「きっぱり」と決める、「しっかり」「きっちり」そして「きちんと」とやる などの用法が最近多いが、どうも信用ならない。歯切れが良いが、結果は「さっぱり」で「がっかり」なことが多い。
これらを使う政治家は「仕事きっちり」のCMみたいなイメージだ。
「させていただく」も不愉快な感じがする。「誰の許しで」と聞きたくなる。これは、昔からおばあさんなどが、「ここにすわらしてもらお」とあたかも世間一般に対して許しを得るような言い方は聞いたことがある。
例えば、菅首相が「出馬させて頂く」と言うのは一見へりくだったように聞こえるがだれかの許しを得たわけでもなんでもない。「出馬致します」が単純で分かり易い。
企業でも最近は、有給休暇のスタッフへの電話を受けて「〇〇はお休みをさせて頂いております」というのがあるが、本人の権利で休んでいるなら説明は不要、電話をかけた方が「誰が許可したんだ!」という訳もない。(但し待ち合わせなどに来ない場合などを除く)「休暇で〇日まで不在です、お急ぎのご用がおありでしょうか?」と聞くのが建設的だ。
あたかも第三者の許しをえたような「させて頂く」は冗長で丁寧さだから「ドーダ、気が利いて良いだろう」という感じも受ける。(「ドーダ学」については鹿島茂 参照 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%B3%B6%E8%8C%82 )
ついでに言うと「~しなければいけない」という政治家コメントも気になる。「対応が必要だ」とか「要求する」と言えば良い。「誰が」の主語がない日本語の特徴を悪用しているとしかおもえない。曖昧好きは英語などで国際的な場で議論ができないぞ!
あたかもコンビニやファミレスの「よろしかったでしょうか?」に似ている。今の厄災のような総理は回りくどいだけで政治に必要な発信や打ち返しがない、ひたすら読み上げとはぐらかしだ。と書いたら策士策に溺れあがいたあげくにレーム・ダックになった。Duck Soup!(A Piece of Cake: https://eikaiwa.weblio.jp/column/phrases/natural_english/a-piece-of-cake )