今回の事故を「経済」、「補償責任」、「原資調達」の3面から考えてみる。 4人家族(共働き夫婦と子供二人(息子と娘))を想定する。母親が天ぷらを揚げていて、娘が手伝っていたら、地震で熱い油が娘に降りかかった。この場合、娘の治療費と怪我は家庭の損失となる。その治療費などを母親の貯金から出そうと、父親の貯金から出そうと、または、親戚から援助してもらおうと心情的には変わらない。また、損失はどこまでいっても損失だ。<o:p></o:p>
これが、他人の家に招かれて、天ぷらを揚げているお手伝いをしている場合なら、その家の方に補償を求めるかもしれないし、好意で招いて頂いたのだからやむを得ないということになる。<o:p></o:p>
更に、縁日で通りがかったところに、天ぷらの屋台が地震で倒れ掛かって、火傷をしたらこれは、天災と割り切るか、人災と考えるかどちらかだが、普通は天ぷら運営企業若しくは縁日主催者(の両方)に補償を求めるだろう。<o:p></o:p>
東電は3つ目のケースに近いため、補償の責任がある。但し、経済学としては、損失はだれが払おうと同じで1つ目のケースだ。しかも、電力不足の懸念は心理的不況や実態経済の稼動率低下を生んでおり、「間接的」損失はさらに大きい。<o:p></o:p>
更に、補償の原資について、発電と送電の分離や、資金の公的提供と延払いなどあるが、経済的にはリースバックか借入れの違いしかない。しかし、補償の責任ということでは大いに違う。企業が解体されるか、企業が政府にコントロールされるかの違いがある。そこには、被災された方々や、国民の資金を使うコンセンサスの形成、監視制度、便乗利益の排除などが必要だ。電力値上げの動きや、甘いリストラは論外といわざるを得ない。<o:p></o:p>
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社会的にあやふやな補償と責任の進めかたが不可欠だ<o:p></o:p>
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