みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

また犬の人

2017-12-11 | おきにいり

以前の犬の人で思い出しちゃったので、2人目の犬の人
いずれも美女で、かなりエキセントリックな人物だったことは単なる偶然です。
その人はイザベル・エーベルハルト、フランスではイザベル・エベラールと発音されます。
追記:エーベルハルトは母親の結婚前の姓を採用したものです。


1895年の写真


イザベルの母親はユダヤ系のドイツ人で、ロシアの貴族と結婚していましたが、アルメニア人でアナーキストの家庭教師トロフィモウスキーと子供たちも連れて駆け落ちし、イザベルは1877年にジュネーブ郊外で生まれました。父親が誰であるかは、完全には確定していません。家にはアナーキストその他様々な人々が出入りしており、父はアルチュール・ランボーだというトンデモ説もあります。トロフィモウスキーは数ヶ国語をマスターしており、子供たちは学校へ行かず、彼から言語その他の教科を教えられました。

イザベルは早くからアラビア語もマスターし、イスラム教に傾倒していました。1897年母の転地療養のためアルジェリア(当時フランス領)へ渡り、2人はイスラム教に改宗しました。母は転地療養の甲斐なく世を去り、ひとりになったイザベルは、男装をして「シ・マアムード・サーディ」と名乗り、砂漠とマグレブ各地を放浪するようになりました。トロフィモウスキーは男女の区別無く同じ教育を施したので、イザベルは少女時代から男装に慣れていましたし、当時のイスラム社会では、顔を隠さずひとりで外出し旅をするには男であるか、男装するしかなかったのです。

彼女は文筆を志し、パリの文学サロンにも出入りするようになりました。
彼女は原稿料でアラブ馬を買い、愛犬を連れて砂漠を駆け回るのが好きでした。
完全に男になりきったわけではなく、スリメーヌというアルジェリア人と結婚しています。
後年には、フランス軍のリヨテ元帥のため、諜報員を勤めています。しかし、男装なので、どこへでも自由に行き来できるにもかかわらず、肝心の情報を握っているのが要人の母親だった場合、その人には近づけないというジレンマもありました。

1904年10月20日から21日にかけて、当時彼女が住んでいたアイン・セフラ(黄色い泉)で豪雨があり、洪水となって彼女は溺死しました。自ら死を選んだような最期でした。遺体はリヨテが部下に命じて捜し出し埋葬しました。

彼女のエッセイや日記は今でも出版されていますが、特に自由奔放でエキセントリックな一生のため映画にもなっています。



イザベルのエッセイ集


イザベルの伝記




他にもイザベルの本を持っていますが、いずれも日本では知られておらず日本語版もないので省略します。犬の人なのに、肝心の犬さんが登場せずスミマセン

砂漠で洪水?と思われるかもしれませんが、1年中殆ど雨の降らない砂漠で、たまに豪雨があると森林や河川のない砂漠では、たちまち低地が洪水となります。私も一度、砂漠の豪雨で怖い思いをしたことがあります。