38℃という烈暑は一段落したが、今度は台風連続で湿度が高くなり、夜も27度が最低気温の夜が続く。
エアコンを入れずに寝ていると2時ごろ、大汗で起きてしまう。となるとなかなか寝付けず本を読むというので睡眠不足、さらに食欲不振で夏バテ。
できるだけ野菜を増やし、酢を多用し、酒を減らしているが、テニスなどを控えているのも良くない。最近の日射・気温は「屋外禁止」になり、自転車にも乗れない。
人間ドックでも体は絞ったが、お酒の関係の肝臓や通風が懸念。やることもないし、暑いから飲むのは控えねば
38℃という烈暑は一段落したが、今度は台風連続で湿度が高くなり、夜も27度が最低気温の夜が続く。
エアコンを入れずに寝ていると2時ごろ、大汗で起きてしまう。となるとなかなか寝付けず本を読むというので睡眠不足、さらに食欲不振で夏バテ。
できるだけ野菜を増やし、酢を多用し、酒を減らしているが、テニスなどを控えているのも良くない。最近の日射・気温は「屋外禁止」になり、自転車にも乗れない。
人間ドックでも体は絞ったが、お酒の関係の肝臓や通風が懸念。やることもないし、暑いから飲むのは控えねば
6月29日に東京で出張、泊りの予定で、明日の夏越の祓( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A5%93 )は洛中で行けないと思い、所用の近くの日枝神社( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9E%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%8D%83%E4%BB%A3%E7%94%B0%E5%8C%BA) )に参拝する。赤坂見附駅から裏道の稲荷参道を歩くが、大汗をかく。
茅の輪を周り、くぐって参拝。帰りは石段を選ぶが照り返しがすごい。昔は高台で見晴らしも良かったのだろうが、今や高層ビルが周りを囲む。
それでも、緑が多く安らぎを感じた。
大好きな百貨店研究。今回は展覧会を1950年生まれの元小田急百貨店の美術館長がまとめている。但し、展覧会の事例網羅が目的であり、社会・経済や都市計画からの観点は薄く、知見は乏しい。あくまで資料としての活用だ:
・展覧会の存在感があり集客が確実に図られたのは60年代末まで、70年代後半から80年代は文化も集客も後退
・戦時下は国策プロパガンダ(週当たり1.5本の展覧会が開催)、戦争展覧会など
・敗戦後は1947年第一次百貨店法廃止、1956年の第二次百貨店法成立までの間は規制の縛りがなくなり、銀座松屋、日本橋髙島屋、渋谷東急など増床・改築をし百貨店業界の面積と質を向上
・50年代:1950年文化財保護法による国宝・重文を社寺の出開帳として百貨店展示の呼び物に:①国は国宝・充分の文化財指定をしたが、予算がない ②社寺は文化財の所有者になったが困窮 ③新聞社。百貨店は国宝として希少性があり、多くの集客が見込める という三つ巴の思惑が重なる
・40~50年代は産業展として新製品と新技術
・50年代から:写真展と写真の普及
・70年代:文学展、三島由紀夫、展覧会の低迷期
・75年 池袋 西部美術館 パウル・クレー展で唯一気を吐く
・まとめとして展覧会の百貨店への効果:①集客、②イメージ向上、③新規顧客開拓・誘引、④社会貢献
展覧会は今でもあるが、ハルカスの北斎など本格化したようにも思う、このあたりの考察がない
日経の1面でコイン・ランドリーが時短で流行とある。1週間のまとめ洗いと乾燥で効率的、布団も洗えるとある。単身者利用から女性(主婦)と高機能への転換のようだ。しかし、自動車利用が前提と思う。1週間分の洗い物は相当な重さとかさばりがある。しかも、雨の時は濡れないようにするのが前提だ。
当方はコストの高い自動車を持たない。手入れの手間やパーキング、税金などの負担がないためと都心居住だからだ。今回、乾燥洗濯機も導入し便利になった。アメリカに留学していた頃は、2戸一の住宅の地下室か、アパートの共用の洗濯室が便利で、外の物干しがなかった。省エネではないが、便利だった。
調べてみると洛中にも都心型のコイン・ランドリーがある。どういう方が利用しているのか、ちょっと興味がある。見てみると駐車場はない、自転車で利用なのだろうか。
さらに、託児所やカフェ、オフィス機能などの付加もあるようだが、スターバックスと同じく、サード・プレイス( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%B9 )狙いかとも思う、ちょっとした気分転換の場か。とすれば郊外での機能も分かる。
