以前、山岸 凉子先生のデビュー前作品について記事にしましたが ↓
山岸 凉子先生のデビュー前の作品
竹宮 惠子先生のもCOMに有ったので、紹介します。
漫画雑誌 「COM」 というのは、旧虫プロの子会社、出版部門の虫プロ商事が1967年から発刊していた漫画専門月刊誌で、商業性にとらわれない実験的作品を発表させるという趣向で、新人の登用や、投稿作品の掲載に積極的な雑誌でした。虫プロ商事が1973年に本体の虫プロダクションより少し早く倒産した為、「COM」 も7年経たずに廃刊になったと思います。最後は出たり出なかったり、体裁が変わったりしたので、私も最後の最後までは見届けられませんでした。これはその前の石ノ森 章太郎先生がデビューした 「漫画少年」 の最後と同じですね。
「COM」 については、1冊、1冊に当時の情報がつまっているので、いづれ1冊づつ紹介しようかと思っています。(又々、いつになるやら 泣)
さて、竹宮 惠子先生のデビューは、出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)によると、
1968年1月、17歳の時に「りんごの罪」が「週間マーガレット」の新人賞に佳作入選し、デピュー。同年、「かぎっこ集団」で「COM」月例新人賞も受賞している。
となっていますが、その前より当然 「ぐら・こん」 という「COM」の投稿コーナーの入選常連者となっています。絵柄が掲載された最初は、1967年7月号の 「ここのつの友情」 だと思いますが、これは少年とハーフの少年との友情を描いた作品。全部は掲載されていないので良く判りませんが、多分8Pくらいのものでしょう。丸っこい絵柄で、手塚先生や石ノ森先生っぽい絵です。総合で375点取っています。
次に出てくるのは、投稿コーナーでなく、1967年の12月号の女流新人まんが家競作集という特集です。やはり8Pで、全ページフルサイズで掲載、これは商業誌としては竹宮先生の初めてと思います。嬉しかったのでは無いでしょうか。題名は 「弟」。
兄と実は捨て子だった弟の葛藤と仲直りのお話。これも丸っこい絵柄で、特に兄の方はモデルが石ノ森先生じゃないかと思われるような丸顔ですが、(絵が上手という設定だし) 弟の方がですねー 後の竹宮先生の描くイケメン男子の面影見え見えで良いんですよー。切れ長目の、しょうゆ顔って言うんでしょうか。シャープな影のある男の子、となっております。あー皆様に見せたい
欄外の所に作者の紹介があり、引用させて頂きますと、
徳島県のある高校の3年生。小山田つとむ君の率いるまんがグループ 「宝島」 に所属。肉筆回覧誌 「宝島」 の中で 「ナイーダ」 等力作を発表している。
となっています。
その後、1968年7月号でついに月例の新人賞をお取りになり、もうプロということですが、その後活躍の場を少女マンガ誌の方に移されたので、「COM」 の方には発表されていないと思います。尚、1971年に「週間少女コミック」30号に「ここのつの友情」、37号に 「ナイーダ」 を発表されていますが、私は見ていないので判りませんけど、多分アマ時代の旧作を描き直されたものでしょう。
今回、調べるために「COM」の1967年一年間12冊だけをざっと見ましたが、「ぐら・こん」 の中に後のマンガ家さんたちのお名前がいっぱい。あだち 充さんとか、もとやま 礼子さんとか、青柳 裕介さんは最初からセミプロの活躍だし、本名で出ていて、私には分からない方々も多分た~くさん。今となっては貴重な資料なので、1冊ずつじっくり読んでみようと思います。 (いづれ そればっかり)
山岸 凉子先生のデビュー前の作品
竹宮 惠子先生のもCOMに有ったので、紹介します。
漫画雑誌 「COM」 というのは、旧虫プロの子会社、出版部門の虫プロ商事が1967年から発刊していた漫画専門月刊誌で、商業性にとらわれない実験的作品を発表させるという趣向で、新人の登用や、投稿作品の掲載に積極的な雑誌でした。虫プロ商事が1973年に本体の虫プロダクションより少し早く倒産した為、「COM」 も7年経たずに廃刊になったと思います。最後は出たり出なかったり、体裁が変わったりしたので、私も最後の最後までは見届けられませんでした。これはその前の石ノ森 章太郎先生がデビューした 「漫画少年」 の最後と同じですね。
「COM」 については、1冊、1冊に当時の情報がつまっているので、いづれ1冊づつ紹介しようかと思っています。(又々、いつになるやら 泣)
