2008年7月に金生町暮らしを始めた。
畑は大木が生えるほど荒れていたが開墾した。
もちろんツル類も生え放題。
開墾しながらツルを採集しバスケットを編み、そのバスケットを畑へ行くときは持っていく。
何度もだが修理はしている。
今回は取っ手と本体の接続部分が緩んで持ちづらくなった。
修理後。
取っ手のを修理した後縁の部分がスカスカになっているのが目立ち始めた。
またまた修理。
新作以上の時間がかかるが出来上がると新作以上にうれしい。
よく見ると新旧のツルの色がかなり違う。
2008年7月に金生町暮らしを始めた。
畑は大木が生えるほど荒れていたが開墾した。
もちろんツル類も生え放題。
開墾しながらツルを採集しバスケットを編み、そのバスケットを畑へ行くときは持っていく。
何度もだが修理はしている。
今回は取っ手と本体の接続部分が緩んで持ちづらくなった。
修理後。
取っ手のを修理した後縁の部分がスカスカになっているのが目立ち始めた。
またまた修理。
新作以上の時間がかかるが出来上がると新作以上にうれしい。
よく見ると新旧のツルの色がかなり違う。
無臭のジャンボニンニク初めての収穫。
ニンニクより我が畑にはあっているようだ。
いただいたのよりりっぱに育っている。
ニンニクの芽も立派でおいしかった。
そのうえ小さな鱗片までついている。
ニンニクにはつかない。
鱗片はノビルにもつく。
らっきょうのように連作もできる。
ネギの仲間だそうだ。
来年は多めに植えたい。
ビワがたくさんなってくれた。
畑へ行くとまず木からとって食べる。
自然の恵みに感謝し豊かさを感じる。
帰りには収穫したビワを持ち帰りビワ仕事だ。
下左2瓶は皮をむいて氷砂糖につけた。
完熟しているのですぐ水が上がったのでハチミツを入れて保存。
下右は皮をむいて干した実を瓶に詰め梅ジュースを注いだ。
上右2瓶は皮をむいた実を砂糖とユズジュースで煮詰めジャムに。
上左は皮をむいだ時の皮や実を焼酎につけた。
ビワの実を干す風景。
梅雨さなかいい天気の日を選んで干した。
豊作だったビワ。
木になるビワは鳥や人間が、落ちたのはアリやダンゴムシなどを豊かにしてくれた。
豊作の上、立派なビワをいただいた。
立派なのを選んでくださったのだろう。
心のこもったビワもおいしくいただいた。
葉はまだ干しているが乾けば草茶の素材になる。
妹のきんかんが孔雀明王をイメージし編んでくれたパーツを少し変身させ敷物の素材にしたりシャツのリメイクに使った。
それをもう少し工夫変身させたのを何かの素材にしたい。
それを大きめのメンズシャツリメイクに使おうとし長い袖を切ったもののデザインが浮かばない。
切った袖が先に保温ポットカバーにできたのに。
でもやっと完成。
シャツンの後ろに使う。
シャツに合う色合いの孔雀明王パーツをとじ付けたが空をイメージする刺繍に苦戦。
やっとできて拡大すると。
パーツをとじ付けたところ。
前のポッケが気に入らないが取ると縫い目が残る。
孔雀の羽をイメージし編んだパーツを綴じ付ける。
拡大すると。
綴じ付ける前。
着ると。
孔雀明王をイメージしての糸編みパーツをもっと進化させたくて4度目の挑戦をした。
3度目より一回り大きくしたりしっぽになる部分を長くしたり色使いも工夫した。
左は羽になる部分を尾になる部分と違う色にした。
右が一枚目で左が7枚目。
とにかくやってみると次の課題が見え、それをクリアーすると次が見えてくる。
この孔雀明王をイメージしたパーツをどう利用できるか。
竹林寺の秘仏本尊文殊菩薩特別ご開帳見学のおりいただいた資料で奉納写経を知った。
なぜか参加したいと思った。
コロナ禍のおかげで孔雀明王さまと縁ができ創作もできたことで仏教の世界がみじかにななったようだ。
早速申し込むとお写経セットが送られてきた。
写経台紙一枚、お写経用紙一枚入っている。