コイン・ランドリー投資などが有利との情報もあるが、参入障壁が低いため飽和するのも速いと思う。投資の裁定は働くのが通常だ。流行に取り上げられると、「もう遅い」が通常だ。民泊も流行だが、お任せ投資で赤字というのと同じような感じがある
umieは開業25年。イオンに代わり5年。アトリウムの入口に、大きな玉と小さな玉が動くボール・マシーンのDing -Dongがある。作家はGeorge Rhoads ( http://georgerhoads.com/ )
88年留学の頃、アメリカの空港などで見て( https://en.wikipedia.org/wiki/George_Rhoads )馴染みがあり、ひさびさに見ると30年が経ったのだなぁと感慨深い。30歳が還暦になるわけだ。
見ていると単純だが面白い。童心にかえるのと、バブルの頃の思い出の両方がある。
アトリウムも前よりずっと賑わいがある。MOSAICの前の運河もきれいに改修されていた。25年持つ観光商業は珍しい。手入れが大事だ。
売り上げは、観光客が多く、定住者の食品利用が少ないようだ。また、駐車場の完備が強みと聞く。
管理会社の工事や分譲会社の瑕疵などまとめて意見を書くと、同様の不満がある理事や居住者からお誘いがあった。さっそく作戦会議など主導し3時間ほど打合せた。
愚妻からは「マンションの近隣づきあいになる!」と後押しされ、今度の集会にも専門家として参加する運びとなった。
もともと弁護士、医者など一家言ある居住者が多い。たまたま建築や不動産に詳しい方がいないためご指名となった。
還暦でもあり、地域やコミュニティにさらなる貢献をするのが良いと思っている。人を教えたり、役立ったりするのが今後の生き方だろう
昨年(’17)の10月29日閉店したらしい。現在はラーメン屋になっている。( https://ganref.jp/m/shigeruhorii/reviews_and_diaries/diary/15682 )
久々に食べて懐かしんだのはこの前と思っていたら、なんと8年前( http://blog.goo.ne.jp/n7yohshima/e/72b156acc1faa08ca71df68e3f9a27b7 )焼きシューマイに豚骨スープに山椒と独自であり、歴史ある大阪名物として認知もされていた。永く続く店と思い込んでいたのが甘かった。後継者がいない高齢化が閉店の理由とのこと。お味もちょっと時代遅れの感じがしたのも否めない。
お初天神での楽しみが減ってしまった。お初天神の角にあるべきものがない、ぽっかり空いたような感じだ。街は変わり、店も流転する。永く続く店は舌の上に残る都市のランドマークだ
夏の省エネ温度は28℃だったが、いまは26℃が多いようだ。もともと28℃の合理性は疑問があり会社でも「暑い!」という温度と「蒸し蒸しする!」という湿度の不満が多かった。おそらくは28℃設定では冷水温度が高く、除湿(結露)もあまりなかったのが問題だったのだろう。
しかも、電力不足の目処が立ち、人手不足の時代になるとオフィスの快適性重視のサイクルとなる。大学の求人も2000年ごろはエコが多かったが、それが防災・減災に移行している。さらに観光も注目されている。
冬も18℃では低すぎると感じている。自宅では22℃が快適だが、湿度不足になり65~70%に空気清浄機で加湿している。なお、ヒート・ポンプ(エアコンの熱交換と同じ)は暖房効率が良い(機械運転の熱量も取り込む)ためお勧めだ。低湿度は喉に悪く、ウイルスの繁殖をさそう。加湿しても、手には保湿剤が欠かせない。歳をとると寒さと乾燥が大敵だ。
トイレの座面保温も省エネを切った。夜中に目覚めていくと冷たい。これは夜間省エネの賢さが裏目に出ている。夜中に冷えて、それがもとで不健康になるなら少々の省エネは不要だ。
さらに、LEDにして5Wの常夜灯を廊下につけている。昔は40Wの白熱球だったが、LEDなら安心で取り換えも要らない。むしろ電気代より暗闇の怪我が怖い。
エアコンは湿度と吸排気のできるものに替えようかと思っている。便利で、快適なものを選びたい
東大系と首都大学東京の先生方がとりまとめ。この分野はこれからの都市計画でも着目だ。(東大には色街やヤミ市研究会もできたと聞く、うらやましい、早稲田はなにをしている!!!今和次郎先生の系譜はどうした!!!)