さて、竹宮 惠子先生のデビューは、出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)によると、
1968年1月、17歳の時に「りんごの罪」が「週間マーガレット」の新人賞に佳作入選し、デピュー。同年、「かぎっこ集団」で「COM」月例新人賞も受賞している。
となっていますが、その前より当然 「ぐら・こん」 という「COM」の投稿コーナーの入選常連者となっています。絵柄が掲載された最初は、1967年7月号の 「ここのつの友情」 だと思いますが、これは少年とハーフの少年との友情を描いた作品。全部は掲載されていないので良く判りませんが、多分8Pくらいのものでしょう。丸っこい絵柄で、手塚先生や石ノ森先生っぽい絵です。総合で375点取っています。
次に出てくるのは、投稿コーナーでなく、1967年の12月号の女流新人まんが家競作集という特集です。やはり8Pで、全ページフルサイズで掲載、これは商業誌としては竹宮先生の初めてと思います。嬉しかったのでは無いでしょうか。題名は 「弟」。
兄と実は捨て子だった弟の葛藤と仲直りのお話。これも丸っこい絵柄で、特に兄の方はモデルが石ノ森先生じゃないかと思われるような丸顔ですが、(絵が上手という設定だし) 弟の方がですねー 後の竹宮先生の描くイケメン男子の面影見え見えで良いんですよー。切れ長目の、しょうゆ顔って言うんでしょうか。シャープな影のある男の子、となっております。あー皆様に見せたい
欄外の所に作者の紹介があり、引用させて頂きますと、
徳島県のある高校の3年生。小山田つとむ君の率いるまんがグループ 「宝島」 に所属。肉筆回覧誌 「宝島」 の中で 「ナイーダ」 等力作を発表している。
となっています。
その後、1968年7月号でついに月例の新人賞をお取りになり、もうプロということですが、その後活躍の場を少女マンガ誌の方に移されたので、「COM」 の方には発表されていないと思います。尚、1971年に「週間少女コミック」30号に「ここのつの友情」、37号に 「ナイーダ」 を発表されていますが、私は見ていないので判りませんけど、多分アマ時代の旧作を描き直されたものでしょう。
今回、調べるために「COM」の1967年一年間12冊だけをざっと見ましたが、「ぐら・こん」 の中に後のマンガ家さんたちのお名前がいっぱい。あだち 充さんとか、もとやま 礼子さんとか、青柳 裕介さんは最初からセミプロの活躍だし、本名で出ていて、私には分からない方々も多分た~くさん。今となっては貴重な資料なので、1冊ずつじっくり読んでみようと思います。 (いづれ そればっかり)
私も買っていて、ずっと取ってあったんですが
さすがに捨てちゃいました
「ぐら・こん」は雑誌のマンガ投稿コーナーの走りじゃないでしょうか
今では大御所として活躍されている漫画家さんたちも
結構ここのお世話になっていたと思います
後から見ると、あの人もこの人も
投稿してたんだ~!って気付いて
面白いですよね
確か、萩尾さんの名前もなかった?
コミックに入ってる「ここのつの友情」
書き直されたものだったんですか?
知りませんでした
ところで、『山岸 凉子先生のデビュー前の作品』の所をクリックしたら
gooのブログを持っている人じゃないと
見れないようになってました
ブログが無いと不便なんだぁ~
COM、今でもちゃんと保存してるってのが、とにかく凄い事です。トミーさん、物持ち良いんだわ~♪(感心)。
>gooのブログを持っている人じゃないと・・by:(夜)さん
~左フレームの3月の記事のとこクリックして3月11日のとこ見ると出て来ますヨ♪(^o^)。
ウワサでは聞いていますが実物にはお目に掛かったことはないです(見たい!)
お恵様は「なかよし」からの出逢いです!
一番は「風と木の詩」ですが「私を月までつれてって」とか可愛い絵柄のモノも好きです。絵とかを写真に撮って掲載するのは、やはり肖像権の関係でダメなんですか?デビュー前の絵って見たいですね~。なかなか、ブログって難しいですネ。
「夜」さんもブログ始めてはいかがですか(笑)
夜さんのお宅にもお宝が山の様にあるニオイがします!たれぞ~さんとお宝探しに行きますよ~!
すみませ~ん。私が貼り付けた住所が自分の編集用ページだったらしくて、間違えてました。直しておきましたが、見られますでしょうか ? おっちょこちょいでご迷惑おかけしました。
>確か、萩尾さんの名前もなかった?