上がお写経台紙で下が送る前の写経。
集中しないと写経は書けない。
ちょうど畑仕事が忙しい時期。
忙しさに追われる毎日だったので何かに集中する時間が欲しかったのかもしれない。
2月22日男子誕生のはがきを友達よりいただき墨で名前を書いておこうと思っていたのも書けてない。
朝一時間早く起きることにした。
まずは鉛筆で5枚書く。
書くのに40分ほどかかる。
筆では70分。
筆で書き始めるときは緊張した。
本番はお写経台紙の上にお写経用紙を重ねて模写したはずがお写経台紙とは全く違った字になっていた。
時々ハエやゴキブリが出現する。
どちらもすばしっこい。
できたとしても素手で捕まえたくはない。
常々昔あったハエ叩きがあればと思っていた。
やっと念願かない完成。
畑の日陰に勝手に生えたひょろひょろとした棕櫚が素材なので2本使用。
叩く部分を大きくすると叩ける確率が上がるが周りのものまで叩いてしまう可能性があるとか作り始めるといろいろと考える。
畑に生える棕櫚。
時々花材にするがやっぱし切らなければと今思案中。
畑では植えた植物より勝手に生える植物が元気だ。
今だとドクダミ、スギナ、ツユクサ,ミツバ、それなりに食材として利用している。
いただいた百日草の種をまくとたくさん芽吹き移植するにつきしっかり管理する場所を作りたくなった。
草が生えるとこまめに抜き、きれいな花畑にしたい。
隣の境目のアスファルトを利用して作った花壇に苗を植えた。
植える前の花壇。
左に写るラッキョウは毎年収穫後に2~3個植えておくが右端のパクチーやその左のニンジンは勝手に生えた。
ニンジンは太いところが4センチほどの立派なものだった。
日当たりが悪いのでパクチーは植えたものほど大きくはない。
ニンジン、パクチーは手間をかけなくてもよさそうだ。
思い描いている花畑になってくれるか?
横浜などに中華街を作っている華僑に興味があり時々読むシリーズで”華僑・華人”を知るための52章を読んだ。
アジア、ヨーロッパ、アフリカ南北アメリカ世界中に華僑が作る中華街はあるそうだ。
シンガポールは3分の2が華僑でもう一つの中国のようだ。
世界中の華僑たちはその国の経済や政治を担っていることも多く中国が経済制裁を受けたとしても他国ほど影響はないという中国要人もいるとか。
あり得ることだ。
いま日本では本気で少子化対策に取り組んでいる様子。
マイナンバーカードのいろんな問題の前はトップニュースだったのに。
濃厚な香りの果実酒になる大輪の赤バラとイネ科にしては水揚げのいいカモジグサと。
去年楽しかった”奏楽 らいぶ”の案内が2か月近く前に届いていた。
今年も行きたいと忘れないように冷蔵庫に止めておいた。
野草(イエツアオ)展やクラフト展(イエツアオグループによる)のDMを忘れられないようにと2週間ほど前に出すことにしているが見たいと思ってくれる人は忘れないようにするのだと実感。
演奏の雰囲気は同じだったが選曲や構成にいろんな工夫がされ、続けることの大事さも実感。
オープニング曲は篠笛で”静烏帽子”と日本風だったが”チャルダッシュ”というハンガリーの酒場で演奏される民謡のような曲をもとに作曲されたテンポの速い曲を尺八で演奏したのには驚いた。
司会者が演奏者に”難しかってのではないですか”との質問に演奏者が”やろうと思えばやれるんです”と答えていた。
まったくだと感心。
やる気があればやれる。
いい時間だった。
ユーホールで2時開演の”奏楽 ライブ”へ行く前に三島運動公園のバラ園を見学に。
珍しい花びらのバラ。
色とりどりのバラの競演。
よく来る場所なのに建物内に欅が植わっているのに初めて気が付く。
子供の像があるのにも初めて気が付く。
同行の妹のきんかんは顔が気味悪いので見たくないそうだ。
やっぱしあまり可愛くない。
手に持っている水筒は落とし物か?
