“好色‘というのはいつも目を惹くもので、角川の新聞広告だったか、井原西鶴のこのタイトルが目に留まった。図書館で借り出したのは、吉行淳之助、丹羽文雄訳の河出文庫版だった。
内容は、“好色五人女”“好色一代女”それに“西鶴置土産”という構成。解題によれば、“掟と道徳の支配下にある一般社会の愛欲を、女性を主人公として描いたもので、自由な姿勢でテーマを追求している”という好色五人女は、「お夏清十郎物語」「樽屋おせん物語」「暦屋おさん物語」「八百屋お七物語」「おまん源五兵衛物語」で、主人公となるのはいずれも絶世の美女で若くてお色気も申し分がない。
で、いい女とはどんな女かというと“頸(くび)すじがほっそりと長く、目がぱっちりして、額の生え際は化粧しないでも美しく、下の小袖は白絹(しらぎぬ)の裾まわし、中に浅黄色の裾まわし、上に樺色(かばいろ)の裾まわしでそれに日本画を描かせて、左の袖に兼好法師の面影、ひとり燈(ともしび)のもとに古き文など見て……、の条(くだり)を絵にしているとは、勿体ぶった趣向である。
帯は市松模様を織り出したビロウドで、御所染めの被衣(かつぎ)をかぶり、薄紫の絹足袋。三色の紐で編んだ鼻緒の雪駄(せった)をはいて音も立てずに歩いてゆく恰好のよい腰つき”という色っぽい女の一例。
顔は現代でも通用するが、衣装については、理解の及ばないところが多い。これは辞書を引きながら読むしかない。小袖(袖の小さな普段着)、裾まわし(腰のあたりから下につける裏布)、御所染め(寛永(1624~1644年)の頃、女院の御所で好んで染められ官女などに贈った染物。これを模したものが各地で流行したという)これだけでは配色などは分からない。被衣(かつぎと読み、頭にかぶること)というがこれもイメージが湧かない。それにしても、薄紫の絹の足袋などなかなか粋でお洒落ではないか。そんな見事な衣装に身を包む女の素肌は? と、つい思ってしまうが、西鶴は詳しくリアルにはしていない。古い掟と道徳の下では、この表現が精一杯だったのだろう。
次いで「好色一代女」は、遊女の男遍歴を語るというもの。親からの遺産や築き上げた財を色事の道にのめり込んで没落する様が悲しい。男は女の手練手管にかかれば、蜘蛛の巣に囚われた蝶々のように手も足も出ない。
じゃあ女はいつも安泰かというと、実はそうでもない。情欲の強い年増女が、策を弄しすぎて男が没落すれば女の運命も下り坂となる。この時代、食糧事情は今と比べて劣悪のはずだが、情欲のほうはお盛んだった。
夜ともなれば薄暗い油の明かり(ろうそくはぜいたく品)ではすることがない。出来ることといえば、アレしかない。皆さん熱心に励んだことだろう。それにしても人生50年ほどの時代、40代後半には性欲も衰えたのだろうか。強壮剤を飲んでいたようだが。効いていたのかは不明。
とは言っても70歳まで生きる人もいる。元遊女がこの老人の家に下女と妾の二役をするという約束をして住み込んだ。足元のおぼつかない老人だから寝床で足をさするくらいと思っていたが、猛烈に元気な股間の一物に女の寂しさを紛らわせてくれるどころか、一晩中攻められ二十日も経たないうちに疲労困憊しせめて死なないうちにとお暇をもらったという小話もある。
では現代人は精力絶倫かといえば、答えはノーだ。過度のストレス(毎日の通勤の満員電車は、かなりのストレスだ。それに仕事の重荷、あるいは家庭の悩みなど)に加え、栄養の過剰摂取で成人病が蔓延、飲む薬の副作用が男性機能不全に拍車をかけている。元禄の世も現代も変わらぬ悩みなのだろう。あっ、そうそう春画がこの時代、結構劣情に刺激を与えていたようだ。浮世絵師も金儲けに余念がなかったのかもしれない。
なお、「西鶴置土産」は、西鶴の遺稿で傑作の評が高い。さて、文体から受ける印象は、簡潔な表現と独特の比ゆに面白味を味わう。少し引用してみると、“松の風さえ枝を鳴らさない、太平の御代(みよ)、長年、江戸詰めであったある大名の奥方がご逝去になった。
家中の者は、世継ぎの若殿がないのを心配して、みめ美しく家筋正しい女を四十人あまり、お局(つぼね)の才覚で、殿様のご機嫌のよい時を見計らい、お寝間のお伽(とぎ)にさし出してみた。みないずれも初桜、花のつぼみ、一雨ぬれたほころび、盛りをみせよう面影の美しさ、眺めに飽きるはずもない。けれども、このうち一人として、殿様のお気に召さず、家中の心配は、ひととおりではない……”とまあこんな具合で、丹羽文雄の名訳もあろうが風雅の趣に余裕を感じる。
井原西鶴は、寛永19年~元禄6年(1642年~1693年)8月51歳で病没。江戸前期の俳諧師、浮世草子作者。本名、平山藤五。大坂の町人の家に生まれる。10代から俳諧の世界で活躍。41歳で発表した浮世草子の処女作『好色一代男』が大変な話題を呼び、人気作者となる。『好色五人女』『男色大鑑』『世間胸算用』など数多くの著作がいまも親しまれている。