まんがの「トキワ荘物語」は、COMに1969年10月号の 水野 英子氏から1970年9月号の最終話 手塚 治虫氏まで、11回の読みきり連載で掲載されたものです。
「トキワ荘物語」の連載されていた11ヶ月分のCOM 5・6月号は合併号
10月号は水野氏、下の11月号には寺田ヒロオ氏が執筆しています。表紙はこの頃 フリーランスになった前後の和田 誠氏が描いています。
記事アップした最初、表紙を やなせたかし氏 と間違えておりました。お詫びして訂正させていただきます。(2007年3月26日)
手塚 治虫氏が最初に入居してから漫画家の卵たちが次々に入居し、巣立っていったマンガ虎の穴 (?) のアパートの物語。後に有名になって大家と呼ばれた方々の仲間の事やら貧乏やら成功やら挫折やら、つまり楽しかった青春の日々がつづられていて、どれも当時面白く読みました。今回読み直してみると、当時はわからなかった大人の事情も分かってきて、(なにしろ連載当時は私、中学生でしたから)
感慨深いものが在ります。
では、はじめを飾った水野 英子氏の作品から。文中の黒字は、作中のセリフおよび文章です。
私がトキワ荘に来たのは、たしか昭和31年の春でした。当時「少女クラブ」の編集員だった 丸山 昭氏に連れられて、胸ときめかせながら上京第一歩をふみだしたのです。ニキビはなやかな17歳でありました。
そこには石森(当時)章太郎氏、赤塚不二夫両氏が待っていて、垢抜けない、元気いっぱいの水野氏 (ごめんなさい、そんな風に描いてあるのです) は、
「これ女 ?」 「ハァそのつもりですけど」
といわれる始末。ちなみに水野氏の服装は上が制服のセーラー服、下はズボンといういでたち。
私がここへきた一番の目的は、石森・赤塚両氏と三人で U・マイア (うーまいや)の名で 「少女クラブ」 に合作をする事でした。
「赤い人黒髪」 歌劇 「サムソンとデリラ」 より 少女クラブ 別冊付録
「星はかなしく」 歌劇 「アイーダ」 より 少女クラブ 別冊付録
「くらやみの天使」 連載ミステリーもの
水野のM(マ)、石森のイ、赤塚のア、それにUをつけるとU(ウー)・マイアーというわけ。
夜ともなれば話の落ちること落ちること。それまでわたし、なんにも知らない純情な乙女だったのよ
新入りの新鮮な血が好きな南京虫の話とか、
タバコを煙突みたいに吸っている人はまずいのかな (石森氏のことでしょう)
ゴキブリを追いかけたり、ネズミを見せてもクモを見せても驚かない水野氏に
「やっぱりあれ、女か?」 「つまんねえよ、こいつ何を見せてもこわがらねえんだ」
と赤塚氏に言われ、そのくせ男性陣がブルーフィルム(ふるいねー)やヌード写真などを見るときだけ女扱いされ、そんな
初夏のある日、石森氏のお姉さんが喘息の発作で入院、急死、あの夜、そんなこととは知らず三人で映画なんかいったっけ。胸の痛む思い出・・・。
石森氏のお姉さんは本当に優しい美人だったらしく、藤子不二雄氏の回にも、
台所にカ・カレンな美女がいる !
と氏の最上級の美人顔で登場します。水野氏も
優しい素敵なひとだったナ
と言っています。石森氏がマンガを描く事に理解のあったお姉さま、話には聞いていましたが、本当に若くして亡くなっていたのですね。
食事の世話は赤塚さんのおかあさんがいっさい見てくれることになり、アパートの部屋代三千円、食事代がだいたい四千五百円くらいで、一万円で十分な生活が出来ました。
昭和31年といえば、戦後11年目 もう「戦後ではない」 と白書が言ってからでも2年足らず、私は幼稚園に入るか入らないかの頃ですもの。流石にこの頃のマンガは覚えていません。でも、トキワ荘のようなモルタル2階建てのアパートは子供の頃まだいっぱいあって、ひとりものとか、若い夫婦ものとか住んでました。見取り図も出ていますが入り口の電灯はこんな感じかな ?
