都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

京都モダン建築祭に参加、パスポートで見学、楽しんだが頭脳と足が疲弊

2024-11-15 02:51:22 | 京都

 スタッフ参加の特典として、朝、毎日新聞ビル2階にてパスポートを頂く、11月2日からだが豪雨、3日(日曜日)に朝の10時から回る、8件回って拝観に「お腹一杯」になった、2日無いと回り切れない 

大雲院 祇園閣(旧大倉喜八郎別邸 内部写真禁止)

これを見たかった、望みがかなった

https://www.daiunin.or.jp/gionkaku_okura_kihachirou/ 

1927年竣工、伊藤忠太設計、大倉土木(大成建設)神戸の大倉山公園( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%80%89%E5%B1%B1_(%E7%A5%9E%E6%88%B8%E5%B8%82) )など東京と関西を往復した、横に眞葛荘( https://www.daiunin.or.jp/precincts_building/ )があり祇園閣眺望を楽しむまさしく成金建築ともいえる

入口の狛犬は可愛らしい、万成石、黃龍石、紅龍石が使われているが角も石のエッジがつながっている贅沢な使い方に驚く、上からの眺望は良いがマンションの関係もあり写真は禁止、東西南北が楽しめる高さだ

なお、近傍のねねの道など観光客で一杯、松原通を経由し東本願寺方面に走る

重信会館

1930年竣工 竹内緑設計、竹中工務店施工

東本願寺関係の重信寮という大谷大学の寮らしい、1階のホールのみ公開

アール・デコの様式だが蔦でよく見えないのが残念

 

東本願寺視聴覚ホール

こんな施設があると思わなかった

https://www.nikkenren.com/kenchiku/pdf/610/0610.pdf 

1998年竣工、高松伸設計監修、鹿島設計・施工 https://kenchiku-pers.com/photo/higashi-honganji-reception-hall/ 

高松は1991年(バブル期)にアーステクチャー・サブワン( http://blog.livedoor.jp/iwasakiyasushi/archives/51851016.html )は2019年に5.2億円で売却( https://architecturephoto.net/74860/ )とある

 

この地下のホールも同じような地下にある施設だ、流石は鹿島の設計でありディティールが美しく、納まりがよい、高松の設計は漏水や使いにくさがあるため短命建築が多い

 

上を切られた円錐と周りのトップライト、1階からのスロープでの親鸞についての展示などがあり地下2階ホールに誘導する、ホワイエにはカップ(蓮の花:京都駅 1997年竣工にも原広司の設計による見立てがある https://www.kanebako-se.co.jp/works/view/240 )がラウンジとして突き出している

ホールも円形平面だが、壁面の折り曲げ(円形は反射が多いため音響対応と思われる)、千鳥の座席配置など凝ったディティールはさすが鹿島設計だ

 

本願寺伝道院(内部写真禁止) 

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/286979 

 1912年竣工、伊藤忠太、竹中組施工、竹中工務店リニューアル

1,2階のみ公開、スリッパ(なぜか痛い)、上のホールが見られなかったのが残念、外部のガーゴイル風彫刻が可愛い

竹中のリニューアル公開の時に来ればよかったと悔やむ

 

元淳風小学校(内部写真禁止) 

1931年竣工、京都市営繕課設計、分離派風の設計、階高が4mくらいあり天井が高い、この時代は採光のため窓が縦長、鉄サッシ(上が内開き、下が外開き、ガラスは内側からパテ)

天井が高く廊下の上に配管がある、MIT本館に似ていると思った

 

旧寺江家住宅店舗及び母屋

1935年竣工、新町通にあるが気づかなかった、表屋が洋風の染物業の店舗、奥が町家のと主屋

昭和なら通り庭は不要(水洗便所完備のため肥え汲みが通る必要がない)と思ったが、恐らく裏の蔵(簡便な仕様)に商品の染物をしまうための通路として活用していたのだろう、天窓が2ヶ所あり、おくどさんもあるが煙抜きがない、なお、洗い場の横に井戸があるのには驚いた、染物の関係だろうか

入口にはなぜか壁の補強の鉄骨架構がある、ひそかな町家だ、裏千家のお稽古にも使われているそうだ

 

SHIKIAMI CONCON

2019年竣工、魚谷繁礼設計( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%9A%E8%B0%B7%E7%B9%81%E7%A4%BC )、川端組施工 

https://note.com/ikumit/n/n9739287a5cf6 

https://bunganet.tokyo/uoya/ 

中層マンションの横、長屋を生かし奥に祠がある、その上に鉄の架構に乗りコンテナが配置、さらに上に屋根がかかる

 

京都の街中に異質な形態とコンテナのオフィス利用が奇想天外、オーナーの壽商事 石田能冨子、石田祥一とある、投資利回り確保などの観点ではない都市開発として驚いた

 

構造的に筋交いが無いが耐震性はと思った、衛生・給湯設備は1階の奥に集約、前後の階段2ヶ所、エレヴェーターは無い、コンテナは軽く留めてあるだけだが交換などどうするのか永続性はと思った

とにかく面白い

 

らくたび京町家(旧村西家住宅)

 1932年竣工 前をよく通り、2012年には修復工事があった、らくたびという名称から宿泊施設と思っていたが違った、村西家かららくたびに移り、レンタルもしているようだ( https://rakutabi.com/office )

https://kyoto-machisen.jp/matchya/stories/article/144 

https://kyoto-machisen.jp/wmf-machiya-project/  

大壁造により蛸薬師通からの視野を遮る、裏は御射山小学校、南北に庭があり通風確保

街の中の異空間、和と洋、茶室と蔵と多彩な趣味の数寄屋だ

手前の庭には段付きの塗り壁に節のある木をあしらっている、入口もそうなっている、樋も銅(あかがね)であり凝っている、一部傾斜が逆になっているのは手入れが行き届かないからだろう、玄関先の井戸も井桁の石で立派だ

玄関横の応接洋間は出格子と壁の枠が二重の額縁となっている、綺麗な納まりとしっかりした建具だ

奥の庭は蔵が正面にある(下部を杉だろうかで意匠を作っている、珍しい蔵の外側可燃物はすぐ外れるようにするのが作法だが:昔古市に船の板を使っていた銀屋の蔵があった https://www.city.habikino.lg.jp/soshiki/shougaigakushu/bunka-sekai/bunkazai/bunkazai/iseki_shokai/edo/2433.html )、左に巨石がある黒石が多い、八瀬の真黒石だろうか、贅沢な庭だ

欄間に桐紋、2階は雲型の欄間と廊下の船底天井、欄干には変形花菱紋(修学院離宮など)だろうか、網代の天井や壁が多い、趣味が多様で面白い

各所でなぜか建築関係者と見られ、質問を受ける、先日の研修での知合いのスタッフにもお声がけされ、解説もすると喜ばれた、お互いのもてなしにほっこりする

自転車で2千kcal、1万歩と次の日のテニスができない位疲れたが、頭も建築で一杯になり満杯となった、だが楽しかった


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