閑話休題、スナックを多面的に研究している。スナックとは風営法( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E4%BF%97%E5%96%B6%E6%A5%AD )があるが( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E4%BF%97%E5%96%B6%E6%A5%AD%E7%AD%89%E3%81%AE%E8%A6%8F%E5%88%B6%E5%8F%8A%E3%81%B3%E6%A5%AD%E5%8B%99%E3%81%AE%E9%81%A9%E6%AD%A3%E5%8C%96%E7%AD%89%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B3%95%E5%BE%8B )、1959年改正の深夜酒類提供飲食店営業の届出( http://cozylaw.com/fu-teki/kihon/007-02.html )が多いようだ。
スナックとは深夜営業の「スタンド・バー」が’64のオリンピック前、軽食も出す「スナック・バー」と名乗ったのが起源という説もあるという。わざわざ誰も食べないサンドイッチにラップをかけ摘発の「魔除け」にしていたそうだ。
未だに地方に「スタンド」があるのはこの名残かとある。
「スナック開店の手引き(’69)」によると喫茶店系の「スナック喫茶」、「軽食スナック」であり酒を出す「深夜スナック」と二大勢力だったのが分かる。この後、‘68に「小さなスナック」(パープル・シャドウズ)のヒットがあった。
スナックは、人口当たりでは、宮崎、青森、沖縄と地方に多い。市区町村の人口当たりでは京都東山区(祇園か)、名古屋市中央区、大阪市中央区(ミナミか)、北区(新地か)と、「やっぱり」と思わせる。
地方のスナックは、若い人も来る(他若向きの施設がないためか)
店名は、さくら(313軒)、あい、はな の順で、ライムライト(来夢来人:119軒)となり、ライムライトが一番多いというのは伝説
明治のカフェーはチップ制のため売春や美人局の温床、建前の一次会と無礼講好色の二次会の文化、これから飲食店風俗化という仮説は検証に乏しい
暗いがスナックの多いエリアは犯罪が比較すると少ない→暗い盛り場でも出入りの多いスナックがあると安全という検証か、それともぼったくりなどが少ないということか
共著でもありまとまりや論旨の骨格がないのが残念、笑える
森ビルでセミナーを行ったのもあり、美術展などを見て歩く。週刊少年ジャンプ展(VOL.1)はなかなか面白い。原画の精密さに感嘆。
スカイデッキとRooftop(ペントハウスの屋上)は圧巻。特に、設備の屋上でHマークのヘリポートの周りは風と景色が素晴らしい。第二国立競技場のクレーン林立や、東京湾の景観、横浜へのつながり、新宿方面のビル群、虎ノ門から丸の内へのビル群など飽きない。専門知識を子供に聞かせる
東南アジアの現代美術展は、映像が多かった。てくてく国立新美術館にも行って2部を見る。六本木通りの交差点がアンダー・パスでないと渡れないのはアメリカの道を思い出した。
暑い、お茶を買って1ℓをごくごく。
結構、疲れた。
朝からビールでゆったり歩く。根津から三浦坂を登る。坂道は絵になる。みかどパンの三差路でヒマラヤスギに感心。鉢植えが良く育ったものだ。
徳川菩提寺の寛永寺( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%9B%E6%B0%B8%E5%AF%BA )の関係か最澄の延暦寺を本山とする天台宗とその関連の日蓮宗の寺が多い。( http://www.nichiren.or.jp/temple/map/kanto/tokyo/taito-ku/ )
谷中霊園を初めて見た。見ものは富くじで有名な天王寺と幸田露伴で有名な五重塔跡( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%8E%8B%E5%AF%BA_(%E5%8F%B0%E6%9D%B1%E5%8C%BA)があり早稲田の学生時代からこのあたりは未訪で新鮮だ。
三崎坂を今度は下る。途中に伊勢五本店の跡を活用した、Tokyo Bike Rental YanakaがありBrooks Saddleなどの自転車展示がある。建物も関東の梁の出た軒が面白く見て、話し込む。ついついエビス・ビールを一杯、うまい。
坂を下り、大円寺の二つの破風を見て珍しいと入る。( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%86%86%E5%AF%BA_(%E5%8F%B0%E6%9D%B1%E5%8C%BA) )江戸三美人の笠森 お仙のゆかりの笠森稲荷を合祀しているため破風が二つと珍しい。掃除のおばさんと話し込む。このあたりの方々は親切で良いな。