あはは、すいません、うちの近くのモルタル2階建てアパートの入り口そばの電球です。まだあるんですよ、こんなのが。うちの方、下町だから。
長くなってしまったので、やっぱり一人づつUPします。本当は二人くらいまとめて書きたかったのですが。長期連載、こうご期待
「トキワ荘物語」の連載されていた11ヶ月分のCOM 5・6月号は合併号
10月号は水野氏、下の11月号には寺田ヒロオ氏が執筆しています。表紙はこの頃 フリーランスになった前後の和田 誠氏が描いています。
記事アップした最初、表紙を やなせたかし氏 と間違えておりました。お詫びして訂正させていただきます。(2007年3月26日)
手塚 治虫氏が最初に入居してから漫画家の卵たちが次々に入居し、巣立っていったマンガ虎の穴 (?) のアパートの物語。後に有名になって大家と呼ばれた方々の仲間の事やら貧乏やら成功やら挫折やら、つまり楽しかった青春の日々がつづられていて、どれも当時面白く読みました。今回読み直してみると、当時はわからなかった大人の事情も分かってきて、(なにしろ連載当時は私、中学生でしたから)
感慨深いものが在ります。
では、はじめを飾った水野 英子氏の作品から。文中の黒字は、作中のセリフおよび文章です。
私がトキワ荘に来たのは、たしか昭和31年の春でした。当時「少女クラブ」の編集員だった 丸山 昭氏に連れられて、胸ときめかせながら上京第一歩をふみだしたのです。ニキビはなやかな17歳でありました。
そこには石森(当時)章太郎氏、赤塚不二夫両氏が待っていて、垢抜けない、元気いっぱいの水野氏 (ごめんなさい、そんな風に描いてあるのです) は、
「これ女 ?」 「ハァそのつもりですけど」
といわれる始末。ちなみに水野氏の服装は上が制服のセーラー服、下はズボンといういでたち。
私がここへきた一番の目的は、石森・赤塚両氏と三人で U・マイア (うーまいや)の名で 「少女クラブ」 に合作をする事でした。
「赤い人黒髪」 歌劇 「サムソンとデリラ」 より 少女クラブ 別冊付録
「星はかなしく」 歌劇 「アイーダ」 より 少女クラブ 別冊付録
「くらやみの天使」 連載ミステリーもの
水野のM(マ)、石森のイ、赤塚のア、それにUをつけるとU(ウー)・マイアーというわけ。
夜ともなれば話の落ちること落ちること。それまでわたし、なんにも知らない純情な乙女だったのよ
新入りの新鮮な血が好きな南京虫の話とか、
タバコを煙突みたいに吸っている人はまずいのかな (石森氏のことでしょう)
ゴキブリを追いかけたり、ネズミを見せてもクモを見せても驚かない水野氏に
「やっぱりあれ、女か?」 「つまんねえよ、こいつ何を見せてもこわがらねえんだ」
と赤塚氏に言われ、そのくせ男性陣がブルーフィルム(ふるいねー)やヌード写真などを見るときだけ女扱いされ、そんな
初夏のある日、石森氏のお姉さんが喘息の発作で入院、急死、あの夜、そんなこととは知らず三人で映画なんかいったっけ。胸の痛む思い出・・・。
石森氏のお姉さんは本当に優しい美人だったらしく、藤子不二雄氏の回にも、
台所にカ・カレンな美女がいる !
と氏の最上級の美人顔で登場します。水野氏も
優しい素敵なひとだったナ
と言っています。石森氏がマンガを描く事に理解のあったお姉さま、話には聞いていましたが、本当に若くして亡くなっていたのですね。
食事の世話は赤塚さんのおかあさんがいっさい見てくれることになり、アパートの部屋代三千円、食事代がだいたい四千五百円くらいで、一万円で十分な生活が出来ました。
昭和31年といえば、戦後11年目 もう「戦後ではない」 と白書が言ってからでも2年足らず、私は幼稚園に入るか入らないかの頃ですもの。流石にこの頃のマンガは覚えていません。でも、トキワ荘のようなモルタル2階建てのアパートは子供の頃まだいっぱいあって、ひとりものとか、若い夫婦ものとか住んでました。見取り図も出ていますが入り口の電灯はこんな感じかな ?