周りにも同じ顔が数個。
一部工事中だったが工事完了後が楽しみだ。
続いて長洲干拓地へ。
いつもの場所を写す。
土手は枯れたカラスムギで覆われていた。
東屋付近は緑のイネ科植物が風になびいていた。
山並みを眺めながら潮風を感じる東屋でお弁当を食べ”奏楽 らいぶ”へ向かう。
一昨日は線状降水帯にかかり一日中大雨。
一日空けて今日十分湿っている土に萩や百日草の苗を植えに山小屋へ行った。
左が移植した萩の苗。
まだ形は残っていたが移殖ごてで触るとぐずれ赤松が腐葉土になったのがあり。
百日草の移植後はクヌギの形が残っていたが触ると腐葉土化していたのを間に置いた。
前日大量の赤いグミの実をいただいた。
春、初めて花が咲いたのを思い出し確認するとポツポツと実がなっている。
花どまりにドライになった花が付いているのもあった。
2か月ほどで立派な実がなるのだ。
可愛いキノコも生えていた。
ドクダミの白い花をいたるところで見かける。
薬効が一番ある時期だそうだが私のドクダミ仕事は一か月以上早くから始まる。
4月のまだ茎の先が柔らかいうちにまずドクダミジャム作り。
次は漬物にして保存食。
今回大きな発見。
ドクダミには殺菌作用があると言われているのは知っていた。
漬物をする頃はかなり暖かく葉物などを漬物にすると水が上がると数日で白いカビが生える。
ドクダミ漬けではカビは生えない。
なのでドクダミ漬けの上でちょっとした葉物などを漬け始めた。
早くに軟らかいところをジャムや漬物のために摘んでも脇から芽を出し白い花を咲かせる。
花が咲いた頃がドクダミ仕事の最終で干して草茶にする。
眼下に見たミズの木の花盛りと緑、緑、緑。
住友の森フォレストハウスへは急な坂道だ。
住友の森入り口も緑、緑、緑。
ピンクのヤマシャクヤク。
先日初めて牧野植物園で見たピンクシャクヤクと同じか?
優しいピンク色のオダマキ。
ギャラリー作唯花壇のオダマキはブルーと茶色。
去年来たときはアヤメの咲終わりだったが今回は花盛り。
土橋の下は去年とはとがらりと変わりおしゃれな椅子が置かれていた。
ここで竹林寺土産の羊羹を新茶でいただいた。
もちろん木造建築のフォレストハウス内。
外壁が優しい色合いのいろんな木でできていた。
一年来ない間にいろいろと模様替えをしたようだ。
住友の森フォレストハウス駐車場。
木々の間の草が生えてない場所へ停める。
駐車場入り口にひよろりと高い木の天辺あたりに小さな花が満開だ。
水やウツギの白い花とは違う。
手の届くあたりについていた葉を見るとグミだった。
下ではもう実が色づいているのに。
子ども食堂で昼食後12時21分発16:30分着の予定の散策だ。
立ち寄りたかったが時間切れでゆらぎの森はカット。
法皇湖あたりにかかる橋が工事中。
足場を組んで橋の塗り替え工事のようだ。
金砂湖にかかる赤い平野橋は塗り替えたばかしだ。
久々の金砂湖満水風景は魅力的だ。
帰ったのは17:21分。
走行距離91キロ。
マイントピア別子に隣接の旧端出場水力発電所がやっと見学できるようになった。
道路からかなり下った場所にある。
中に入ると従来の発電施設がそのまま展示されている。
”災害も事故も出すまいこの職場”と書かれた標語も当時のままだろう。
発電の方法は説明文を読むだけではよく理解できなかったが中2階のビデオで明治の産業近代化の先駆けだったことはおぼろげながらわかった。
大変な産業遺産出現だ。
外に出て貫禄のレンガ建物を眺めているとペルトン水車見学の指導票。
赤煉瓦の建物の下あたりにトンネル風の施設が見える。
トンネル入り口。
入るとすぐ行き止まり。
説明文の上にあるのがペルトン水車だった。
向かいのマイントピアの建物がレンガ色なのは旧端出水力場発電所のレンガ造りに合わせたのだろうと思えた。
マイントピアではボタンの花を楽しみにしていたがほぼ終わりだった。
春先いい香りをさせ花だけつけるロウバイが葉を茂らせ立派な実をつけていた。
キンシバイ満開。
テイカカズラ満開。
別子銅山記念会のサツキは見ごろだった。