日本人論を、系譜、「空気」、「古層」、「武士のエートス」という章立てで論じているが、この構成の流れが明示されていないため分かりにくい。
当初の国際的アンケートが結論に近く、日本人は祖先信仰、調和主義、リスク・アドバース、人間関係は大事だが、避けたい(相反するのは村社会だからか)、国は信用しないとある。
日本は特定の集団のインサイダーのみ信頼する「安心社会」でよそ者嫌いは確かだが、安心の中でも人間関係を鬱陶しいと思っているのが特色だろう。つまりは、会社などの付き合いは家族のようで「よそ」であり、じつは「うち」ではない。ジャレド・ダイアモンドが「昨日までの世界―文明の源流と人類の未来」で、文明国家のどこがよいか「昨日までの世界」の方に聞くと、「匿名性だ」という返事があったのと同じだ。村の社会は外敵からの攻撃への不安に対する守りだが閉塞感やもある。都会は外敵も守りの付き合いもない。
日本は用水組合など、下流からの意思決定とあるが、これは実務レベルへの権限委譲とトップのシンボル化の事例として面白い。かつて、MITでNegotiationの科目で日本人はなぜ打合に多く出てくるのかの分析として、水平な権限が、相手と協議することで、内部合意の形成と方針立案が同時にできる(ホリゾンタル・モデル)、つまりはアメリカのトップ権限委譲方式(ヴァーチカル・モデル)違うというのを示したことがある。
逆エージェンシー問題というのは行き過ぎではないか。確かに、改善(Improvement Technology)フェーズでは日本は強いが、改革(Breakthrough)には弱いのはしょうがない。時々、俺について来いみたいな企業を待つのが得策だ。
指摘のとおり、下請けは競争で個人主義だ。それは一家を率いる親分だからだ。大企業とはまったくちがう。
「空気」は確かに、ゲーム・モデルで「偏狭(特定の集団内)の利他主義」が有効だが、これはアメリカにもある。「寛容な利己主義」の荒野のガンマンみたいなのは少ないのではないか。競争により企業というのはいまや利益集団として「殻」が強くなり、また情報過多で「一般技能」が見に付きやすい、つまりは会社の技能エントリー・バリアーが低くなった。このモデルは疑問だ。
プロセインの法体系は確かに日本の特色で、限定列挙など法律が詳細まで決めるため「官僚社会」となる下地だ。利権や権限が不正や不公平につながる。日本は権限の支配する村なのかもしれない。
貴重な指摘として(大企業の)日本人は仲間のなかで生きるのを選好するが、人間関係は実は嫌いというのがある。仕事以外では、一人か親族かで自然のなかで自己と語り合うような「(人間関係の)間隙」を好む。その一方、下請けや中小企業は専門的で親分肌だ。これが日本のアントレプレナーだろう。
日本を支えるのは、大企業の家族主義、中小企業の矜持と、濃密な人間関係の対極にある「自然風景」ではないだろうか。(ここでいう自然風景はいわゆる「第二の自然」で農地など管理された半人工の自然だ)
楽しく考えることのできる本だ。できれば人と自然の風景と「空気」なども考えてはどうか。あれは好ましい「空気」だ。これが日本の風土の大本だ。
当初の国際的アンケートが結論に近く、日本人は祖先信仰、調和主義、リスク・アドバース、人間関係は大事だが、避けたい(相反するのは村社会だからか)、国は信用しないとある。
日本は特定の集団のインサイダーのみ信頼する「安心社会」でよそ者嫌いは確かだが、安心の中でも人間関係を鬱陶しいと思っているのが特色だろう。つまりは、会社などの付き合いは家族のようで「よそ」であり、じつは「うち」ではない。ジャレド・ダイアモンドが「昨日までの世界―文明の源流と人類の未来」で、文明国家のどこがよいか「昨日までの世界」の方に聞くと、「匿名性だ」という返事があったのと同じだ。村の社会は外敵からの攻撃への不安に対する守りだが閉塞感やもある。都会は外敵も守りの付き合いもない。
日本は用水組合など、下流からの意思決定とあるが、これは実務レベルへの権限委譲とトップのシンボル化の事例として面白い。かつて、MITでNegotiationの科目で日本人はなぜ打合に多く出てくるのかの分析として、水平な権限が、相手と協議することで、内部合意の形成と方針立案が同時にできる(ホリゾンタル・モデル)、つまりはアメリカのトップ権限委譲方式(ヴァーチカル・モデル)違うというのを示したことがある。
逆エージェンシー問題というのは行き過ぎではないか。確かに、改善(Improvement Technology)フェーズでは日本は強いが、改革(Breakthrough)には弱いのはしょうがない。時々、俺について来いみたいな企業を待つのが得策だ。
指摘のとおり、下請けは競争で個人主義だ。それは一家を率いる親分だからだ。大企業とはまったくちがう。
「空気」は確かに、ゲーム・モデルで「偏狭(特定の集団内)の利他主義」が有効だが、これはアメリカにもある。「寛容な利己主義」の荒野のガンマンみたいなのは少ないのではないか。競争により企業というのはいまや利益集団として「殻」が強くなり、また情報過多で「一般技能」が見に付きやすい、つまりは会社の技能エントリー・バリアーが低くなった。このモデルは疑問だ。
プロセインの法体系は確かに日本の特色で、限定列挙など法律が詳細まで決めるため「官僚社会」となる下地だ。利権や権限が不正や不公平につながる。日本は権限の支配する村なのかもしれない。
貴重な指摘として(大企業の)日本人は仲間のなかで生きるのを選好するが、人間関係は実は嫌いというのがある。仕事以外では、一人か親族かで自然のなかで自己と語り合うような「(人間関係の)間隙」を好む。その一方、下請けや中小企業は専門的で親分肌だ。これが日本のアントレプレナーだろう。
日本を支えるのは、大企業の家族主義、中小企業の矜持と、濃密な人間関係の対極にある「自然風景」ではないだろうか。(ここでいう自然風景はいわゆる「第二の自然」で農地など管理された半人工の自然だ)
楽しく考えることのできる本だ。できれば人と自然の風景と「空気」なども考えてはどうか。あれは好ましい「空気」だ。これが日本の風土の大本だ。