あはは、すいません、うちの近くのモルタル2階建てアパートの入り口そばの電球です。まだあるんですよ、こんなのが。うちの方、下町だから。
長くなってしまったので、やっぱり一人づつUPします。本当は二人くらいまとめて書きたかったのですが。長期連載、こうご期待
「BSこだわり館 THE・少女マンガ! 作者が語る名作の秘密」で
元「少女クラブ」の編集長・丸山昭氏が語っていました。
赤塚不二夫さんが張り切っちゃってお部屋をキレイに掃除して
大期待して待ってたんだそうです(笑)。で、現れた水野さんは
再現映像でも、期待を見事に裏切って、メガネをかけたサエない
17歳(笑)。水野さんが描く可愛い少女を想像してた赤塚さんが
一番がっかりしてたそうです~。(絵って本人に似るものだという
先入観があったらしいです)。
石森章太郎氏のお姉さんのお話は有名ですよね。石森氏の
マンガにある優しさのモトはこのお姉さんから来ていると私は
思っています♪(^o^)。
赤塚さんが流しに横になって
行水しているシーンが無かった?
石森さんのお姉さんが台所で振り返るシーン
これも覚えてます
赤塚さんが書いたとだけ読んだのかも。。。
トキワ荘で若き日を過ごした漫画家さんたち
結構、亡くなられた方がいらっしゃいますよね
手塚先生、石森先生。。。
赤塚先生は入院中
時の流れを感じます
哀しいですね~
石ノ森氏と水野氏の出会いはどこかで聞いたことがあります。
なぜだろう――と思ってたら、ありました!
以前読んだ、『トキワ荘の青春――ぼくの漫画修業時代』
(石ノ森章太郎著)にこのエピソードが載っていました。
この本、他にも、寺田ヒロオ、藤子不二雄、鈴木伸一、
森安直哉、つのだじろう、園山俊二、赤塚不二夫、
横田徳男、長谷邦夫の思い出話も記されていて、
なかなかオススメです。
実はそのまま『トキワ荘物語』のメンバーと被ってる
かも知れませんが……。(汗)
「BSこだわり館 THE・少女マンガ! 作者が語る名作の秘密」見たかったです。うち、BSNHK未だに見られないのでマンガ夜話も見たこと無くて。今時ねー。
地元の有線放送は入っているので、タダのは見られますが。入れても見ている暇無いのです。録画しても見ないので、録画もしなくなりました。情熱が少ないと言われてもしょうがない ?
先日の地上波の手塚氏は途中から見ましたよ。
夜様
>赤塚さんが流しに横になって行水しているシーンが無かった?
誰かの回で有りました。石森氏も一緒になってやっていた。結構皆さんやってたみたい。
ここ数年で、トキワ荘の方々のみならず60年・70年代に活躍された漫画家の皆さんの訃報を度々聞きます。寂しいですね。
SEN様
TVにもなりましたしね、繰り返し色々な方が文章や本にしています。その原点という事で紹介したいので、しばらくお付き合い下さい。
書籍・文献
手塚治虫 『トキワ荘青春物語― Playback Tokiwaso』 ISBN 4905579945
丸山昭 『トキワ荘実録―手塚治虫と漫画家たちの青春』(編集者の手記) ISBN 4094034412
『まんがのカンヅメ―手塚治虫とトキワ荘の仲間たち』 (ISBN 4593534275の増補改訂文庫化)。
梶井純 『トキワ荘の時代―寺田ヒロオのまんが道』 ISBN 4480051929
竹熊健太郎『マンガ原稿料はなぜ安いか?』 ISBN 4872574206
[編集] 映像作品
映画『トキワ荘の青春』(1995年) 市川準監督作品
ドラマ『まんが道』(1986年11月17日~1986年12月5日 放映) NHK製作(銀河テレビ小説)
ドラマ『まんが道 - 青春篇』(1987年7月27日~1987年8月14日 放映) NHK製作(銀河テレビ小説)
ドキュメンタリー『わが青春の「トキワ荘」 ~現代マンガ家立志伝~』(1989年) NHK製作(NHK特集)
ホントに読み応えある記事ばかりなので…。
長期連載とっても楽しみです♪
この頃のCOMは全く知りません(小学生でした)ので、すごく嬉しいです。
水野先生、石森先生のお姉さまのエピソード。うんうん、よかよか。
アパートの電球、素敵ですねー。
写真の技なのか、何ともホノボノとした黄色い光と、暗がりの錆びたトタン壁とのコントラスト、風情がありますね。
こういう何気ない風景も切り取ってみるトミーさんのセンスが光ってます