ぐら・こんではまだ確かめて無いですが、もっとずっと後で確か、ちゃんとした紙面に 「小夜の縫うゆかた」 が掲載されてました。萩尾氏は指名されて竹宮氏のアシスタントをやっていた時期があるので、当然 COM も知っていたと思うし、ぐら・こんにも投書していたでしょう。ちょっと調べてご報告しますね。(又、いつになるやらですが。)
私は反対に「週間少女コミック」30号に載った「ここのつの友情」 を見ていないので、見てみたいですね。
tooru_itou様
>COM、今でもちゃんと保存してるってのが、とにかく凄い事です。
コミックスは結構残してても、雑誌は普通捨てますよね。私には、それくらい衝撃的なマンガ専門誌だったんですよ。感受性あふるる年頃だったしね。その後の女性用マンガ専門誌 「ファニー」 は買ってても取っておかなかったし、 「ぱふ」 とか、名前しか知らないくらいです。
こういうものにも、出会いがありますね。
満天様
>絵とかを写真に撮って掲載するのは・・・
私もはっきり知らなくて、他のブログさんを参考にしてるんですが、本の書影はなんとか許される範囲みたいですね。小学館さんのように、今後書影も厳しくします、何てところもあるようですが。カット絵くらいはとも思うのですが、どなたか詳しい方いませんかしら。音楽は25年ですけど、厳密に言うと作者が死んでから50年は著作権が生きている、という事ですしね。
オフ会やって、持ち寄りしましょうか ?
COMとは貴重なものをお持ちですね。
私は名前でしか聞いた事が無く手に取ったこともないです。
COMからは多くの有名作家が誕生してますから
是非一度読んで見たいと思っておりました。
それでは失礼します。
トラバできました。
COMとはホントに懐かしいですね。漫画少年も。
「ここのつの友情」覚えてます。
実は竹宮氏よりは萩尾氏のほうが好きでしたね。
竹宮氏は、「風と木の詩」「ロンドカプリオーソ」「ファラオの墓」など、癖が強すぎて苦手で(^^;A
でも「テラへ・・・!」「集まる日」「わたしを月まで連れてって」などのSFは大好きです。
萩尾氏がレイ・ブラッドベリなら、竹宮氏はフレドリック・ブラウンだと思ってます、勝手に。
山岸氏は、「日出処の天子」より「アラベスク」の頃のほうが好きですねー。
実はわたしファントーシュも持ってたんですが、どこ行ったんでしょうか?
ようこそ、いらっしゃいませ。COMご存知ですか。昔から膨大な量のマンガや小説を読んでらっしゃるようで、凄いです~。自分の知ってるものが出てきたら、又トラバさせて下さいませ。今後とも、宜しく御願い申し上げます。
ざしきブタ様
早速起こし下さり、はたまたそちらに再訪したらお褒めの言葉及び宣伝までして頂いて、恐縮です。そちらにも懐かしいマンガ本いっぱい出てるじゃないですか。トップ絵がいい味出してますね~。早速お気に入りに入れて度々行こうと思っていますので、今後とも宜しく御願い申し上げます。
いつになっても結構ですから~Please…
お久しぶりの書き込みで、いきなりの懇願すみません;;
ちらちらとトミーさんのブログ拝読しておりましたが、あまりの読みごたえ^^にゆっくりとコメントさせていただこうと思い、遅くなりました。ごめんなさい。
私はCOMの末期しか知らないんですよ~。
でも、最後の数年間分は取ってありましたね。
ファニーもぱふもリリカもりぼんコミックもOUTもLALAも1980年代半ばくらいまで残してあったんですが、ある日、父に捨てられました
「ここのつの友情」あまり覚えてなかったです。そんなお話しだったんですね。
オフ会!!ぜひ参加したいです~♪
>ファニーもぱふもリリカもりぼんコミックもOUTもLALAも
その辺を知らないので、みんな見たいものばかりです。
ファニーは少し取っておいたと思いますが、多分20代前半で処分したような。自分で、ですがね。コミックも引越しの時に大分自分で処分しましたねー。今頃になって又欲しくなるとは・・・。しかも高いし・・。雑誌は まんだらけ へ行っても少年誌くらいしかありませんね。COMは神田の本屋街で20年くらい前までたまに1冊づつ見かけましたが。
いつになるやらですが、COM1冊づつ、やりたいです。
最近、押入れから、竹宮恵子先生の「アンドロメダストーリー」が出てきました。
1と2しかなかったので、最後がどうなったのかわかりません。
この作品について、ご存知ですか?
もし、ご存知なら教えていただけませんか?