午前四時、橋のたもとの未舗装の道路を少し入ったところに、四駆のフォード・エクスプローラが停まっていた。パトカーも二台停まり、回転灯の青い光がエクスプローラーの屋根に残った雨粒に反射していた。
一台のパトカーは、エクスプローラーと直角に停められ、ヘッドライトで照らしていた。運転席側の窓ガラスは、粉々に砕け男がぐったりと窓枠に寄りかかって眠っているように見えたが、飛散したおびただしい血がそうでないことを示していた。死んでいたのは、ギャレット・アスプルンドだった。
ギャレット・アスプルンドは、サンディエゴ市警職業規範課の元刑事で、現在はサンディエゴ市倫理局捜査課の捜査官だった。この倫理局は、政治家や市職員や取引業者が私利のために法を破るのを阻止する目的で設立され、捜査課の職務は市職員を監視することにある。したがって対象が広範囲に及びギャレットの敵も多かった。
それらを踏まえて捜査するのは、サンディエゴ市警殺人課刑事ロビー・ブラウンローと美人のパートナー、マッケンジー刑事だった。そのロビーには、誰にも体験できない忌まわしい過去がある。肌寒い三月の午後、ダウンタウンにある〈ラスパルマス・ホテル〉六階から火が出とき、ロビーは向かいのレストランで昼食をとろうとしていた。
ターキーバーガーを一口かじっただけで、逃げ遅れた人たちの救助に走った。煙が充満した六階の部屋から男の悲鳴が聞こえた。ドアをけり開けて中に入ると、男は窓枠から振り向いた。その目には狂気が宿っていた。大男だった。男はロビーに突進してきて、窓から放り投げた。落下の途中いろいろな思いが去来したが、それまでしがみついていたものすべてを手放した。
そのとたん、ものごとがはっきり見え、理解できたような気がした。これが本当に開放されたといえるのかも知れない。死の直前、人はどんな思いを抱くのだろうか。誰も真実を語ってくれない。あるのは、想像力で語るしかない。死を受け入れた瞬間、神がそれを拒んだかのように、ホテルの色あせた赤い日よけに激突し、舗道に叩きつけられた。
三年前に起きたこの出来事が、ロビーに共感覚を植えつけた。共感覚とは、一つの感覚がほかの領域の感覚をも引き起こす現象のことで、ロビーの場合、人と話しているときに相手の声が色つきの形となって見えることがある。たとえば幸せそうな人間の声の色は、青い三角。赤い四角は、信用できない人間。緑は嫉妬深い人間というわけ。これが捜査に非常に役立っているのかというと確信を持って言える段階ではないようだ。捜査はお決まりの段階を踏んで進められる。
最近、私はミステリーにあまり興味を覚えなくなった。殺人事件や強盗事件にしても、この世で起こるものは書きつくされている。いったいどうやって新味を出すか。この本の共感覚もその類ではあるが、それが中心となっているわけでもない。 やはり、男女の愛憎や肉親の情を描かざるを得ない。そうしたところで最終的には、作家の文章力が読者をひきつけるのは間違いない。この本の結末も平凡だったし、T・ジェファーソン・パーカーの文章力(翻訳本だから翻訳力もあわせて)で読ませている。
この本では、本筋の犯人さがしとともにサイド・ストーリーとして、ロビーは妻ジーナの不可解な感情に悩まされる。ある日、そのジーナが探さないでとのメモを残して家をでる。ロビーは何かの拍子にジーナを思い出すという苦悶が克明に描かれる。
ジーナの父親から聞いたラスベガスのアパートメントを訪れたとき、「ここへ来たのは人生をやり直すためよ。もっと何かあると思うの。存在するのはわかっている何か。確かに存在するけれど、わたしには理解できなくて言葉では言い表せない何か。わたしはもうあなたを愛していない」これがジーナの言葉だった。
ロビーは決断する。落下で味わった開放を今一度実行すべきだと。ロビーも人生をやり直そうとする。「私にはきみを引き止めることはできない。きみが必要としているものを与えることもできない。それが何なのかもわからない。さよなら、ジーナ」
ロビーは同じ共感覚者の女性シンガー・ソング・ライター リリアン・スミスと、新しい人生を歩みだす気配を見せながら物語は終わる。わたしは本筋の犯人を追うストーリーよりも、このサイド・ストーリーに強い印象を受けた。
著者は、ロサンジェルス生まれ。カリフォルニア大学アーヴァン校で英文学を専攻する。1976年に卒業後、新聞記者となり、オレンジ郡記者クラブから三度表彰された。記者生活を送るかたわら小説の執筆を始め、1985年に処女作を発表。その後、第9作の『サイレント・ジョー』(2001年)でアメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞最優秀長篇賞を獲得した。さらに『ブラック・ウォーター』(2002年)、『コールド・ロード』(2003年)と話題作を発表し続け、『カリフォルニア・ガール』(2004年)で再びMWA賞最優秀長篇賞を受賞した。