の衝突なんて、街中の交差点ぐらいのものだ。山はまだ冬枯れの色合いが濃い。
さて、この日輪寺、写真で見るように古色蒼然としたお寺のイメージとはかなり違っている。寺の由来を見てもその辺の記述はない。
由来の案内板によれば、1300年前に開山され(役行者が開いたと伝えられる)、大同三年弘法大師(空海)が十一面観音像を刻み本尊とした。室町時代(1336年~1573年)以降興隆し、江戸時代(1603年~1867年)には、江戸幕府から朱印状を与えられた。
明治13年(1880年)山火事により堂塔を焼失したが観音像などは難を逃れ、大正4年(1915年)4月観音堂跡に再建された。これらの由来については、ウィキペディアと日輪寺の掲示板を参考に記した。
なお、このお寺に5~6歳のガキがいて、私たちが駐車場に着いたとき「ここだよ。ここだよ」と囀っていた。意味がよく分からず駐車場の真ん中の案内板を見てみると日輪寺の印がない。ちょうど階段から降りてきた人に聞くと、階段の奥を指差して「ここです」と言った。その人は作務衣のようなものを着ていたので、おそらく住職だろう。
ガキが私たちを誘導していたのだ。「ここを拝んで! お賽銭を入れて!」なんてほざくガキに妻がつかまってしまった。そんなガキを振り払って、本堂で参拝した。もちろんお賽銭とともに。
本堂では四人の参拝者が読経していた。林道には富士山も見えるという展望台もあるが、この日は春霞に覆われていて見えなかった。