根津神社の近南側には遊郭があったが、東大などの開発もあり洲崎に移転の歴史もある。揚屋建築のような2階の手すり付が多い。
子供と落ち合い、蛇道をくねくね歩いて芋甚、あんぱちやを通り、根津駅に。
朝からすっかり日焼け
還暦祝いの宴会を末松で開催して頂けるとのことで久々に訪問。
まずは知合いのアパレル会社に還暦の絵葉書を届ける。つぎに、居留地を海側に歩き、友人が誘致したARC'TERYX (アークテリクス)三宮店を見る。チャータド・ビル( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%AB )にあり歴史的建築の雰囲気が良い。ショルダー・バッグが旅行用に最適で、カメラが入り、ガイド・ブックも収まる、肩当もあって9,000円は安い。女性の店員と盛り上がる。
居留地は緑、石の建築、袖看板がないなど、ヨーロッパ風で景観が良い。但し、周辺ににょきにょき破竹みたいに生えるタワー・マンションは興ざめだ。
それから、竹中大工道具館を楽しむべく、生田神社を経由し異人館街を登る。結構な坂道で大汗。異人館はセット券があるようでチェーン店のような管理か。見ていると明治の洋館であり、イギリスやドイツの本物を知っているといまひとつ。和風と洋風の融合は面白い。ところどころ空地もあり、70年代のブームから、たそがれを感じた。日本人よりアジア系観光客が多かった。一角にPier39という店があり、サンフランシスコにある同名の施設の許可を得たのかと思った。
先日、ヴィデオばかり見て展示を見切れなったのもあり竹中大工道具館へ。行く道を忘れて、新神戸のホテルで親切なコンシャルジュに教えてもらい新神戸駅を横切る。竹中大工道具館は静かな建物で、高い建物としないため地下を2層掘りこんでいる。実物大の三手先の組物と柱・屋根やこれも実物大の茶室のスケルトンは見ごたえがある。道具の実物と解説など2時間500円で楽しんだ。数寄屋についての特集本(500円)はお買得。体験用の継手の組物を分解すると、姫路からの建設会社のグループからお褒め頂いた。昔の日本建築施工の授業を真面目に受けて良かった。
建築の周りの庭も緑が深く楽しめる。昔は竹中の保養施設だったそうだ。受付の女性と話し込む。
もう一度、異人館街を散策した。結構急な坂道が多く、登るのは良いが降るのには路面の荒れもあり注意が必要だ。標高もあり、港が遠望できる。水道と下水を坂の町ではどうしていたのか興味がある。
足に疲労を感じて加納町の末松へ道を下る、街歩きは楽しい
東側の窓は朝日が入り暑かった。今回、スペーシアのLow-Eガラスに取り換えると暑くない。効果は絶大だ。
冬も寒く無く、夏も暑くない。これは良い投資だ。夏でも光が柔らかい
最近の高層建築で、ガラス・ウオールやダブル・スキンの内側ガラスでも日射負荷に対応できるのが良く分かった
この一週間なにもできない。洟がでて、喉が痛く、目もしょぼしょぼ、頭痛で人生が暗い。面白いのは子供の頃にかえったような感覚がある。頭脳が鈍く記憶と対応があやふや。名前が覚えだせない、物にぶつかるなど、コントロール系と反応系の両方が悪い。さらに創造系のアイディアもでない。そのため本も読み進まない。
アレルギー、鼻風邪にしても一週間は長すぎる。PM2.5と花粉にしてもおかしい。熱がないのがくやしい。
気が付いたら八百一本館のクリスマス・ツリーが灯る
十数年前竣工のマンションで窓がフロート・ガラス(6㎜)。結露が多く、愚妻が嘆く。冬の湿度も低下しウイルス排除にも悪い。また朝方の日射で夏暑いのも問題だ。今回、子供たちが巣立ったのもあり、この2点の解決に向けガラスを取り換えた。
テニスで知り合いの設計事務所の友人に頼んで、設計方針は当方(一応、一級建築士)で立案した。管理組合に確認し、ペア・ガラス変更も可能。7面あり次の方策を納まりと機能により使い分ける。Low-Eは断熱方向も指定した。
①スペーシア(真空断熱 Low-E):0.2㎜の空隙の真空、支えるため格子の位置に黒い点のスペーサーが入る
②ペア・ガラス(空気断熱 Low-E):今やオフィスでは常識のガラス、緑色が多い
③内窓(ペア・ガラス):LIXIL インプラスで木目調
なお、リビング以外はLow-Eを反射型(外側ガラスの内側に金属膜)にして窓際の夏暑いのを防いだ。リビングは庇が深く、南側でもあり冬の日射を生かした。サッシュ自体は断熱型でなく取り換えも考えたが、大掛かりかつ管理組合でも認めていないため諦めた。
工事は2回に分け、本工事は1日で完了。工務店とガラス屋さんに感謝。効果は
①断熱性能がよく、窓際が寒くない、特に足元が快適で電気ストーブが要らない
②ガラスに結露はない、サッシュ部分は対策をしていないため、多少の結露がある
③遮音が良くなった
④視界はあまり変わらないが、スペーシアは二重にして確かめるとちょっと緑がかるようだ
⑤収まりが綺麗でお部屋が良い感じ
工事費用は中古の軽自動車1台分くらいかかった。もっと早く交換すればよかった。カーテンも洗って、掃除もついでに、早めの大掃除が完了しすっきりした年末、愚妻が大喜び